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平安時代にとっての「古典」

こんばんは。40過ぎても「子どもの心」なんていうのは、ちょっと変かもしれませんね。親しい友達のお子さんが小学生で、そういう姿を見ているからでしょう。私の兄弟にも子どもはいます。ちょっとした行動に大人びてゆくのを感じます。「yukina*ちゃんは年齢の割に幼稚…」と思われてたりしてw

最近の本の話。まだ読み終えていません。古典文学を大胆に解釈した文庫本で、自分がこうして文章を書くのに役に立つか考えています。
古典文学は(古くて)千何百年も昔から生き延びてきて、令和でも読みつがれてるわけであります。国文学科を卒業しているのもあり、私は「古典文学を学ぶことは必要」というスタンスをとっています。

大学時代、「万葉集は平安時代の教養になったのだろうか。万葉仮名は解読可能だったのだろうか」なんて考えていました。もっと深く追求すれば、論文の1本も書けたかもしれません。
今の大河ドラマを見ても、平安時代の人の教養には古今和歌集があったとありますからね。万葉集はそれより200年は昔の歌集です。

平安時代の人が、どうやって万葉集をその後の時代につなげていったか、考えたこともなかったなあ。江戸時代の万葉集研究者については勉強したけど(江戸時代なんて、平安時代からはずいぶん後の話ですね)。

あと、大昔宝塚歌劇で「花の業平」という、在原業平を主人公にし、伊勢物語をベースにしたお芝居がありました。「紫式部たちの時代じゃないから、当時の衣装ってどんなものだったのだろう?」と想像しまくってました。あんまり資料なかったのだろうと推察されます。

古典が不要と思う人って、読むのが面倒とか古語が難解とか、そんな理由でしょうか。確かにくずし字を解読するのは難しいです。ひらがなのもととなる漢字がわからなければ、これは無理! 
人の心は、1000年前も令和の今も読み解くのは難しいです。想像力をふくらませて、文章を読む必要はあるんじゃないかと思います。

今読んでるのは、鎌倉時代に書かれた古典を大胆に解釈したものです。自分の文章がどうすれば人に読まれるか、そのヒントは古典にあると考えます。時代はそれこそ平安時代になりますが、清少納言の枕草子は共感できるし、感性のアンテナを高くするにも有益だと思います。女性が書いた作品だから、余計そう思うのかもしれません。

大学受験の際、外部の模擬試験でぶち当たった古文の問題、あれはどこからどうやって探してきたんだろう?と思いながら取り組んでました。文学史で頻出する文学作品ではなく、「出典……これ何?」と頭が真っ白になってました。自分の学校よりもっとレベルの高い学校(進学校)の人たちは、知ってる古典作品だったかもしれませんね。

分野はどうであれ、自分が文章を続けて書くためには、本を読むことは必要です。古典に触れるのも気分転換というか、「何故読みつがれてるか」を考えるヒントになります。

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