令和という時代の転換点を前に、より良き文化継承を模索していく小さな集まりを実施しました。

こんにちは、しょうけいです。

ついに新元号が発表されましたね!発表されてから、「あ、今日だったんだ」と思うくらいで大はしゃぎすることはなかったのですが、「何か変わっていくんだな」としみじみ思う昼下がりを過ごしてほっこりしました。

令和に込めれた思い

安倍首相がこのように語っていたことが印象に残っています。

そして、この令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております。万葉集は1200年あまり前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく防人や農民まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。

悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました。

文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和な日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ち溢れた新しい時代を国民の皆様と切り開いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております。

(HAFFPOST 【安倍首相談話全文】「令和」に込めた思いは… 「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」より)

最初に「令和」と見た時は全くしっくりこなかったんですが、万葉集という大昔の歌から紡がれた言葉だと知って、好意的に受け取ることができました。

私は日本人として生きよう!と国に対するアイデンティティは普段からそんなに感じないタイプです。しかし、この言葉は今の時代精神にマッチしているように感じ、そこに流れる思いのほんの一部を汲み取って、自分の活動の流れにも活かしてみようと思えました。

文化継承について考える小さな集まりを実施しました

さて、本題に入ります。3月31日、いつもお世話になっている神谷町の光明寺さんで文化継承について考える集まりを実施しました。場所を使わせていただき、ありがとうございました。

大々的な告知はせず、直接メッセージをして呼んだ参加者7名の会でした。

法衣店出身のアトツギ仲間、アパレルの会社のファッションデザイナーの方、最近お茶を始めた知り合い、お寺出身の方(3名)、自分で着物を作っている方というメンバーで、ゆったりとした時間を過ごすことができました。

そもそもなぜこれをやり始めたのかということを少し共有させてください。

私の時代認識

今は過渡期です。生き方・働き方・作り方など、これまで多くの当たり前だと思われてきたものが揺らいでいます。揺らぎの時の特徴は、新しいものと古くからあるものが混在し、未来からのイメージに引っ張られることもあれば、過去からのイメージに引っ張られることもあって、物事に葛藤するということが起きやすいということだと思います。

何が正しいのか分からない。そんな声が聞こえてきそうです。正解があるのかはともかく、既存の物事の問い直しが起こっている時代であるのは間違いなさそうです。

特に情報革命によって、物理的な制約を超えて情報にアクセスしやすくなったことは私たちの生活を激変させていると思います。むしろ下の世代のデジタルネイティブの方々の感覚は、上の世代からすると宇宙人とも言えるくらいに隔たりのあるものなのかもしれません。

新しさと日常の営みのバランスを取っていく

このような過渡期に重要になるのが文化だと思います。文化という流れはこのようなプロセスで移行していくものだという前提を持っています。

新規性の発掘・表現→価値の伝播→習慣の形成→安定的慣習の維持→慣習の手放し

芸術や音楽など、文化的な領域の多くはこれまでにない表現の価値を模索し、新しい価値観を提示することが得意です。あくまで経験の中での私なりの考察なのですが、この産業の領域にいる人はわりとそういう傾向が多いなと思っています。

文化は新規性の追求だけではなく、日々の営みとして現れます。新規性のある行為は習慣化という壁にぶち当ります。これまでの文脈から離れてしまった習慣は個人個人が身体に刷り込んでいくことが難しいものです。でもその中でもいい感じに受け入れられていくものもありますよね。これが寄せ集まっていくと習慣が慣習になって安定していきます。この変化は一瞬で起こるものというよりも、時代の空気感の中で徐々に起こっていくものではないでしょうか。

新規性の追求と表現が起こると、これまで安定化していた慣習が脅かされる可能性があります。安定だと思っていたものが不安定へ。その時には多くの人が感情的になったり、精神的苦痛を感じる人も増えます。もちろん、逆に未来への希望を感じて面白さを感じることもあります。どちらか一方しか感じないというものでもなく、過渡期にはさまざまな感情体験が現れてくるものです。

特に、このような感情を抱きやすいのが、「伝統」と名の付く人たちだと思って、その人たちがしがらむのではなく、クリエイティブに生きていけるように生きていけるように自分自身の命を使っていきたいと思っています。

「伝統」という傘の下では「過去」との向き合いに常にさらされる

私はお寺の領域を中心に、最近は多くの後継者の方々、継いだ人たちと話す機会が増えてきました。実は私も「継ぐものがあって・・・」といきなり伝えられて、相手のこれまでの人生の歩みを知ることもあります。

そこでよく聞くのは、「初めは継ぎたくなかった」という言葉です。これがあまりにも多いのです。もしくは継ぐんだ!と言っているのに、どこかその言葉に嘘が紛れ込んでいる人がいます。周りの環境に言わされているという雰囲気が醸し出される人です。

本音が聴きたいんですよね。

葛藤してるなら葛藤してるでいいと思うんですよ。逆に本心で伝統のこういうところが面白くって!!と目をキラキラさせながら語ってもいいと思うんです。

真摯に自分の内面の揺らぎを受け止めるのって案外難しいのかもしれません。私は東京に暮らしているのですが、効率的に生産的に行動することが知らず知らずのうちに促進される環境下では、自分の小さな心の揺らぎを感じることができなくなることもあります。

こうすべき、ああすべきという考えが頭の中を嵐のように飛び回ります。伝統の領域の方々は、とくにこれまで継承されてきた人との関係や、代々継がれてきた技術との関係、さらには家族関係などその伝統を大事だと思う関係者の方が周りにたくさんいらっしゃるでしょうから、自分の本心を語ることがいつのまにか難しくなってしまっていることが多いと思います。

そんな伝統の文化の中で、「継ぐ」ことを考える仲間たちが、自分の本音に気づいていくことができる場所があるといいなと思いました。今回のイベントは小さな一歩でした。

何をやったのか?

2人の人にプレゼンをしてもらいました。話題提供のプレゼン10分、そのあとに参加者同士でのディスカッションです。全員が参加者です。私も伝統と向き合う1個人として参加させていただいています。

一番最初に会の中での話の進め方の共有をしました。

・出てきたアイデアを取り入れるかどうかはプレゼンターが決める
・アイデアは所有できないもので、みんなで育てる

これを大事にできればと思いました。

この場では誰もが文化をどう継ぎ、発展させるのかを考える当事者だと思って関わっています。

文化を継ぎ、発展させることを考える時、継ぐ家や事業があると大々伝わってきた継ぐものがあるとか、そういうわかりやすいものでなくとも文化継承に触れることはできます。文化継承は人の営み全般、これまで紡がれてきたものにどう向き合うのかを自分なりの距離感で掴んでいき、どの程度活かしていっているのかを表す言葉なのだと思います。誰でもアクセスすることができるものです。

家業や技術など、そういうものとの距離感が近い人は象徴的な存在であるだけで、誰しもが文化を継承していくことと向き合うことができます。

文化といっても過去にさかのぼればさかのぼるだけ今に活かすことができるものがありますので、到底一人で全てを継承することはできません。

だから、任せればいいのだと思います。

「自分はこっちの文化の継承を考えてみるよ。」
「俺はこれが好きだから継承していきたい。」

こういう話が生まれたらいいなと素朴に思っています。

どのような話が出てきた?

3時間の会の中で多くの話が出てきました。到底書き出すことができない量になってしまったのですが、ほんの一部だけ共有します。

・持続可能な世界へ移行していくためには、もっと作り手の人が見える形になっていかないといけないのではないか。私たちは大量消費社会の中で培ってきた慣習を捉え直して、誰も犠牲にしない形を模索していくのがいいのではないか?

私も最近このように考えるようになってきたので、とても共感でした。

とくに伝統の領域の方々が、自分を殺して生きずにすむようになればと思っています。ただ、伝統との関わりの中で、「こうすべき、ああすべき!!」と声高に主張しようとしても普通の環境よりも叩かれる機会が多いと思います。さらに必ずしもオリジナリティを追求するということが正しいわけではありません。むしろどこまでいっても私たちは他の人になれずオリジナルな存在でしかありませんから、オリジナリティへの執着を離れ、本質的により良き文化が生み出されることに貢献することにエネルギーを使った方が得策なのではないかと思います。

・(お坊さんの衣服を作る法衣店のアトツギさんの話)これまでは法衣店はお寺さんに法衣を売ってきた。生産者ー消費者という関係が固定化されている。むしろ今後の時代はお寺さんのパートナーとして一緒に価値を発信していく関係になっていったほうがいいのでは?

消費者で一方的に受けていくだけという関係性が固着していくとどうしても文化の最初のフェーズ、「新規性の発掘」は起こりづらくなります。

目的が設定されすぎていると、その方向にしかコミュニケーションは流れていきません。どちらかがどちらかに過度に依存している形になると、片方が潰れたらもう片方も潰れていきます。

お寺と法衣店は一つの関係性の例ではありますが、パートナーシップという発想は今後のキーになってくるのだと思います。

お金が全てだとは思いませんが、現代の資本主義社会の中で持続可能性を考えるにはお金は重要ですよね。文化の衰退期には次の文化の「新規性の発掘」とその文化への移行が起こっていかないと、関連している諸文化が沈んでいってしまう。だから、関係性のあり方を捉え直して、ともに力を出し合って、新しいビジネスモデルを作っていったり、実験をともにしていくことができるといいですよね。

埼玉の蕨市に伝わっていたけれども途絶えてしまっていた「双子織り」が復活した話。伝統は過去のものではなく、今の瞬間を生きている人が紡いでいるものではないか?

この話をプレゼンしてくれたのは、今回の話題提供者だった保坂さん。その伝統織物を活かしたスポーツウェアの話はとても面白く魅せられました!スポーツウェアについてはWEB上の記事に書いている人がいましたので、見てみてください ♪ 記事の左の方が捨てないアパレル・株式会社ニィニのファッションデザイナーの保坂さんです。

ちなみに伝統についてはまさに保坂さんが考えてらっしゃるように思います。今の瞬間の現象こそが全てであると思っています。

(前述)新規性の発掘・表現→価値の伝播→習慣の形成→安定的慣習の維持→慣習の手放し

伝統文化の方々は相対的に安定的慣習の維持が得意な方が多いと思います。これまで受け継がれてきたことを極力変えずに、繰り返していくこと。これをおこなうことができるのが素晴らしい点です。変えずにおこうとしても変わっていくものですが、その慣習を再生産していく営みは集団になった時にとても効力を発揮し、文化という流れを紡いでいく大きな流れになります。

私がこの話をする時に想像しているのは仏教の継承の文化です。2500年続いてきていることは尊敬の念しかありません。これまでのあらゆるご縁があって、それぞれの役割の人たちが紡いできた文化を今私たちが体験することができるのですから。

しかし、慣習を維持することが得意な人は新規性の発掘・表現の部分は苦手だったりします。

先人の方々を活かし、先人の方々から自由になる

伝統という話になる時、語る人の背後にその人以上のなにがしかが現れると思っています。幽霊ではありません(笑)それは先人の方々です。

この本にも書いてありましたが、「伝統だから」という言葉に反論しにくいですよね。その時には、過去のさまざまなものを背負っているんだという意識とそれが長ければ長いほど良いという考えの前提が働いているのかもしれません。

慣習は確かに定着してきた。それは素晴らしいものだと思う一方で、それがあまりに固定的になって現代の流れに適応できなくなってしまうと、その伝統も維持することができず衰退してしまいます。常に伝統は伝わってきた結果でしかなく、その伝わり方は常に創造されてきたものです。(たとえばみんなが伝統だと思う初詣なんかはここ100年くらいの歴史でしかありません。慣習として定着しているから、それって変えていいんだっけ?とかそういう思いも湧いてきたりします。)

その都度アップデートしていかないと途絶えます。その時にそれは新規的な発掘が好きな人間たちがやっていけばいいのだと思います。色濃く形式を継いでいくことは慣習の維持を行うのが得意な人が行い、実験はそれが好きな人が行っていく。

それらは敵対する関係ではなく、ともに文化を伝えて、継承していく仲間であり、役割が少し違うだけなのだと思います。伝統か革新かという二項対立ではないのです。

文化継承の会を行ってみて、私は慣習の維持にフォーカスがあたりやすい伝統文化の領域に若い人たちが実験を行うことができる余白を作っていきたいと思いました。実験の芽が摘み取られないように、上の世代を味方に付けつつ、今後生まれてくる子たちがいいと思ってくれるようなシステム作りやサービス作り、人のご縁を紡いでいくことをやっていこうと思います。

そして、また時間が経ったら、「このままではまずいんじゃ!」と実験精神旺盛な人がひっくり返していけばいい。諸行無常。生まれたものは自ずと無くなっていく。

参加してくれた人の声

ここで参加してくれた人の感想を紹介しようと思います。参加してくださってありがとうございます。自分自身の目線から語る伝統や文化という切り口だけでなく、場にいる人たちが自ずからどのように思うのかの方がよっぽど重要です。

私が作っていきたい環境は周りに強制される伝統観・文化観ではなく、自分なりの

1人目

「伝統=先人たちの重みがある、尊い、厳格、絶対に変えてはいけないもの」と思っていて、うまく言葉にできないモヤモヤと息苦しさを感じていた。でも、この自由な集まりで「思想を継ぐことと、仕組み(体制)を継ぐことは別の話」と聞いて、ストンと腑に落ちた。

「伝統」という言葉は、現代でいう「AI」みたいなマジックワードなのかもしれない。深く考えずに盲信したり、距離を置いてしまいがち。

だけど、一番大切だと感じたのは「伝統」とされているものの何が本質的な価値なのかを考えたうえで、自分なりに実践すること。私がやっている茶道の場合、一杯のお茶を通じた心からのおもてなし、である。そこさえ意識できれば、「伝統」と、もっと楽しく付き合っていけそうだと感じた。

2人目

・一番強く印象に残ってるのはやっぱり「犠牲」のワード。伝統ってともすれば、アップデートの意味合いを含むも含まないも「残す」「続ける」意識強めだけど、それは誰かの犠牲の上にあってはいけないって改めて。ビジネスでもゴーイングコンサーンって言葉ある。健やかに自然と続いていける仕組みはきっとそこに犠牲の要素は含まないだろうから、事業進めるときもここは念頭に置きたいと思った。中小ってマンパワー足りないとかいろんな理由でこれを正当化しがちだし。ほんとに。
   
・あとは各論になるけど、お寺って開かれた場としての機能があったけどそれも時代によっては変わっていくのか?なんて思った。これは参加者の一人からネット社会における「身バレ」の怖さに関する発言から。自分じゃ気づけない発想を知る機会になった。
  
・全体的には、みんな伝統を自分なりに捉え直そうとしていて、その思想とかフレームワークは糧になる。もっといろんな人の伝統論聞きたい。いい時代に生まれたなーとも。笑

3人目

文化、伝統として今まで継承されてきたものは、やはりそれぞれ魅力的なものを持っていて、それらが今後横で繋がって融合していったら、むしろなぜ今まで思いつかなかったんだろう?というくらい違和感のない新しい何かが生まれそう、そんな予感がする話し合いでした。

プレゼンをしてくださったお二人に共通していると感じたことは、家業のこれまでの歴史をよく理解されているということ。やはり過去を知るからこそ、引き継いでいくべきものや思想が見えてくるのだと再認識させられました。

また、先日の集まりでは、たとえ今の職業が文化とは直接的には関係なかったとしても、その方が持っている文化への興味にスポットを当てて話すことができたので、自然と一体感のある空間を楽しむことができました。

※感想をもらい次第、追記します!

次の文化承継の会@東京

次の文化継承の会は、日程調整中で4月21日の昼帯に行おうと思っています。現在、東京の会場のお寺さんとの間で調整中です。

この会を通して、多くの伝統に関わる方々と「私の文化継承」について語っていけたらと思っています。特に自分と歳が近い20代、30代の人たちと、共に。

もちろん考えていくだけでなく、実践していく中でしかそれは見えてきません。だけれど、気兼ねなく相談できる人たちがたくさんいたら、小さなアクションが起こしやすくなるんじゃないかな。

また、アクション志向である一方で、同時に何もしてなくてもいいゆるさも併せ持った場所であってほしい。普段から継承者・継承者候補・何かしらを引き継いでいこうとする人は先人や先代からのさまざまな人間関係の中で、いつの間にか期待される役割を生きている場合が多いから。そこから外れることができて、フッと気持ちが軽くなるクリエイティブな場の探求がしていけたらいいな。

告知

ここからは告知です!

これは京都でのプログラムなのですが、4月27日・5月25日の二日間のプログラムを哲学者の方とコラボレーションして行うことになりました。

なかなか自分たちが置かれている状況を客観的に見るのって難しいと思うんですけど、哲学的な対話を行いながら、それに気づくことができるようなプログラムを作っています。

哲学者の人とやる理由は、あらためて「伝統」って何なのか?ってことであったり、「文化」って何なのかを考えることで、ついつい不要なものを抱え込んでいたことに気づいて手放していくきっかけになればと思うからなんです。自分なりの言葉で伝統、文化について語れると、周りの人への説得力も変わってきます。

そのような哲学を通して自分のあり方をアップデートするプログラム。ぜひ興味ある方はチェックしてみてください〜!(注意:開催は京都です。)

文化や伝統についての問いを振りまく1年になりそうです。

平成から令和へのトランジション、心から楽しんでいきましょー!

頂いたサポートは、生活と創作(本執筆)のために、ありがたく使わせて頂きます!