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野生はどこに

 もう2023年ではない!
日付を入力する時に、2・0・2・3・・・。
2月も8日も過ぎているのに、2024年の実感が湧いていないこの頃。いや、実感は湧いている。ただ2023に見慣れてしまっているだけ。来年の今ごろは、2・0・2・4・・・に違いない。

 ほんとに平和な(=身の安全を容易に確保できる)時に生きていると感じる。
というのも、人が溢れているTokyoに住んでいると様々な人がいるのだが、こんなにも安心して平穏に誰かに踏み潰されることもない社会なのに、顔が冴えない人が多いなぁと思ったのだ。ただ単に表情筋が硬いだけの可能性もあるけど。
 飯も食えるし、部屋もあるし、着る服も安くてオシャレにできるし、もっと基本的な生活ができるありがたみやすごさに感覚が行き届けばいいのに、と思う。
社会に溢れた刺激や憂鬱や混沌に飲まれすぎて、飲まれようとしすぎて、自分に一番近くで得られている貴重な感覚を見落としている。たしかに自分も社会のおかずに飛びついて口いっぱいにほおばってしまうこともある。それが最高に脳を刺激して快適、快感、快楽なことはわかる。
 今回思ったことは、少し話が反れるけれど、自分が生きている社会に動物やら自然災害などの人間が恐怖に感じる外敵が少ないということ。ゴールデンカムイを読んでいて、自然や動物と共生しながら生活をしていた数百年前のアイヌの姿を考えると、現代の社会は上で言ったような快適で便利で人が生きるのに不安にならないようによくできているなぁと感じている。
 当然、生きていくために現代の状況を創り出していることに不満があるわけでもないし、楽しく毎日を過ごしているのだが、時々野生本能的な刺激が足りないと感じる。総合格闘技をめずらしく見に行った時に、生身の人間がぶつかり合うのを見て、野生の興奮感覚を感じたことは覚えている。ゆえに、そんな体験が日常に多ければ、今日のような話は出てこないのだろうか。
 海で魚を取ったり、山で鹿や熊を撃ったり、真夜中の森で探検すれば、野生の脳汁が出てくるのだろうか。
 まったく答えのない話だが、街を見渡した時にふと感じる。


2024.2.8

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