コーチングまとめ⑧「僕もイタいやつ」

コーチングも残すところ、あと2回。今回のコーチングでは、またまた自分の見たくないところを見つめることとなります。

町内会のnote

自分の考えをまとめた町内会のnoteがあまり反響が無くて、がっくりきました。「いいね」も「シェア」もあまりされなかっですし…「あまり反響無かったから、もう辞めようと思っていますか?」とコーチには聞かれましたが、おそらく辞めることは無いと思います。自分が好きなことなんで、勉強は続けていくでしょう。またnoteにまとめるかは別として。
「軽い気持ちで色々書いてみよう!」と思いますが、なかなかできないのは、「この程度で出していいのか?」という提出物へのクオリティに満足できていないからなのかと思います。(特に、仕事関係)

「お節介」で「心配性」

色々、引き寄せてしんどいのは、自分の取れる範囲の外の責任まで取ろうとしているからなのかなぁと、ぼんやり思うようになりました。それをしなくても、自分が責められるところじゃないのに、相手の領分まで心配しているのじゃないかと。でも、自分としては、そこまでやらないと「無責任」だと思っているのと、「何でも自分のせいにした方が気楽」ってのがあります。でも、責任を引き寄せすぎて辛い・・・訳わからんですね。でも、実際、周りから「無責任」だとは思われていないのでしょう。自分の与えられた仕事はきちんとやっているわけだから。僕に必要なのは、「無責任になる」という決意のようです。
こういう思考を持っているので、自分のことを「お節介」で「心配性」だと思っていて、悪いところばかりじゃないし、「まあ、いいか」くらいに感じていました。でも、社会人になると、責任の重みも変わって、1個1個の精神的負担が大きい。そして、辛くなる。これはもう緩めるしかない、思うようになりました。
コーチの経験からのアドバイスは、「『自分が手を出さないことで、周りを育てている』という考え方をして、その役割を自分が担っている」という考えを持つこと。こう考えることで、自分が助けないのに理由が付く。そして、そうしている自分は、自分の責任を果たしている、ということになる。ただ、自分が他の人の仕事に手を出している時は、「学習欲」が出てきて、「この人の仕事も覚えることができてラッキー」とも思っちゃうんですよねぇ。でも、そういう時はそれでOK。大事なのは、自分の責任で選べる選択肢がある、ということ。しんどい時は、責任を手放せばいいし、興味あることなら手を出せばいい。今は、「手を出す」という選択肢しか無いからしんどい。そういう体験をしていくことで、選択肢を増やしていくのが大事だそうです。

わけの分からない渇望感

「資質をもっと意識的に使えたら、伸びるじゃないか?」とずっと思っていて、コーチに質問してみたら、

「できないことに対して、どう使うか?を考える方が身になる。なにか良くしたいことはありますか?」

と言われましたが、パッとは思いつかないんですよね。何かしら不満には思ってるとは思うんです。町内会のnoteをSNSに投稿した時も、「これがきっかけで何か変わるんじゃないか」という気持ちがありました。変わってほしいと思っているということは、現状に何らかの不満があるんですよね。学べていない・・・求められていない・・・理想の自分の状況になっていない・・・。

「伊藤さんは、『自分がどうありたいか』がボヤッとしているんじゃないですか」

確かに、自分に情報が入りすぎている感はあります。欲しいスキル、目指したい姿が多すぎて、選択肢が増えすぎているんじゃないか、と思うんですが、コーチからは「わけの分からない渇望感に取り憑かれているんじゃないか」と。

とりあえず学んでいないと不安→たくさん情報が入ってくる→迷う(振り出しに戻る)

という負のスパイラルに陥っているようです。純粋に楽しめていればよいのですが、今は完全に自分の足りない部分を埋めようとして辛い、という状況でした。「どうありたいか」を考えるにあたって、「自分が過去に充実していた時を考えてみる」こと。それは自分が必要とされる場所がある、自分の裁量が大きい、人間関係が煩わしくないなど。対して今は、あまり自分の比率が大きくない。自分じゃなくてもできる仕事をやっているという感覚です。だから、自分の価値を上げようとしているのかもしれません。「一人一人がかけがえのない存在」とはよく言うけど、全然腹落ちしません。「自分はすごい人間」で「特別な存在なんだ」と、アピールしたり知らしめたいと思っているんですね。「今、この場所だけを見るのでは無く、スパンを長くして、場所も広げてみると、自分の求めるポジションが見つかるかもしれない」。この1年ではなく、3年や5年、今の職場だけでなく、家庭やボランティアでの活動など、もっと視野を広く見れば、今の場所にも価値が見付けられるのでしょうか…

自分の「承認欲求」が恥ずかしい

今回のやりとりで、自分の「誰かに必要とされたい」「価値ある人だと思われたい」ということに気づいて、自分はめっちゃイタいやつだなと思いました。ホント、コーチングは自分のダメなところが見えてきて辛いです・・・こういう周りからの評価って、自分で求めるものでなくて、結果として付いてくるもんだ、っていう考えでした(むしろ、そうであらなければならない)。でも、ここに行き着いてしまったからには、向き合わざるを得ません。もしかしたら、いろんなものが、この「承認欲求」と繋がっているのかもしれません。遠慮せずにさらけ出せと言われますが、なかなか難しい…

ただ、こういう承認欲求は開き直れたら強いとのこと。「こういう状況なら、自分はめちゃくちゃ頑張れる!」みたいな。どんな動機付けでも、やれたもん勝ちなんですよね。だから、自分の「承認欲求」を逆手にとって、ガンガンやっちゃえばいいんですよねぇ。まだ受けれ入れられませんが…

まとめ

・「責任感」持ちのやる「無責任」は、結局「責任感ある行動」
・実行することで、自分の選択肢を増やす
・自分は、どうありたいのか
・自分の承認欲求を向き合い、飼い慣らす