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『自分思いのいい加減ごはん』 おうちごはんを作ってちゃんとした生活をしたい方へ

僕が料理が好きになった理由

小さい頃から料理をすることが好きで、思い返せば母親が作る料理をいつも隣で見ていたのが始まりだと思います。

母親は僕が小さい頃は専業主婦で、料理を余裕をもっておこなっていたように思います。母親はパートに行くようになってからは、料理を作るのもバタバタとするようになったのを思い出します。

叔父叔母が家に遊びに来た時に、パートで母が昼に家にいない時には僕がご飯を作ったのを覚えています。僕は兄・僕・妹の3人兄弟の真ん中でした。

兄も妹も料理をしているところを一切見たことがなく、僕だけが料理をしていたなあっていうのを思い出しています。

母は忙しくなると、独り言が多くなって、一人実況が始まります笑

母の心と時間の余裕がそれがバロメーターとして判断できていたなというのを今思えばしていたなと思います。

母は料理はとても段取り良くて、おいしいものばかりでした。

料理が嫌なんてことは一言も聞いたことはありませんが、そんな母でも心や時間の余裕がないってことはありました。

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自分の心と時間のバロメーター

自分の心と時間のバロメーター計を決めると、「あ、僕は今、心に余裕がないな」っていうのが意識できるようになりました。それに意識してきたのもここ2,3年だと思います。

自分の心と時間のバロメーターは、部屋の汚れ具合と食事です。これって、多くの人に当てはまるかもしれません。

僕は心の余裕がなくなると、劇的に周りに現れます。

お菓子で済ましてしまうなんてことも僕にはあったりします。

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自分を大切にするということが、まわりの人も大切にすることに繋がる

いつの間にか自分を雑に扱うことに慣れてしまうと、無意識に周りにも雑にしてしまっていうということに気づくことがたくさんありました。

自分を大切に丁寧に扱うことが、周りの人にも丁寧に対応できるということにつながっていることに最近はとても実感しています。

自分を大切にまず思うこと。これって結構見失ってしまいがちで、誰かのためにってなりすぎても、それはその人のためではなく自分本位になっていたりなんてこともあります。

料理は作って食べるということがセットになっています。

誰かに食べてもらう、一人暮らしなら自分で作って自分で食べる。料理ではなく食事ということになると、コンビニで買って食べるということにもなります。

作って・買って、食べるという行為は、人間にとって命そのものです。

いろんな食事スタイルがありますが、料理を作って食べようっていう人は、ちゃんと生活しようっていうことを考えているからというのはあると思います。


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ちゃんとしたいのに、ちゃんとできなくなってしまう人へ

そこには自分を大切に思うということが含まれていると思います。

でも、いつの間にか苦しくなって料理をちゃんと出来なくなってしまったり、料理が嫌になっている人がたくさんいらっしゃいます。

昔は料理は「おふくろのあじ」のような、人つたいに伝わっていくようなものでしたが、今はネットでレシピ検索して作る時代になっています。

レシピが多い=レパートリーが増えるとは繋がらない

日本は世界一のレシピ大国になっていると聞きました。レシピ動画もどんどん配信されており、例えばハンバーグの作り方と検索すると何万件もの検索数になって、どれを作っていいのかわからないなんてことになっています。

これだけレシピがたくさんあるのに、家庭料理のアンケートで一番の悩みはずっと「レパートリーがなくて困っている」なのです。レシピがたくさんあるからって、作れる数が増えるっていう問題解決にはならないということですよね。


レシピはナビゲーションや台本のようなもの

僕の場合、レシピは初めて作る場合は参考にしますが、レシピを読み解くには書いていない部分の、料理の基本の部分で埋めないときちんと作れないっていうことは必ずあります。レシピは車のナビゲーションのようなもので、言われるがままにすれば作れますが、自分で考えたり感じたりして作っている感覚とはちょっと違っており、誘導されている感じです。

レシピは英単語の丸暗記のような感じで作っていると、どんどんと忘れていき、自分に身につく=レパートリーになっていかないんだと思います。

レシピを台本とするなら、セリフは書いてありますが、その時々の感情を込めてセリフを言わないと、ただの棒読みでは何も伝わりませんよね。そして、人それぞれの解釈でどうやってセリフを言ったり、身振りを加えたりと変わってきます。そこには自分がどう思うのか?ということが大切になってくるんだと思います。


自分思いのいい加減ごはんに込めた思い

自分を大切にするということが料理にとって大切なことだと、小さい頃から振り返って今は感じています。

料理はちゃんとしようっていう思いが根底にあります。でもいろんな周りからの影響や固定概念に縛られて、こうしなければいけない、こうするのが正しい、品数が多くなければだめ、切って焼くだけなんて料理に思えないなんていうような、思い込みの呪縛に無意識に縛られて、ハードルを無理矢理上げてしまっていることがたくさんあります。

料理ってもっと自由であるものだと僕は思っています。だからこそもっといい加減でも良いんです。僕は最近はおすすめの料理を聞かれると「ちくわきゅうり」って言っています。きゅうりを切って、ちくわの穴に入れて切って食べるだけですが、自分が美味しければ立派な料理です。

料理のいろんな呪縛はなかなか根強くて僕もとらわれがちなので、自分への言い聞かせでもあります。

「自分思いのいい加減ごはん」という提案は、自分が心地よくごはんを作るために、もっと自由にごはんを作っていいんだよっていうことが込められています。自分の心や時間の余裕のバロメーターで、その時々に作るごはんを決めると、ラクになります。そして、おすすめするのが「一汁一菜」の食事スタイルです。


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『一汁一菜でよいという提案』に賛同します

尊敬する料理研究家の土井善晴先生が2018年に

「料理をつくるのがしんどくなった人のために書いた本」が『一汁一菜でよいという提案』です。一汁一菜は食事スタイルです。

僕はこれを自分の料理の基準の型としています。一汁一菜とは、ご飯、具沢山味噌汁、漬物(一品)の内容です。

これを自分の料理の基準にすることで、自分の心や時間の余裕のバロメーターとしての役割となってくれます。下記が僕にとってのおうちごはんでの自分と料理の向き合い方です。

・忙しかったり、悩みがあって料理をするのもしんどい(買って食べる、食べない)

・普段の生活で料理を作ることができるなあ(一汁一菜)

・料理するのにも余裕があって時間をかけて料理を楽しもうかな(一汁三菜など一品や二品増やして作る)

・大切な人のために今日はごちそうをつくろう!(普段作らないおもてなし料理を作る)

上記は一部ではありますが、自分を思うことで料理をする姿勢を決めています。

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自分が一番!料理を作るためというのは二の次に!

料理を作るためにということになると、自分が二の次になってしまって、ちゃんとしようとしてもしんどくなってしまいます。

自分が一番にっていうことを書いてきましたが、精神論みたいな感じだけで宗教じみているかもしれませんが、自分思いのいい加減ごはんという提案は、僕自身への言い聞かせが一番にあります。自分を二の次にしてきたのがあるからです。

自問自答を最近は繰り返しています。自分を置いてけぼりにしてきたことが、今となって無意識レベルで人との関係を壊してきたり傷つけていることに気付き出してきたからです。自分を二の次にすると、自分が頑固になっていきます。頑固だからこそもっと自由にいい加減になろうよっていう言い聞かせが「自分思いのいい加減ごはん」に込めていると思います。


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「心、季節、発酵食品」に共通すること

心も季節も発酵食品も共通して言えることが「時間軸」があるということです。すべてが常に動いており、変わっています。つねに違うことがふつうです。

心に関しては今まで書いてきました自分を思うことが当てはまります。

季節と発酵食品は、料理にとって実践的にリアルに向き合うことです。料理を作る上で、季節・旬や発酵食品という時間軸をうまく取り入れることで、自然と共同してごはんを作り上げていくことができます。

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自然と共同作業すると、手間をかけなくても美味しく作れる。旬や発酵食品を理解して取り入れることが感動やラクを生む

自然の恵の季節・旬の食材や発酵食品は、人と自然の共同作業で作られます。ごはんを作る上でも、自然の恵を取り入れることで、手間をかけずに美味しく作ることができます。それは、自然の恵そのものが美味しいからです。

例えば、新たまねぎの季節なら、ふつうの玉ねぎのように炒めたり煮たりするよりも、生のままで薄くスライスしてサラダにして味わうなんていう手間をかけない方が断然美味しかったりします。旬の食材を理解することでごはんをつくることにたくさんの感動や楽に美味しくすることができるのです。

一汁一菜の具沢山味噌汁に、旬の食材を入れたら、どんな味噌汁を作ろうって悩むこともなくなります。そして発酵食品は味がもう出来上がっているので味噌汁の味噌は十分に美味しいので味噌を入れるだけなので簡単です。

おうちごはんは、心と旬・季節と発酵食品の時間軸をうまく使いこなせば、自分を大切にしてちょうどいい加減にごはんを作っていくことができると思っています。

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自分思いのいい加減ごはんで大切にしていること

自分思いのいい加減ごはんについての思いを書いてきました。実際に実践するには下記のことを大切にしていくことが大切になってきます。

・自分を思い、自分の基準をもち、自分を一番に考えて料理を作っていく

・旬の食材や発酵食品を理解して取り入れる

・食事、料理スタイルの型を持つ おすすめは一汁一菜

・おうちごはんのための料理の基本(焼く、炒める、煮る、蒸すなどから下ごしらえ)を身につける

・五感を使って素材と向き合って丁寧に楽しむ

・料理の呪縛から自分を解き放つ

ということがあります。とくにおうちごはんのための料理の基本とは、今はいろんな料理の知識が溢れかえっていますが、とくにおうちごはんで有効な料理の基本を伝えていきたいです。プロの料理人の美味しく作るコツとなると、おうちで作るには場違いになってしまいますよね。細部にこだわりすぎず、おうちごはんは生活の一部であり、家事として考えると一部にあたります。細部ではなく家事全体の中で機能するかどうか?というのが優先順位が高くなると思います。

専業主婦という時代も今は少なくなっており、21世紀に入って、共働きの方が増えてきています。そうなると、家事に時間を使うことも自然と少なくなってきます。そういう時代の移り変わりにフィットしたものでないと、毎日がしんどくなるだけです。料理はとくに家事の中でも時間をかけます。

自粛などでおうち時間が増えて、おうちごはんも増えてきた中で、料理を作ることがしんどくなっている人も増えているのも事実です。1日3食自分の作るごはんに飽きてきたなんていう声も聞きました。時代の時間軸も僕は考えて大切にすべきだと最近とてもよく思うことです。

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時短や手抜き料理は自分や食べてもらう人に失礼

時短や手抜きやズボラなど、僕は使いたくない言葉としてあります。それは作る人も食べる人の両方に失礼だと思うからです。時短や手抜きはテクニックなことであって、それが一番の目標になると、料理ではなくなると思っています。時短や手抜きというのは、料理の呪縛にとらわれているからこそ生まれたものだと思っています。料理の呪縛を解くことをすると、時短も手抜きではなく、力まなくても要領よく時間をかけずに作ることができるようになります。

一汁一菜はご飯を炊く時間はありますが、具沢山味噌汁を作ったり漬物はぬか漬けを用意したり、市販の納豆を準備するのであれば、15分もあれば完成します。これには全く時短や手抜きなどのことはおこなっていません。時間がどれだけかかったのかや手間をかけたということ、おうちごはんで美味しくなるということにはならないと思っています。

自分思いのいい加減ごはんでは、料理は自分の余裕によって作るものを変えるというのが前提にあるために、自分で判断して作る量を減らしたり増やしたりと自分で決断してみようっていうのがあります。

自分で決めるからこそ、「きょうはちゃんとしないって決めたから、後ろめたさはないよね!」ってことにもなります。世間の料理の呪縛の型にはめ込もうとして、「ちゃんとしなきゃ・・・時間もないし、どこかで手抜きして作らなければ間に合わない・・・」なんていう無意識に作り出した自分の料理の呪縛に押しつぶされるようなことはちがうよねっていうことを僕は思っています。ちゃんとできなければインスタント食品でもいいし、インスタント食品で後ろめたさがあるなら、そこに旬の野菜を入れてみるとか、パパッとできることを組み合わせてみるなども考えてみるとできちゃいます。

下記はチキンラーメンに春から初夏にかけての旬野菜、新玉ねぎとスナップエンドウを一緒に入れています。新鮮な野菜を信頼する農家さんから購入しており、スナップエンドウと新玉ねぎは生でも美味しく食べれるために、チキンラーメンと一緒にお湯をかけるだけでちょうどいい加減に仕上がります。これは、スナップエンドウや新玉ねぎの特徴を理解していないと作れません。素材を理解すると、最小限の手間を加えることで、最大限おいしくつくることができるのです。

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時短や手抜き料理も考え抜かれており、僕も参考にすることはあります。時短だからといって、あれもこれもと作っていると、時間もかかり洗い物も増えてしまいます。

料理は命をつくるものです。命を粗末に扱うような言葉は、僕は使いたくはないというのがあります。このチキンラーメンのように素材を理解していると、時短や手抜きという概念ではなく、自然と手間をかけずにこういう風に簡単に美味しくできたということになっているので全く別物だと思います。

ごはんを作る人が食べてもらう人に、もっと近くに心から寄り添えるようなレシピ

料理教室やオンラインレッスンなどでは、自分思いのいい加減ごはんをテーマにおこなっていきます。

料理提案に関しても、例えばレシピでも、「おいしい絶品冷やし中華」ではなく、

「忙しい時 夏の昼 一人で コンロに立ちたくないからパパッと作れる 旬と発酵食品を取り入れたさっぱり冷やし中華」

のような細かくシーンにはめていくようなことを丁寧に提案していこうと思っています。人の営みや時間軸が感じられること。

ごはんを作る人が食べてもらう人に、もっと近くに心から寄り添えるようなレシピを目指したいのです。そこには相手を思いやる、丁寧に接する、相手を知る、いろんなコミュニケーションがあって出来るものです。冬は温かい食事も冷めやすいので、スープでも冷めにくいように片栗粉を加えてとろみをつけることで冷めにくくなったりします。これだけで冬の寒い日に、ゆっくりとごはんを楽しみたい時にはハマるとおもいます。逆に冷めにくいので猫舌の人には向いていないともいえます。そういうことを考えていくと、料理を作ることはとても創造的て答えなんてなくて、一期一会なものでもあると言えます。


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相手に真意を伝えるということの大切さ

そして、自分思いのいい加減ごはんを実践する上で、対話することが大切だと僕は思っています。

一汁一菜でも当てはまりますが、食事スタイルのようなものです。

今まで一汁三菜が良いって思っていたら、いきなり一汁一菜にしてみたと一方的に作る側が変更して食べる側には何も真意を伝えていないと、手抜きをしているように思われてしまいます。料理は作る側、食べる側と分かれている場合が多いと思います。もし、家族がいるのなら家族それぞれが自分思いになってちょうどいいごはんを作れるようになってもらうことが一番大事なことだと僕は思っています。

対話をすること。これも自分に言い聞かせていることでもあります。頭の中で考えがちになってしまう癖があるからです。考えることも大事ですが、対話をしながら考えたり感じたりすることはコミュニケーションを生み出すと思います。

おうちにいる時間が長くなっているこの1年です。

人と会わなくなると、自分の考えが先走ってしまったり、抱え込んでしまったりします。自分を思い、自分がどうなのか伝えることは、ごはんをつくること=命とつくること=人生そのものだと思います。

「自分思いのいい加減ごはん」は自分への人生のテーマであり、おうちごはんを作る人が力まずに自分の歩幅でちゃんとしていこうっていうことをサポートできたらと思っています。

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最後に…

長々と書いてしまい、まとまりがないものになってしまいましたが、

料理って生きている上でずっと寄り添っていくものですので、できれば楽しいものにしたい!というのがあります。自分を思い、ちょうどいい加減にごはんを作っていってもらえる人が周りに増えたらと思います。

おうちごはんのための料理の知識やコツを提案していきます。

料理教室やオンラインレッスン、動画配信、マンツーマンレッスン、料理イベントなどをおこなっていきますので、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。

                          料理研究家 久保崇裕 2021/5/26

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