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私がみてきたアートと彫刻の20年#3 「藝大という秘境でも楽園でもない場所のこと 〜藝大彫刻のアカデミズム」

 私が大学院生の頃、東京藝大を「秘境」と呼ぶ本が話題になりました。謳い文句は、その卒業生の8割は行方不明だとかそんな感じだったと思います。私は読んでいませんが、書かれた側の人間として当時思うことはいろいろありました。確か著者が、当時の私がいた学科の学生と結婚された方で、ある意味当事者に近い目線で書かれていたため、話題を呼んだのだと記憶しています。

 藝大は良くも悪くも何かといろいろ言われることが多く、アートの世界に距離がある人にとってはおもしろ奇怪な場所、アート界隈からはアカデミーの既得権益の巣窟として批判の的になります。倍率が高いため、小さな日本のアート業界では必然的に、そこに入れた/入れなかった人と言う線引きが内在していることが原因です。昨今ではハラスメント問題が何かと取り沙汰されています。歴史は古く、その実態は知らない人からは大きく見えるかもしれませんが、予算の少ない本当に本当に小さい大学なんですよ。
 なので、秘境であるということも、教員作家にとっての楽園であるということも間違ってはいないのかもしれませんが、正しくない見方です。

 何もかも礼賛できる場所などないし、どこもかしこも問題だらけですので、私はこの記事で新しく何かを問題定義するつもりはありません。

 そして私は小さな国立大学法人である藝大のしかもさらに小さな彫刻科という、村の中の一世帯のようなところのことしかわからないのですが、私からみた藝大という場所の実際、そして権威の本体をどうみたかと言うことは案外フラットに書かれているものも少ないので、自分のnoteで触れたいと思っていました。全体は部分の集合であり、小さな末端のことを観察すればなんとなく全体のこともわかるかもしれません。

 今回は、私が書く以上、どんなに特定の人を描写しないようにしたって誰かのことを書いていることになってしまう上に、全て主観で見たこと聞いたことから考察したものとなりますので、大半を有料記事としたいと思います(結局フラットにはなり得ませんね)。目次をお読みになってもし興味をお持ちだったら、ご覧になってみてください(私をよく知る方で読みたい方がいらっしゃればご一報ください。文章をお送りします)。


この記事を書く私の視点について

 まずは、これから書かれることが、どういう視点で描かれたものなのかを最初にお断りとして説明させていただきます。

 私は、プロフィールでも少し触れていますが改めますと、東京藝大の彫刻科を2012年に卒業、その後2017年に博士課程を修了し、2021年までスタッフとして勤務した筋金入り純粋培養の濃厚藝大生です。スタッフとしては2年間木彫研究室の助手として、続けて3年間を助教(藝大彫刻科では常勤の助手的な立場で授業は持たない事務員のような立場)として任期を終え、今はフリーターです(なんでもお仕事待ってます!)。

 研究室で仕事をしているときは、制作(アカデミシャン的にいえば研究)の時間が取れない、給料が安い、などといった不満を爆発させていましたが、助教の時にそれなりに労働環境の改善や学生時代に感じた不条理などを先生方にぶつけ、対処した自負があり、当該科には恨みは全くありません(自分に得は一つもありませんでしたし、逆に恨まれているかも)。むしろ見聞が広まったので全ての先生方に対して本当に感謝しています(以下の文章に悪意はないよの意味です)。

 そして、こういうことをネット上に書いている以上、大学に指導的立場で戻る縁はないと思うので、それも目指していませんし、そもそも作家として実績(及び社会的な評価)が全くない以上それはあり得ない人間です。その上大半の先生からは嫌われていると思いますしね苦笑。

 藝大の博士課程を修めたということは、権威ズブズブの濃厚コッテリ系なのですが、いかんせん学生時代は割と孤独に制作し、友達も少なく展覧会も行わなかった関係で今はほとんどコネクションがなく、作家としても梲が上がらない日々です(お仕事なんでも待ってます!特に展覧会系の!2回目)。

 また、私は五体満足の男性で、昨今話題の差別問題にもあまり相対してきませんでした。なので無自覚に性差別やセクハラやアカハラなどの加害者であった可能性も否定しきれません。

 そういったような、かつて権威の中心の末端にいたが今は社会的な力を今は持っておらず、叩けば出る埃もあるかもしれないようなやつが書いているものとして読んでください。

藝大に集まる人は奇人でも変人でも天才でもない

 これは中の人ならみんなわかると思いますが、藝大生と言うのは、「作ること」と「評価」に対して愚直に真面目と言う人がほとんどです。「作ること」を「仕事」に置き換えれば、それがどんなに普通な人種であるかわかると思います。またこの「評価」には、「自己評価」や「他者からの評価(アカデミックな評価や社会的な評価)」、はたまた「自分を他者に評価させること」といったものが含まれています。高い倍率の入試を勝ち抜いた人たちなので、作るのが好きと言うだけではなく「作品を見せる」と言うことに自覚的かつ客観的であり、しかも他者からの評価に忠実である側面を持ちます。なので、俗に言う天才や変な人とは程遠い人々だと私は思っています(もちろん例外はたくさんいます)。

 逆に変な人と言うのは、承認欲求が強すぎて、藝大に入ったことで受験に勝ち抜いたと言う自尊心から、「作家である=好き勝手の破天荒が許される」と思い込んでいく人で、後天的にそうなっていくケースがあるように思われます。それは学生のみならず、教員もほとんどが藝大生なので権威側にこそそういう人がいるわけです。純粋培養承認欲求オバケというやつですね。藝大の面白い部分も、よくない部分もそこにいる人間がみな「作ること」「見せること」に愚直であるが故に生まれるものなのだと思います。

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