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Comfortable hole good bye

昨日投稿した記事に引き続き、稲垣栄洋『生き物の死にざま』を読んで感じたことを書きたいと思う。

この本には様々な生き物の死にざまが描かれているが、
最後に登場する動物、ゾウの説明がなんとも興味深かった。


なんと研究が進むにつれて、ゾウは死を認識しているのではないかと考えられるようになっている。

例えば、死んだ仲間をとむらうかのように、土や木の葉を死体の上にかけたりする行動が観察されているという。

僕もゾウという生き物はとても賢く、共感力の強い生き物だということは、前から聞いたことがあった。
本当にゾウは死を認識しているのかもしれない。



ところで、うちの実家には2匹のゴールデンレトリバーがいる。

左がレアで、右がシフォンだ。
どちらとも美味しそうな名前だろう。

まだ若いシフォンが我が家に来る前は、
ワッフルという、これまた美味しそうな名前のゴールデンレトリバーがいた。

ワッフルとレアは長い間、我が家で暮らしていた。
ワッフルが死んだ時、僕は京都にいたので、その場に立ち会えなかった。

だが、親から話を聞けば、ワッフルの遺体の前で、
レアがずっと「クンクンクン」と鳴いていたらしい。

レトリバーたちが寂しい時によく鳴く声だ。
もしかすると、ワッフルが死んだ時、レアはワッフルをとむらっていたのかもしれない。

↑(亡きワッフルの前で臨終勤行をする父と、その後で鳴くレア)



ところで、僕の好きなアーティスト 小南泰葉には「3355411」という歌がある。

賢くなった人間はバカだ!バカだ!と叫んでいる曲。
タイトルの「3355411」とは、ガラケーで打てば「死にたい」と出てくる。

M-ON!MUSICのインタビュー記事で、この曲について触れられていた。
手話ができるゴリラ「ココ」の話を聞いて、この曲が出来上がったのだそう。
小南泰葉を聴いている音楽好きには是非ともこの記事を読んでもらいたい↓

世界で初めて手話を使って人間と会話をしたゴリラ「ココ」。

ココには研究者たちによって様々な実験が行われた。
ゴリラはペットを飼えるか?という実験では、ココは見事に猫をペットとして飼育した。

ある日、ペットの猫が車に轢かれて死ぬと、ココは手話で
「何も話したくない」
と言い、大きな声で泣き続けた。

ゾウや犬だけでなく、ゴリラも死を悼む生き物だ。

ココは死の概念を理解しており、
「死んだゴリラはどこへ行くのか」
と聞くと、

「苦労のない 穴に さようなら」
と答えた。

ちなみに手話を直訳すると
『Comfortable hole bye』なので、日本語訳の時には「苦痛のない穴に さようなら」とも訳される時がある。

この話を小南が聞いた時、なんだそれは!?と思ったという。

人間はこんなに苦悩に苛まれて、行き場のない人がたくさんいたり、自分の命を絶ちたかったり、時間の流れに乗れない人たちがたくさんいるじゃないですか。誰だって死ぬのは怖いし老いるのも怖いし。動物はどこまでわかってるんだろう? 
”苦労のない穴”って、この世界は苦労ばかりなのかな。“苦労のない穴に さようなら”なんて、人間には絶対思いつかない。命のピラミッドの頂点に人間はいるけど、絶対てっぺんじゃないよって思ったら、”人間ってバカ、バカ”って叫んでる曲になりましたね。


この記事を読んだ時、確かに”苦労のない穴に さようなら”って一体なんなんだ.......
ゴリラは死をどう考えているんだ......

と、考えれば考えるほど、不思議な気持ちになった。


稲垣栄洋『生き物の死にざま』の最後のページには、こんなことが書かれている。

もしかしたら、ゾウたちの方が、死ぬことについては、私たち人間よりも知っているのかもしれない。生きることの意味も、より知っているのかもしれない。そして、私たちよりも深く死を悼んでいるかもしれないのである。

ゾウや犬、ゴリラたちの方が、死を分かっているのかもしれない。

そう考えると”苦労のない穴”というのは、死という概念の真実なのかもしれない。

逆に、僕たちは、一体どれほど死について考えられているだろう。

そもそも、仏教では「生死一如」と言い、
生と死を切り離して考えていない。

死を真っ正面から考えた時に、私の生きる道が明らかになる。



しかし、現代では、自宅で死にたいと思っている人が8割である一方、
病院で死ぬ割合は約8割。

その病院から遺体が運ばれる出口は正面玄関ではなく、裏口。

現代で、死人を見る機会はほとんど無くなったが、コロナ禍により、遺体にも会えず火葬されることも多くなった。
ウイルスの危険性から、葬儀さえ行われないところもある。
死を感じない社会に拍車がかかっている。


もしかすると、
ゾウ、犬、ゴリラたちから、

「人間たちは死を分かっているんだろうか?」
と、却って聞かれているのではないだろうか。

そんな気がしてならない。

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