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舞台『ガラスの動物園/消えなさいローラ』観劇の感想

某日、新宿の紀伊国屋ホールで舞台『ガラスの動物園』と『消えなさいローラ』を観劇した。
前者が2時間30分、休憩15分を挟んで後者1時間のカロリーたっぷり、重厚な舞台であった。観る側も大変疲れたが、演じる側の疲労は計り知れないものだろう。


以前読んでいた本の中に、ガラスの動物園を題材にした短編が入っていたことを思い出し、折角だから今回の観劇をすることを決めた。
また、和田琢磨さんが出演していることも決め手の一つだった。私は彼の演技が好きで、和田さんの出演する舞台で気になるもの、かつチケットの余っているものがあれば観劇しようと思っていたのだ。数ヶ月前に観劇した舞台「逃亡」もそういった経緯である。あれもまた良い舞台で面白かった。
そのため、原作がどんな内容のものなのかなんてのは全く知らないまま劇場に足を踏み入れたのだった。ただ、侘そうな雰囲気のある話のような気がしていた。

開幕早々、母アマンダの圧に思わず顔を顰めた。
私にとって嫌なタイプの人間だった。彼女の子供たちに対する愛はきっと本物なのだが、自分の理想を全て押し付けていて、嫌だ。でもそれが人間らしさを助長していて、好ましくも思える。歪んでいる。

息子であるトムが痺れを切らして家から出ていってしまう理由もわかる。むしろよくそこまで我慢したよ。けれど、あの「釘を打ちつけた棺桶」のような家から飛び出していったにも関わらず、最期は虚ろな死を遂げてしまうところに胸が痛んだ。
トムが言ったような、釘を打ちつけて中からは出れないようにされた棺桶から出るには、釘は引き抜かないといけなかったんだなあ。そしてその棺には釘を抜いた跡が残る。痛々しい。
何を言っているのかさっぱりわからない人は、矢張り原作を読んでみてください。

ローラについてだが…。はにかみ屋なところは、どことなく私に似ていて共感を覚えた。それに、残りの人生の展望が不透明で、どこかふわついているところも。でも、おそらくローラの問題はそこにはないのだろう。
以前この舞台の評判が気になって、少しだけパブリックサーチしたことがある。記憶にこびりついて離れないのだが、感想の一つに「ローラには然るべきところで支援を受けてほしい」というものがあった。この舞台を観終わった後にその感想を思い返すと、激しく首肯したい。
母アマンダは、ローラにとある特徴があることを認識しつつもそれを妙に過剰に覆い隠そうとする。過保護のくせに、過保護じゃない。ローラを愛する気持ちは伝わってくるけれど、それじゃモンペだと思った。
ローラのその特徴を際立たせるような些細な動き、上に肘を曲げてゆびをそわそわと動かすその動作が、小さいにもかかわらず強烈だった。ローラが何を抱えているのか、すぐに観客に伝わってくる。素人目だが、吉岡里帆さんの演技力が光っていたなと思う。

ジム。お前のことはこの先どんなことがあっても許しはしない。君には理解してくれる人が必要だ、君には…………キスしてくれる人が………じゃないよ!!!確かに必要だけどお前じゃあないね!!!お前じゃあ、無かったね!!!!!いや、お前だったかもしれないのに、それを裏切ったのは……………。
本命の女がいるのに、ローラの心を弄んだことについて私は本当に憤慨した。
ジムの根明なところや眩しい煌めきを、和田さんは本当にさっぱりと丁寧に演じたと思う。それ故に、ジムがやらかした後の気まずい雰囲気の落差が際立っていてたまらなかった。和田さんの演技はやっぱりとても良い。

この舞台を通して抱いた感想は、誰も悪くないけどみんな悪い、という複雑なものだった。誰か一人がこうじゃなければこう最悪の結末にはなっていなかっただろうし、逆に言えばこうだったからこそ守られた幸福があったのだ。天国も地獄も表裏一体。こんなに柔くて、砂のようにほろほろと崩れやすい世界があるのかと張り裂けそうな心地になった。
もっと歳をとってからこの舞台をもう一度観たなら、またさらに違った感想を抱くのかもしれないなと思う。

今回、世界初の二本立て上演だったとのことだが、そんな記念すべき公演を観ることができてとても嬉しく思う。「ガラスの動物園」だけだとまだ希望が残されていたりするのだが、「消えなさいローラ」では一気にその希望がかき消されてしまう。
容易に想像できた未来ではあったのだが、まさか本当にそうなってしまうとは…と苦しい気持ちになる。これは地獄の煮詰め料理か?と途方に暮れる。最悪で最良の舞台で………私は好きだと思った。

忙しくてまだパンフレットを読めていないので、落ち着いたらパンフレットを読んでまた解釈を深めたい。

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