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アミナと100フラン

このnoteは、まあまああるあるの感情をそれっぽくつらつらと書いただけなので、そこんとこご容赦ください。(3月に書いた原稿を6月に少し編集し、それをさらに最近編集したものです。なので半年前くらいの話です。登場人物の名前は仮名です。)

ダカール

8:30AM。ダカールの舗装しきれてない砂まじりのひび割れた道を、つまづかないように地面を見つめながら歩く。ここでの留学が始まってから2ヶ月。もう完全に慣れきった生活の中で、自分にとって1日の始まりを告げるものが三つある。

一つ、家の前のグラウンドで朝7時からサッカーボールを追いかける子どもたちの騒ぎ声。

二つ、ろくに機能もしない信号の代わりに、交差点のど真ん中に突っ立って交通整理をしている警察官の甲高い笛の音。

そして、三つ、毎朝ボロボロのサンダルを地面に擦りながら駆け寄って来るアミナの憎めないニヤニヤした顔。

住宅街から大通りに出ると、ピンクのヒジャブを纏ったアミナは、とびきり人懐っこい笑顔と少しだけコインが入ったヌテラのプラスチック容器を携えてこっちに駆け寄って来る。彼女はただひたすら繰り返す、

「100フラン、100フラン」
(フランはセネガルの通貨。1フラン=0.23円)

昨日はあげられなくてごめんね。でも大丈夫。安心して。今日はちゃんとコインあるよ。だって昨日オーシャン(ダカールでそこらじゅうにあるフランス資本のスーパー)でお札崩して、コインゲットしてきたからさ。

アミナにお金をあげられることに対する、なんの類かわからない安堵の気持ちを抱えながら、財布から出した100フランをアミナに渡す。満足気な表情を見せた彼女は、人懐っこく次の人へとおねだりを続ける。

ここを毎朝突っ切っていきます。なんか指入ってるし

ダカールでは大人、子ども関係なく、ホームレスを見ない日はない。いや、正確には全員がホームレスではないって習ったっけ。隣国のマリやギニアビサウからきた移民の人たちはホームレス。でも、アミナみたいな路上にいる子どもだちはTalibè(タリべ)という。イスラム教徒が約95%を占めるセネガルでコーランを学ぶ学校に通う子どもたちのことを指す。

コーランを教える先生はMarabout(マラブー)と呼ばれ、人々の尊敬を集める存在だ。子どもを養う経済力がない地方の貧しい家族が子どもをマラブーの元に送り込む。なぜならマラブーはコーランを教えてくれるだけじゃなく、食事と住む場所も提供してくれるからだ。

ただ、現実はそんなに良い話じゃない。タリべはストリートで毎日マラブーに指示された額のお金(500フランくらい)を集めて、渡さないといけないからだ。集められなかったら、罰として暴力を受けたり、ご飯も与えられない。

えらい、、、の?

初めてアミナに会ったのはここにきて10日目くらい。まだダカールの景色が新鮮だったぼくは、物好きな観光客みたく、好奇心のままに名前を聞いてみた。

Comment t'appelle tu?(名前なんていうの?)ーAmina(アミナ)

人一倍おてんばで、笑顔が素敵な女の子だと思った。

そして、いつからかぼくはお札を崩すためにわざわざスーパーに行くようになり、アミナが駆け寄ってきた朝は、彼女にコインを渡すようになった。特別な理由はないけど、アミナの溢れんばかりの笑顔とおてんばさを見てると、なんか渡したい気持ちになってくる。アミナがぼくをお金を渡したくさせる。そういう彼女のエネルギーにいつも負けて、でも負けることをどこか気持ちよく感じている自分がいた。

でも、他の人はそうじゃないみたいだった。一緒に学校に通っている友達は、アミナとの100フランの交渉を難なく制してスタスタと歩を進めている。ぼくがお金を渡すために立ち止まると、「えらいね」とか「優しいね」って言ってくれる。

いや、、でも、、違うんです。

「偉さ」とか「優しさ」とか、そういうのじゃないんです。少しでも貧しい子どもたちを助けたいみたいな「正義感」でもないんです。ぼくだって、ストリートチルドレンにお金を渡すのは持続的ではないということくらい勉強したし、こんなことで彼女の人生が良くならないことはよくわかっているつもりです。

でも、「彼らのためにもお金を渡さないことが最善と判断した日本人」になるのはどうしても気持ち悪いんです。だって、「彼らのため」とは?「最善」とは?

毎日、毎日、私たちは冷房の効いた部屋でタリべの歴史と理不尽な日常、いかに彼らの人権が踏み躙られているかをたくさん学びました。それでも、現実では彼らを助けられないどころか、目を合わすことすらできない。まるでそこにねだってくる子どもは存在しないかのようにスタスタと歩く。汚いものを見る目でもないし、見てはいけないものを見てしまった目でもない。ただ、灼熱のダカールの路上の一点で自分と相手が交わるその瞬間に、自分ではどうしようもできない世界の不平等を見た気がして、この社会における自分という存在の小ささと弱さをまざまざと見せつけられて、その現実に面と向かって目を向ける勇気と自分でこの世界を変えていける自信がないから、ぼくは未だに彼らと目すら合わせられません。

でもアミナは目を合わせてくれる。「逃げんな」と言われてる気がしてびくっとしながら、お金を渡す。

そのお金の流れは「あなたを忘れない」という意思表明。

そのお金の流れは「勇気を出して向き合っていきます」という決意表明。

そのお金と共に、優しさと価値観が流れていく。

ありえた人生だと思うから戸惑う。神様がランダムに生まれる場所を決めてるとして、そのピンが1ミリでも左にずれていたら、ダカールの路上で物乞いをする人生だったかも。

意味がある、と言えないから戸惑う。生命は永遠で、過去世の行いと宿命が今の人生を決めているとして、「あなたの人生には必ず意味がある。あなたの使命がある」と彼らの目を見て言えるだろうか。もし意味があったとしても、あまりにも苦しい。

なら良いか

フランスが資源とお金と力欲しさにセネガルを植民地にしたから、セネガルの人は今も貧しい暮らしをしている。セネガルの政治家たちが、求心力のあるイスラム教の指導者を政治のために良いように利用したから、マラブーは子どもたちにお金を集めさせないといけなくなった。マラブーもマラブーだ。子どもを暴力で従えて、お金を集めさせるのは、許されることではない。

だから、ぼくは悪くない。アミナも悪くない。悪いのは世界である。このシステムが悪いと思いながら、仕方がないと諦めている社会である。

しかし、

そんなことは百も承知でも、社会のせいだからと開き直ることはできなかった。日本という恵まれた国に生まれ、基本的に不自由のない生活を送り、今フランス語を学ぶためにセネガルに来た。そんな自分になぜか責任感を感じていた。

あ、でもそれって成長かも。

もし、全然関係のない他人のことを想い、遠い世界に生きている人のことを自分のことのように捉えることができて、自分は無力だと悲しくなり、それでも何とかしたいと思えるようになることが「学ぶ」ということだとしたら、ぼくは間違いなくセネガルで学んでいたと思う。

やさしさ

5:30PM。夕日に照らされたダカールの海をぼんやり眺めながら、海沿いの帰り道を歩く。「優しさで世界は変わると思う?」とルームメイトのアメリカ人のベンに聞いた。「君1人の優しさでは何も変わらないと思う。でもコレクティブな優しさがあれば何か変わるんじゃない」と彼は言った。

学校からの帰り道

信じよう、と思った。いかに社会の中で優しさを感じられなくても、一人一人の優しさがいつか集まると。そんな感性的なものでも、社会を変えていけると。

明日もまた、ぼくは学校に行き、冷房付きのクラスルームで、世界がいかに問題に溢れていて、どうすれば解決できるのかを学ぶ。帰り道には何人ものホームレスの人の前を、目も合わさずに通り過ぎるだろう。それでも、財布の中にコインがある限り、ぼくはアミナに100フランを渡したいと思う。

その100フランは価値観。あなたたちを見捨ててないという意思表明。ぼくなりの人としての志。

だから彼女にとっての「最善」かはわからないけれど、自分勝手に渡していきたいと思います。

追記

ストリートチルドレンにお金をあげるのか、物をあげるのか、それとも何もあげないのか。多くの人がこの問いについて考えたことがあると思います。セネガルでの生活が終わって1ヶ月以上が経ちましたが、未だにぼくは何が正解だったのかはわかりません。自分視点の「彼らのため」が彼ら視点の「自分達のため」かどうかはわからないからです。

セネガル留学の最終週、振り返りの時間で「プログラムが終わるにあたり、あなたが今恐れているものは何ですか?」という質問がありました。ぼくは、「路上生活者とすれ違うたびに感じるuncomfortableness(心地の悪さ)を思い出せなくなってしまうこと」、と答えました。

これを怖いと思えてる間は多分大丈夫。でも日本やアメリカという恵まれ慣れた環境で過ごすうちに、自分がセネガルでまざまざと感じた自分と世の中に対するuncomfortablenessが風化し、使い古された同情みたいになってしまうことが怖いです。ただ、これを読み返しているうちにふと思ったことがあります。

100フラン。

セネガルを去った今、ほぼ毎日アミナに渡し続けたコインは、ぼくの中で間違いなくセネガルにいない自分とセネガルにいる彼らを繋いでくれている気がしています。100フランを思い出せば、忘れてはいけないuncomfortablenessを思い返すことができます。アミナの1日の助けになるかもと思った100フランは、ぼくの一生の学びになってることに気づきました。

だから、将来、自分がセネガルのために実際に何ができるのかはわかりませんが、アミナが、彼女みたいな子どもたちが、100フランを路上で毎日お願いしなくても良いような社会を作れるように頑張りたいと思っています。

ということで、まあまあ多くの人が感じるであろうことをつらつらと書きましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。


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