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混沌と繁栄のナイジェリア vol.1 言語、ローカライズと面倒な空港(1)

「急げ若者よ。彼の地で、それは君を待っている」ー 1982年にアメリカのロックバンドTotoが歌った名曲「アフリカ」の一節にこうある。「それ」は、人にとっては具体的な何かを指し、またある人には、アフリカが持つ蠱惑的な響きに内包される未知の具体性を持たない何かだ。最初にアフリカの地を踏んだのは20年も前のことだが、ここ6年は深くアフリカで事業に携わっていることもあり、僕の中での「それ」は、かつてのぼんやりとした憧れから、より明確な意味を物に変容している。

54カ国あるアフリカのうち、これまで20カ国を訪れた。まだ半数も満たしていないが、それでも年の3分の1を過ごす彼の地への思い入れは年々深まってきている。「どの国が好きなんですか?」と良く聞かれる。プライベートでは、過去5回訪れたタンザニアが、思い出の濃さも相待って一番のお気に入りだが、最近はもっぱら「ナイジェリア」と答えている。次に来る質問は大抵「なぜ?」だが、僕の回答は決まって「Chaos(混沌)」だ。

94年のサッカー・ワールドカップで、ジェイジェイ・オコチャやウチェ・オケチュク、といったナイジェリア代表選手を初めてみた時、圧倒的な運動能力とともに、アジアや欧米のそれとは明らかに異なる言語体系からなる名前に僕は大変興味を持った。当時は名前のサウンドに強烈なインパクトを受けたが、後にきちんと意味を調べるようになってきた。今、それは趣味の一つにもなりつつある。彼らの苗字は、ナイジェリアの3大民族の一つであるイボ(Igbo)語で、オコチャは「辛抱強く、忍耐強く、意志が強い」、オケチュクは「神の意思」という意味だ。

先に3大民族と記したが、後の2つはヨルバ (Yoruba)とハウサ (Hausa)。この3つで、2億人を超えるナイジェリア人口の70%を占めている。ビジネスの中心地ラゴス (Lagos)を含めたナイジェリアの南西部に多いヨルバ、ナイジェリア北部からニジェールに跨る地域に多いハウサ、南東部に多く暮らすイボ、大きく分けるとこのような分布になる。

しかし、ナイジェリアはそもそも超多民族国家だ。300を超える部族が住み、離される言語の数は500を超える。アフリカ全体で約2000の言語があるが、これは世界の言語の3分の1に相当する。なぜ、これほどの言語が生まれたのか、分子人類学者の篠田 謙一は、「ホモ・サピエンスは他のどの地域よりも長くアフリカ大陸で生活していますから,アフリカ人同士は、他の大陸の人びとよりも大きな遺伝的変異を持っています。(中略)言語もDNA同様,時間とともに変化していきます。そのスピードはDNAの変化よりもはるかに早く、一万年もさかのぼると言語間の系統関係を追えないほど変化するといわれていますが、同じような変化をすることから,言語の分布と集団の歴史のあいだには密接な関係があることが予想されます」と著書『人類の起源』の中で述べている。1

少しナイジェリアの歴史を見てみる。元々北部ナイジェリアの初代高等弁務官であった英国のフレデリック・ルガード卿(Frederick John Dealtry Lugard)によってナイジェリアの北部保護領と南部保護領が合併される1914年以前は、多様な社会文化的、民族的、言語的背景を持つナイジェリア人は、それぞれ異なる国家として別々に暮らしていた。第2次大戦後に民族自決や独立の機運が急速に高まったアフリカでは、1960年に17カ国が一挙に独立を果たすのだが、他国に同じくナイジェリアもこの年にイギリスから独立している。

イギリス植民地支配下においては、行政、商業、ビジネスなど多分野において英語が公用語として用いられた。この慣習は1960年の独立後も継続し、500の多言語国家であるナイジェリアは、民族内で話される言語を国家の統一言語として採用する用意がなく、議会は英語をナイジェリアの公用語として維持せざるを得なかった。ナイジェリア憲法には、国民議会の言語は、「国民議会の使用言語は英語であり、十分な手配がなされている場合は、ハウサ、イボ、ヨルバも用いる」と英語が、国民の70%を占める3大民族の言語よりも上位に設定されていることがわかる。2

したがって、多くのナイジェリア人は社会に広く膾炙する英語と自分の属する民族特有の言葉は喋るのだが、言語的な混沌はこれにとどまらない。民族の垣根を超えてコミュニケーションを円滑に進めるために、ナイジェリアではピジン(Pidgin)というブロークン・イングリッシュが使われているのだ。

ピジンはもともと17世紀にナイジェリア人とポルトガル人の間の交易上の目的によって生まれ、今日も西アフリカやアフリカ域外のディアスポラで移民によって話されている英語をベースにした言語だ。普段のビジネスにおいては僕はナイジェリア人と基本英語で喋っているのだが、彼らに「よりローカライズするには、ヨルバ、イボ、ハウサのどの言語を学ぶのがいいかな」と聞いたら、「それならピジンだろ」と言われるほど、現地に根ざした言葉だ。

「いいかShogo、例えば君なら大統領や大臣に会う機会もあるだろう。その時に、彼らの出身部族の言語で挨拶するよりも、ピジンで話したほうが、『おー、君はナイジェリアのことをよく知っているな』と必ずなるはずだ」
なるほど、ピジンは英語を元にしており、こっちの方がド新規で新たに習得するよりは遥かに容易そうだ。例えば、英語の挨拶のお決まりフレーズの「How are you doing?」は、ピジンだと「How you dey?」となり、相互の関係性の類推も難しくはなさそう。以来、僕はナイジェリアでは、人と会う時もイベントで講演したり大学で講義するときも必ずこのフレーズから入り、ナイジェリア感を出すようにしている。

ローカライズと言えばもう一つ、現地での名前を持つことでの親近感の醸成もある。例えば、僕はアラブではMubarak(ムバラク=神による祝福)というアラビア語の通名を用いて自己紹介をするし、英語名は学部時代にLAのスターバックスで間違って記名されたGeorgeをよく使っている。
ナイジェリアでは、2017年から年に3−5回程度ナイジェリアを訪れており現地の文化理解は格段に進んだが、最近になるまで通名を特に意識はしてこなかった。というのも、Shogoは、ナイジェリア人は極めて上手に発音してくれるからだ。しかし、この2年で知ったのだが、ヨルバの言葉で名前に同じサウンドの「ショゴ」は「高貴な光」といった意味があることを教えてもらった。だが名前とするには少し恐れ多い、もう少し一般的なものはないかと友人に尋ねたら、「ではOluwasegun(オルワシェグン)はどうか?」と提案。

聞くと「勝利の神(直訳は『神は勝者だ』)」という意味らしい。一般的に使われている名前でもあることから採用させてもらった。以降、Oluwasegunですと堂々と自己紹介するのだが、ハウサの人々が多数住むナイジェリア北部のKanoで同様に行ったら、偉い人から「ここはハウサが多いから、ハウサの名前も授けたい。君はJagabaan(ジャガバーン)だ」と別の名前も授かった。聞けば「偉大なリーダー」という意味だ。意味は重いが、せっかくいただいた名前を無碍にできない。ありがたく頂戴し、以後、使わせてもらっている。

かくして、僕はナイジェリアでのローカライズを順調に進めている。しかし、共通言語として用いられる言葉と、名前に代表されるように民族がそれぞれに抱く言葉への誇りが同居し、それが500もの言語で表現されている様は、混沌と呼ぶにふさわしい。そして、別の意味でナイジェリアの混沌の代名詞のような、ラゴス空港でのローカライズの重要については、次号で記していきたいと思う。

1 人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』 中公新書,2022年
2 Constitution of the Federal Republic of Nigeria http://www.nigeria-law.org/ConstitutionOfTheFederalRepublicOfNigeria.htm

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