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体験型学習経験と保護者の教育的意識の格差

体験型学習

先日、子供を水族館と大型のアスレチックに連れていきました。

その前にも旧跡と観光地、妻の実家の宮崎に帰省するなど、我が家では子供をどこかに連れていって体験型の学習機会を与える旅行を定期的に行っています。

見たことのない場所や新しい体験をして、疑問などに対しては私が教えたり、子供と一緒に調べたりすることで彼らにとっては良い経験になっているように感じます。
(とはいえ定量的に教育効果があるかは不明です。まあ楽しそうなのでよしとしましょう)

これは私の意向というよりも妻の意向、教育方針に沿ったものです。

妻は小さい頃から両親にそうした旅行に連れて行ってもらった経験があるそうです。

彼女は父親がそうした教育方針のもとで体験型の学習を年に数回行っていたということです。

私の旅行体験

それと対比すると、私はそうした旅行に行った経験がほとんどありません。

親の仕事の都合上、週に1日にしか休みが取れなかったため泊まりがけで旅行に行ったことが記憶にある限り2回ほどだったと記憶しています。
(そのうちの1回は父の会社の慰安旅行だったと思います)

もちろん、日帰りで行って見聞することはありましたがその場で感じたことだけで終わり、という感じでした。

土地の説明や背景などを説明してくれる親ではありませんでしたし、そうした体験型の学習に関する知見もなかったようです。

私の受けた教育や環境を今思い返すと、塾に通わせてもらったことなど教育投資は同世代の子供と比較してもそれなりに充実していたように感じます。

しかし、その手の旅行や体験などの学習に関しては同世代の人としても多い方ではなかったようです。

より正確に言えば、その差に気づいたのは高校に進学して以降のことです。

見えない教育格差

私の住んでいた地域の公立中学校は市内の中でも農村地域で、農家の世帯も多いなど四大卒の保護者がそれほど多くない地域でした。

それと比例するように子供の教育への関心も低く、私の環境は周囲の子供とそう大きな差はなかったようです。

その後、高校に進学したときに周囲の環境の差に驚きました。

私は県内で学力的にはトップの学校に進学したため、周囲には医者や弁護士、銀行員などのいわゆる地方のエリート層の子供がかなりの数いました。むしろ過半数がそうであったようです。

彼らは当たり前のように楽器を嗜み、遠方への旅行などで知見も広く、進学への目標もしっかりとしていました。

彼らの語る家庭の状況は私が知っている日本の家庭とは全く異なる景色だったようです。

格差をどう埋めるか

現在、私は教員となり、また体験的学習が自己形成に有効であるという知見を持っているために、可能な限りで自分の子供に受けさせています。

では仕事で接する生徒に対してはどうでしょうか。

彼らの中にはやはり幼少期の私と同様にそうした経験をしていない生徒が相当数存在します。
(ただ時代の変化か、体験をそれなりにしている生徒もかつてよりは多いようです)

家庭で受けられなかったその手の教育成果を私は高校時分に埋め合わせることはできませんでした。学校自体が体験豊富な子供が前提で教育がなされていたからです。

しかし、私は教員としてこの状況を客観的に観測することができています。だからこそこうした違いを学校の教育課程の範囲内でわずかでも埋める工夫が必要なのかもしれません。

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