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食のぜいたく

こんばんは。世間でいう4連休は、ほぼ毎日「日差しの強い屋外」に出かけてました。長袖を着て正解です。最強を謳う日焼け止めもこまめに塗り直してました。これから暑くなると、ベースメイクをするそばから、顔から汗が噴き出て、日焼け止めがやっとになると思います。

某100円ショップで、日よけの腕カバーを買いました。いざ腕にはめてみると、肌色が透けて見える。色は黒です。これはもう、1年限りの使い捨てと割り切るしかないかもしれません。

今日はタイトルだけ決めて、放置していた話題です。「食のぜいたく」なんて言ってられない世の中ですが、昭和の時代を振り返ると、私はずいぶんとぜいたくさせてもらったなあと思います。

父方の祖母の家は農家をやってました。家族で祖母の家に行くと、野菜をいただくことが多かったです。いろいろありました。
はいもう、「農家だから採れたて野菜を食べられた」って話ですね。具体的にどうだったかというと……。

まずお正月にお餅をいただいてました。今思うと市販の切り餅の倍くらいのお餅です。お雑煮に入れるのも、お椀に2個でお腹いっぱいになりました。腹持ちがよかったんでしょうね。
あと臼と杵でついたお餅だったから、食べたときつぶつぶ食感がありました。今はもう味わうことができません。毎年お正月にお雑煮を食べると、つぶつぶ食感を思い出します。

未だに食べられないものとして、長ねぎがあります。玉ねぎもあまり得意ではありません。薬味のねぎは何とか我慢して食べてます。
祖母の家の長ねぎは柔らかかったと記憶しています。両親から「ねぎを食べなさい」って言われ、口にしたところ、とろっといった(でも苦手だった)。

そういえば、両親はあの手この手でねぎを食べるように、いろんな言葉をかけてました。最大級に強烈だったのは、

「ねぎを食べると頭がよくなる」

どうやらそれは本当のことだったらしく、現在も頭がいいとはいえない大人になってます。そしてそのねぎを違う意味で食べられなくなり、挽回のしようがなくなってます。

他にもじゃがいもも美味しかったです。現在JAの畑で年に2回、じゃがいも(夏)と大根(冬)掘りがあります。土に触れるなんて貴重な体験だと、率先して行ってますw 市の広報で市民農園の案内を見て「畑仕事やりたい」と思いますが、家族には無理だと言われます。それでもプランターで育てることのできる野菜に興味があります。

今はもう食べることができないことを思い出します。子どもの頃は当たり前だったことも、大人になって食べられなくなると、「あれはぜいたくだったなあ」ってことに気づきます。「美食」ってほどでもありませんが、スーパーの野菜とは違うんだなあ。

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