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「かつて諦めた宇宙に、もう一度」“株式会社アストレックス代表取締役”平井良太さん

僕は宇宙業界で一番牛丼を作るのがうまいんです、と笑いながら語る平井さん。その背景には、一度は叶わず諦めた夢、ご縁が巡り捨てきれなかった想いとの再会、死に物狂いで駆け抜けた日々があった。技術者としての誇りを持ち、宇宙業界の発展に貢献する彼に話を伺いました。

平井さんプロフィール
出身地:東京
活動地域:関西
経歴
・大学卒業後、4年間東京で会社務め
・当時勤めていた会社に現AstreXの会長が講演にきたことから、宇宙産業に携わるキッカケを得る
・2010年から超小型衛星における電源開発に携わる
・(株)アストレックスを設立し、超小型衛星開発に従事
座右の銘:努力した者が全て報われるとは限らない。
しかし! 成功した者は皆すべからく努力している!!

宇宙産業を活発化させていきたいというのが、アストレックスが目指す社会貢献』

記者 アストレックスでの事業と、描いているビジョンや未来をお聞かせください。

平井さん(以下、平井) 我々は宇宙関連のことをやっておりまして、主にフォーカスしているのは人工衛星の電源部の開発をしております。
どのように産業に活かしていこうかというところなんですけれども、宇宙産業ってなかなか儲からない産業でまだまだ花開いたばっかりビジネスとしてまだこれからな業界なんですね、まだまだお金を稼いでいくっていうのは非常に難しい。

僕自身は個人的な人工衛星を持ちたいと思ってるんで、その目標を達するための社会にしていけるように宇宙産業を活発化させていきたいというのがアストレックスが目指す社会に貢献する目的の一つと言えますね。

『もしかしたら自分が死ぬまでは無理かもしれない』

記者 個人的な人工衛星を持ったら、どんな世の中に変わっていくのでしょうか。

平井 例えば人工の流れ星ですね。花火が打ち上がるように、空から星を降らすっていうのを実際にやろうとしてる会社もあります。更に先にあるのが僕のやりたい一人一つの人工衛星で、自分を衛星で見たりとか、使う人にとってはこういう事に使いたいとか色々あると思うんです。今言ったのは極端な例ですけれども、そういったことでも宇宙を利用できるように利用頻度を上げていきたいですね。

人工衛星の中のさらにその一つの電源装置というところに焦点を当てて企業として活動しています。なのでまだまだ正直自分の目指すところは遥か先ではあるんですけれども、そういうモチベーション持って行って行きたいなと思っています。もしかしたら自分が死ぬまでは無理かもしれないですけどもね。

記者 それほど先の未来のことに取り組めるのはどうしてですか。

平井 好きっていうところから仕事にしてるところがあって、日本における産業規模も他業種に比べまだまだ小さい。会社に入っても自分のやりたいことができないっていうのもあると思うんですね。企業として自分がどこに配属されるかなんて決められないと思うので。やむを得ないとは思うんですけども。じゃあ自分でやってみようというところに行き着いたんですね。

『僕は宇宙のことは諦めました。』

記者 ご自身でやってみようと思ったきっかけはありますか。

平井 実は子どもの頃から宇宙のことが好きで、きっかけはガンダムとか宇宙戦艦ヤマトとかアニメからなんですよ。宇宙事業に関わる人はいろんな志があってかっこいいことを言われるんですけど、僕は結構しょぼくて。そういうアニメを見ていて、この真っ暗な空間はなに?宇宙って何なんだろう?と興味が湧いてきて、そこからいろんな宇宙の事を調べたり宇宙に興味を持つようになったんです。

探索衛星に取り組んでいる大学があり、そこに衛星のことや宇宙のことが目的でその大学に進学したんです。ただ残念ながらその大学で宇宙のことはやらなかったんですね、大学全体ではなく特定の研究室でしか衛星のことをやれなかったので。そこに所属することができなくて結局大学で宇宙のことやらなかった。

その時点で僕は宇宙のことは諦めました。今でこそ宇宙事業は盛り上がってきていますが、当時はさらに下火でしたしいいかげん大人になろうぜと。サラリーマンとして就職したんですね。エンジニア、いわゆる技術者として働きました。

諦めていた宇宙への気持ちが再び芽生え出してきました。

記者 宇宙事業に再度挑戦するきっかけはなんだったのでしょうか。

平井 所属してた企業で社員全体が集まり勉強を兼ねて講演家に来てもらってたんです。その取り組みの中で、当社の会長を務めてる菊池が講演に来ました。菊池はまいど1号・2号の開発に携わった方なんですけれども、その時に僕の中で諦めていた宇宙への気持ちが再び芽生え出してきました。菊池は宇宙関連の企業に勤めているわけではなかったのですが、そんな人でも宇宙のことに関わる機会があり、そういうことができるんだっていうのを感じましたね。だったら自分でもできるんじゃないかと。経験はないし一人では駄目だけれども、この人となら昔諦めてた宇宙っていうのにもう一度いけるんじゃないかなって。講演を終えた菊池さんを会場にいるあいだに捕まえて

「俺、宇宙の事したいんですよ!どうしたらできますか!?」

って話しているうちに、大阪で一緒にやろうかという話になったんです。

ですが当時、宇宙産業はまだまだ広がっていなくて仕事もない業界だったんですね。うちに来てもいいけど宇宙ですぐ金稼ぐなんて無理だよ、しかもおそらく会社を設立したとしても給料は出せないからバイトすることになる、それでもやるのかと言われたんです。それでもやりますと。

やっぱり当初は給料5万円で、深夜に牛丼チェーン店でバイトをしていました。朝9時から夕方の5時までは会社の営業。そこから夜10時ぐらいまでは技術の仕事をし、深夜11時から朝の8時まで牛丼屋のバイトをしました。なので二日に一回しか寝てなかったんです。それを1年間続けました。
結構色んなところで、宇宙業界で一番牛丼を作るのがうまいですよ、あなたがどんな偉大な先生でもそこはかなわないですよと言っています。(笑)

何やってるんだろう、俺。と思ってました。』

記者 それは大変な時期を過ごされていたんですね。その当時は何を支えにされていたのでしょうか。

平井 俺、今宇宙のことに少しでも携われてる、って事ですかね。当時はモップ掛けをしながら何やってるんだろう俺と思ってました。そう思いながらも宇宙のことに携われている喜び、宇宙の事を続けていくためにはやりたくないこともやるのは当然。やりたいことだけやって生きていくなんて理想的なことはないなと。やりたいことをやるためには、やりたくないこともちゃんとやらなければいけないってのは理解してたんで。牛丼を作ったりするのも必要なプロセスであるというのは思ってました。

今でこそ冗談にできますけど、色んな先生から平井の会社は研修で牛丼屋で半年間働くんでしょう、その期間は2日に一回だけしか寝ませんみたいなことは言われます。(笑)その当時からちょうど今10年目ぐらいになるのですけれども、ようやく宇宙のことで飯が食えるぐらいにはなってきていますね。それが宇宙事業を再度志そうとしたきっかけと今なぜ大阪に来て宇宙のことしているのかっていう流れになっています。

記者 そうした経験はなかなか真似できるものじゃないですね。

平井 もうやりたくはないですね。(笑)宇宙で飯食っていくって若気の至りだと思うんですけど、中途半端にやめて、後からあの時もうちょっと続けておけばって思うのがすごく嫌なんです。絶対将来後悔するだろうなと。やるだけやって駄目だったら諦められるけど、中途半端にやめたらあの時もうちょっとやっておけばって絶対言うだろうなと。自分が納得できるかですね。

記者 今までのお話を聞いていると、やり切ったら割り切れる、ただ唯一思いが残ったのが宇宙だったのかなと感じますね。

平井 確かにそれはあるかもしれないですね。ただ今は宇宙で株式会社をやってますけども、もしこれが駄目になったら宇宙はスッパリ諦められると思いますね。ここまでいったんだったら自分を褒め称えよう、子どもにドヤ顔で言えるんじゃないかなと思います。(笑)

人の意志ひとつ、そこに尽きる。

記者 日々、宇宙に対してとことんやりきっているからこそ出てくる発言ですね。これからの時代に求められることはなんだとおもいますか?

平井 やっぱり、やりたいことをやるというのに尽きるんじゃないかなと思います。世界が広がったといっても、一人の人間の選択肢が広がるだけであって、生き方が劇的に変わるかって言われるとそうでもないと思うんですよね。あくまで選択肢だったり活動領域が広がるだけで。人の意志ひとつ、そこに尽きるんじゃないかなと思ってますね。

記者 人の意志ひとつ、平井さんの宇宙事業へのチャレンジを思うと大変重みがありますね。人の意志が時代を作っていくことを自らやってきているなと。
最後に読者へのメッセージをお願いします。

平井 目を開いてみろ、ですね。宇宙のことをやりたい人達は周りを見渡してみろと。宇宙のことで活躍する場というのは用意されている、ということを伝えたいですね、宇宙の事をやりたいですとよく聞くので。昔以上に働ける場はどんどん増えてきています。宇宙のことをやりたいと思ったら、少し調べて一歩踏み出してみるだけで、全然今はやれる場がある、というところですかね。それを伝えたいですね。すごい特定の人に対するメッセージなっちゃいましたが。

記者 これは宇宙のことに限らず、やりたいことがある方々へのメッセージでもありますね。本日はありがとうございました。

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平井さんの詳細情報についてはこちら

【編集後記】

今回インタビューを担当した、中村と森です。
終始冗談も交えながら楽しくお話をしてくださいましたが、諦めることのできなかった宇宙への思いが心を奮い立たせ、今なおその意思をもって事業に取り組まれていることを感じました。今後ますますのご発展を応援しています。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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