「悩みや弱みは武器にできる」“キャリア教育コーディネーター”塩見優子さん

小学校時代に味わった人種差別、日本人なのに日本語がうまく話せない、平和をつくる場が争いの種になっていた。想像もつかないような苦しみの中、悩み抜いた先に描いた世界平和。悩みや弱みが武器になるという信条を持つ塩見優子さんにお話を伺いました。

塩見さんプロフィール
出身地:和歌山県新宮市
活動地域:大阪府内、泉南市、時々海外
経歴
イギリスで幼少期を過ごし、人種差別をなくしたいという夢を描く。中学2年生の終わりに帰国し、自分が生きる意味や価値に悩む。大学院では国際平和学部紛争対応学科を専攻、多文化教育環境について研究。
中学校特別支援員として働いた後、インドネシア西パプア島のNGOプロジェクトにて活動。平和構築の土台として教育の役割を模索していた中、NPO法人JAEと出会う。
現在はキャリア教育コーディネーターとして学校と地域、企業を繋ぐ仕事をしている。子どもやオトナが、出会いを通して学び合う中で、地域が支え合う力をつけ続けるしくみづくりを心がけている。
座右の銘:みんなちがってみんないい

記者 どんな夢やビジョンを描いていらっしゃいますか。

塩見 夢を聞かれたら、世界平和ですね。平和構築には関わりたいと思っています。以前に夢は世界平和って言ったら、そんなことを本気で言ってる人に初めて会ったわって言ってちょっと引かれたこともあります。(笑)
それと、人が自分の生き方を諦めなくてもいい社会。一生懸命生きることが隣の人にとって刺激になりお互い支えあうような、そういう意味で人を繋ぎ続けたいなと。
それがあって私の好きな目標が、出会えてホンマによかったなって言ってもらえる素敵な人になることなんです。
教育を通して平和に関わる人がもっともっと増えたら世界全体の底上げになるじゃないかなっていう風には感じています。

記者 それを実現する手段としてキャリア教育コーディネーターをされていらっしゃるということでしょうか 。

塩見 そうですね。

「小学校の時から人種差別を絶対になくしたいって思っていました。」

記者 どのような経験が夢やビジョンにつながったのでしょうか。

塩見 小〜中学2年生までイギリスで過ごしていたのですが、そこで人種差別を受けたんです。学校内で暴力とか当たり前で、街中を歩いてるだけでも知らないおじさんになんでアジア人が歩いてんねんと怒鳴られたり。
6年生の時に、イランから英語がわからない子が引っ越してきて、差別の対象が私からその子にシフトしたのが分かったんですよ。その子が来たことによって遊びじゃなかったことに気づいた。私、弟が4人いてよく喧嘩していたのでめっちゃ強かったんです。だから差別の対象になったイランの子を守らないとと思って、私が先回りしてその子が殴られそうになったらかばうとかしていました。

記者 そうだったんですね。

塩見 時代的な影響があるかもしれないんですけど、そうした酷い差別の中で育ったので、小学校の時から人種差別を絶対になくしたいって思っていました。それを考えた時に教育やってなったのが元々のスタートポイントです。

いろんな人生の選択肢を考えても、その度に全部消えていく。

記者 日本に帰国されてからはどのような変化がありましたか。

塩見 中学2年生の時に日本に帰ってきたら、日本語が全然できなかったんです。漢字の読み書きもできない状態で、テストで0点が当たり前にありました。先生たちからは公立高校の進学は無理だとかそれは海外で育ったから仕方がないと言われ、どこか私もそれを言い訳にしていました。
それでも受験がやってくるじゃないですか。自分の人生どうしよう、初めて本当に将来がないかもしれない、いろんな選択肢を考えてもその度に全部消えていくんです。自分の人生を諦めそうになって、何ともならへんかもって泣いている時期が続きました。

「人のしんどさとか、勉強のできないしんどさとか、差別されるしんどさとかやったら、みんなよりかは想像できるかもしれない。自分の弱みが武器になると感じた。」

記者 そこからどのように立ち直ったのでしょうか。

ある先生に、みんなが誰にもその人にしかできないことがあるよ。って言われたのが自分にとっての大きなターニングポイントでした。
そこからみんなにはいつも負けるけど唯一勝てるものってあるんかなって考え始めた時に、人のしんどさとか勉強のできないしんどさとか、差別されるしんどさとかやったらみんなよりかは想像できるかもしれんなって思って、自分の弱みが武器にできるかもしれないと感じました。
そうした経験から、差別をなくしたい、平和平和って言ってる割には平和について研究してないやんっていうことが自分にとってのコンプレックスみたいなのがあって、勉強もめっちゃ嫌いでしたが高校進学を決めて、高校行った後も平和を学ぶために大学・大学院まで行きました。

平和について語り合ってるのに、雰囲気が全然平和じゃなかった。

記者 平和について学ぶなかでどんな気づきがありましたか。

塩見 大学院で平和学部の紛争学の勉強してたんですよ、世界中から集まった学生18人ぐらいのクラスで。学生といっても国連職員とかNGOで何十年も働いてる経験を持った人たちが集まっていました。そんな中で平和や紛争解決について語り合ってるのにステータスの自慢や競い合いみたいになっていて。平和に関するトピックやのに雰囲気が全然平和じゃなかったり、クラスの雰囲気がすごいギスギスしていて、それが私の中ではずっと違和感でした。
ある授業でまずは目の前の人を助けようと、クラスメイトと熱く語り合うことがあって、その直後にクラスメイトがパソコンに水をこぼしてパニックになってたんです。一人がパッと教室から出て行ったから私も急いで雑巾とか探しに行きました。教室に戻ってみるとクラスメイトを助けていたのが私だけやったんですよ、出て行った人はトイレに行っただけで。人のために、目の前の人を助けようって議論したのに、今目の前のことに動けないってどうなんやろうと感じたと同時に、初めてギスギスに対して納得しました。

記者 平和について語り合ってるその場が平和ではなかった、と。

塩見 そりゃギスギスしてるわって。人っていろんな仕事だったりプロジェクトがあるけど、その人自身が人として平和なのかっていうのが私は見たいなと思って。どんな経験していても活動をしてる人の人間性はどうなんかというのがその時から気になるようになった。
そうした経験から私は仕事を世界平和の手段として考えた時に、どんな仕事をしていてもこの人は素敵だなって思ってもらいたいと感じるようになりました。そこから、疲れてそうな人がいたら声をかけようと決めて大学生活を過ごしました。卒業の時にクラスメイトから、あなたは今まで会った人の中で一番平和やったって言ってもらえて、本当に嬉しかった。

記者 世界平和の夢や素敵な人への目標がすでに実践されていたんですね。

塩見 そうした経験がキャリア教育コーディネーターとして活かされ、現在で8年目になります。

今までめっちゃしんどい人生やったけど、その経験があったから子ども達に寄り添うことができた。

記者 なぜここまで続けられているのか、きっかけも含めてお聞かせください。

塩見 当初は半年の予定だったんです。その期間の中でできることがあるかもしれないという可能性を感じてるのに時間がきたから抜けるっていうのも嫌だなと思い、その後も続けることになりました。

元々課せられていたミッションが、ある地域の教育改革でキャリア教育の視点で小中学校が連携して子ども達を育てるためのカリキュラム作りをサポートすることでした。私が学校に入った当初は、急に入ってきて何をするんですか?といった印象で中々連携が取れなかった。現場のしんどさを知らず地域に縁もない海外からきたエリートがキャリア教育する。そういう印象を与えてしまっていたことがあったので自己紹介をさせて欲しいって言ったんです。差別を受けてきたことも含め自分の経験を赤裸々に語りました。

そうすると先生たちが今まで以上に子ども達の状況を教えてくれるようになり、何人かの子どもに会って欲しいと言ってくれました、1クラス2、3人ではなく10人くらいの子と。人として経験して欲しくないような過去を子どもたちが震えながら語ってくれたんですよね。子どもたちがそんな話をするのは初めてだと先生が泣きながら語ってくれました。
私、今までめっちゃしんどい人生やったけど、その経験があったからこの子達に何かしら寄り添えたのかなと思いました。それともう一つ、しんどい思いをしている子たちがなんでこんなにもいるのだろうという驚きと怒りが、私にとって大きなモチベーションになりました。

今は教育委員会と先生方とも連携が進んで、企業が教育改善に関わってもらえるモデルも出来始めています。キャリア教育を通して企業側も人材育成ができ、学校側も大人の姿を子どもたちにみせることのできる授業が出来てきた。気がついたら8年目になっていましたね。

記者 人種差別から始まる経験・悩みが、今のキャリア教育コーディネーターの仕事に活かされている。確かに半年で辞めることはできませんね。


記者 最後に、記事を読んでいる読者の方へメッセージをお願いします。

塩見 思ったこと感じたことはやってみよう。やってみた時に見えてくるものがいっぱいある。見えてからやってみようみたいなのもあるかもしれないけど、本当は動かないと見えないから。とりあえず動いてみたら見えてくるものがある。失敗が宝物にもなるし、思いっきり生きてほしいなと思います。

記者 普段接している方や生徒さんたちにも投げかけているような、思いの込もったメッセージですね。
ここまでお時間いただきましてありがとうございました。

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塩見さんの詳細情報についてはこちら

Facebook:https://www.facebook.com/yukoshiomi


NPO法人JAE (ジャイー)

ドリカムスクール


【編集後記】

今回記者を担当した中村です。
人種差別や日本語ができない苦しみなど、中々体験することのない苦しみがあったからこそ、人の心に寄り添うことができるということが言葉の節々から感じられました。まさに、素敵な人でした。
一緒に世界平和を創っていきたいですね。今後の活躍を期待しています。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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sho nakamura, a.k.a バンチョー

インタビュアー/ライター インタビュイーがワクワクしてくる取材を通して、その方の魅力を最大限に魅せること。その信念のもと、インタビューをしております。

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