電子レンジとフォーと料理

とある料理の先輩と話をしました。久しぶりに会った方だったので、話題はあれこれ盛りだくさんだったのですが、その中で印象深かったことと絡めて。

時代の変化に伴い、家庭での料理が非日常化しているなという話。
SNSで他人のおしゃれな食卓写真を見て、自分にはできないと落ち込んでしまう人。
料理をしようという気持ちはあるものの、面倒くさいことはしたくない。包丁を取り出して大きなキャベツを切るということにハードルを感じてしまう人。
レシピを見て、知らない材料が書いてあると、本を閉じてしまう人。
本屋に行けばレシピ本は山ほど並んでいますが、目立つのは、既存の調味料や加工食品を組み合わせて完成するようなもの、電子レンジだけでできてしまうようなもので、とにかく簡単であることが大前提な印象です。

私自身は料理好きで、料理ができることで体験できる素晴らしいこともたくさん知っているので、勿体無いなぁなんて感じるのですが
もちろん、最初から料理ができたわけではありません。
結婚するまで実家暮らし、母も祖母も料理が好きで、特に手伝わされる場面もなく、指導もされず、母から受け継いだ味と呼べるのは本当に片手で数えられるほどで、今作っているものの殆どは、自分で調べたり考えたりしたものばかりです。
そういう自分の経験から、家事や料理を教わってないから、つまり経験が少ないから今の若い人たちが料理をしない…わけではないよな、と思っています。

今の私は、料理に電子レンジを使うことはほとんどありません。
特に主義主張があるわけではないですが、慣れてしまうとガスコンロの火のほうがコントロールが簡単で失敗が少ないからですが、実際の料理体験のスタートは、というと、実は私も電子レンジでした。
最初の記憶にあるのは、じゃがいもとコンビーフとマヨネーズのホットサラダ。実家に電子レンジが登場した頃に、母親が教えてくれたものです。恐らく、子どもでも簡単にできるということで、一緒に作ったのだと思います。
一口大に切ったじゃがいもとコンビーフを皿に広げ、マヨネーズをぐるりとかけてラップをし、数分チン。
そんなことで、それなりに美味しいものが完成するのは、子どもである私にも楽しい経験でした。

その次によく利用したのが、ある程度大人になってからのお弁当づくり。冷凍食品を使うこともありましたが、それも身体によくなさそうだなぁ、なんていう狭間で編み出した簡単おかずたちです。
ブロッコリーを1−2房カットして水洗いし、濡れたままラップしてチン。
ピーマンを適当に千切りし、鰹節とポン酢をかけてチン。
えのきにごま油、白ごま、醤油をふりかけてチン。
火を使うのは卵焼きくらいで、あとはチンチンチンと、適当なお弁当を作ったものです。

その時に強く刻み込まれたのが
「食べ物は、火を通して塩味さえついていれば、大概食べられる」
というベーシック。
それは今に至るまで私のホームみたいな感覚になっていて、だからこそ、失敗も大して怖くない。「料理」の最低ラインが低く、ある意味鈍感で大雑把な感覚を持ち合わせているからこそ、未知のレシピにもチャレンジできているのだと思っています。

そんな中で、自分でイメージして食材を組み合わせ、少し複雑な料理を完成させるという体験のきっかけとなったのが、ベトナム料理のフォーとの出会いでした。
まだまだエスニック料理が珍しかった頃。大阪市内にとあるベトナム料理店ができ、大変な人気だったので、私も友人と出かけてみました。その時食べた、鶏肉のフォーの美味しさ!
しばらくするとまた食べたくなるのですが、そうそう通うこともできず、でもどうしても食べたくて作ったスープが、当時の私にとっては大成功。
顆粒状の鶏ガラスープをお湯で溶き、ナンプラーとレモン汁を数滴。見事「フォー欲」の満たされるスープが完成したのです。これまた当時はまだ珍しかったパクチーがあれば尚良、母親が珍しがって買ってきたものの、放置されバリバリと砕けていた生春巻きの皮を崩して投入すれば、それっぽい食感も味わえます。

どちらも、「美味しいものは食べたいし」「料理に興味が無いわけではないけれど」「実際は面倒くさい今の人たち」の感覚にも近い経験なのではないかなと思っているのですが、どうでしょうか。異なるとしたら、失敗を恐れたり、他人と比べたりしない(当時は比べようもなかったわけですが)という点でしょうか。私が言いたいのは、「今の人たち(の多く)は料理をしない」のかもしれないけれど、それを導き得る側の人間が、彼ら彼女らをその場所に押し込めるような認識を持つのは望ましくない、ということです。

料理が非日常化してしまうのは、とても寂しい。というか、「生きていく」上で大変に心許ない。
それでも、人間は食べるのが好きな生き物です。
今の日本では、美味しいものは身の回りにあふれている。そのインプットは、大きな強みになります。フォーを食べたことがなければ、食べたいとは思わないのです。

「面倒くさい。だからやらない」
といい切ってしまう潔さは、勿体無いことではありますが、その中の何割かは、膨大なインプットや美味しいもの欲に後押しされて、あるいは生活の中の何かのきっかけで、料理に向かうことになるでしょう。
そして、自分の手でそれなりに美味しいものが作れるという感覚は、生きていく上で大きな自信、歓びとなるはずです。
料理ができないからダメなわけではありません。
料理というのは、数ある生活スキルの一つであって、それだけを重大視する必要はありません。(特に女性は、「料理が苦手」ということを、時に恥ずかしそうに言う、それも変な話です。「車の運転が苦手」を恥ずかしそうに言う人はあまりいないのに。)その点は大前提とした上で、今は料理のハードルの手前にいる人が、ある時ふと「その先」に目を向けた時に、そのハードルは、実はそんなに高くないんだよ、ということを伝えられたらいいなぁと、そんなことを考えました。





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