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別府市の家族旅行欠席免罪符、「たびスタ」に意味はあるのか?


「たびスタ」

全国的に導入が進みつつあるのが、家族旅行の生徒を欠席扱いにしない「れーケーション」という制度です。

日本では愛知県が最初に導入したように記憶しています。以前私はこの内容に関して一度記事にしました。

大分県別府市では「たびスタ」なる名称で同制度を導入しています。

別府市は観光産業を営む保護者が多く、暦通りの休日を取れない家庭に配慮するというのが目的としてあるようです。

公立小中学校の欠席数に意味があるか?

この「ラーケーション」の制度は旅行などの私的事由における欠席が欠席扱いとならない、というものです。

この「欠席扱いにならない」というのが「出席扱い」なのか「出席停止、忌引き」扱いなのかは不明ですが、このおかげで子供の欠席がなくなるようです。

さて問題なのはこの制度に意味があるのでしょうか。

そもそも出席を実際にはしていない以上、いかなる取扱であったとしても学習の遅れは存在します。その遅れを取り戻すには本人の自助努力が不可欠であり、仮に欠席扱いであったとしてもその労力に変わりはないのです。

また高校ならば別ですが、小中学校の場合実質的には欠席による原級(留年)という制度は存在しません。

仮にほとんど不登校で3年間生活した生徒であったとしても、中学校の卒業扱いとして高校に入学することができるのです。

そうした状況においてわざわざ欠席扱いという書類上の取り扱いだけのために制度を導入する意図が私にはわかりません。

「出席皆勤」という昭和の遺物

おそらくですが、この制度の主たる対象者は「出席皆勤」というもはや昭和の遺物とさえ言えるだろう制度にこだわる人でしょう。

「出席皆勤」は欠席をしないことが要件となりますので、ここに価値を見出す層、かつ平日休みしか取れない職業の人に対してはラーケーション制度に意味があるのでしょう。

しかし、個人的にはこうした「出席皆勤」にどれほどの意味、価値があるか疑問です。

体調が悪ければ学習効果は落ちますし、周囲に感染をさせたり、迷惑をかける可能性が存在します。加えてさらなる悪化の原因ともなりかねない以上、体調が悪ければ休むべきなのは言うまでもないことです。

そして小学校6年間、中高3年間ずつ、すべての登校日に万全の体調で通うことができる人はどれほど存在するでしょうか。おそらく実際にはほぼいないはずです。

しかしながら、多くの学校で〇カ年皆勤という表彰が卒業式などで行われています。ここから分かることは、多くの人達が自身の体に鞭を打って、無理をして登校している日があるということでしょう。

「休める日」を作るのではなく「学校にただ出席することは学びではない」を示すべき

別府市の「たびスタ」の取り組みを全否定するつもりはありません。家族旅行に行くことを学びにつなげるという考え方自体は大きく共感できます。

しかし、その制度を公に「休める日」としてしまえば、結局のところ「学校に来るとこそが学び」の原則であるということを示しているにすぎないでしょう。

「出席皆勤」という言葉や概念を廃止し、学校に来るだけが学びではないことを前提にした上で、外での学びを奨励するべきではないでしょうか。

学び直し、リスキリングやリカレント教育の価値がさらに高まるであろう時代において、まずは「ただ出席するだけ」という行為を否定し、能動的な学びへとつなげる指向性が教育に求められているのではないかと思うのです。

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