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質問力も大事だけれど、質問された側が何かに気づく力も大事だ

今年は新人のトレーナーを担当しています。

リモートワークだと、個別に話す機会が少なくなりがちです。

そこで、なるべく頻繁に1on1の時間を持って、なんでもよいので質問してもらうようにしています。

すると、限られた時間だからか、そもそも優秀だからか、質問が次々と出てきます。

自分が新人の頃は、何が分からないかも分からず、たいした質問もなかったのに・・・と、感心しながら答えています。

実際、コロナ禍だからこそ新人が積極的で質問力も高い、という記事もあります。

■コロナ禍だからこそ育つ能力
在宅作業をしていて気になる点があればメモを書き留める。知りたいことがあってもなるべく少ない質問で済むよう、自分に足りないスキルや知識をいつも整理する。「確かに今年の新人は総じて積極的で質問力も高い。例年のように先輩がいつも隣にいて、飲みにも行ってといった例年通りの環境だとこうはならなかったかもしれない」(以下略)

たしかに、いつでも質問できるわけではないという緊張感が、質問力を高めているのかもしれません。

ちなみに、今日書きたい内容は、質問力ではありません。

むしろその逆で、質問される側の立場に立って、「質問された側が気づく力(?)」について考えてみたいと思います。

新人から質問される側になって初めて分かることもある

というのも、新人の質問に答えようとして、自分の中でハッと気づく瞬間が結構あるんですよね。例えば・・・

「何であのスライドはここに入れたんですか?」
「あの質問はどういう意図があったんですか?」

と新人から素朴に質問されて、もちろん過去の経験からベストな選択をしているので、その理由を答えてはいるのですが、頭の片隅では、

「たしかに、違い場所のスライドを入れたらどうなったんだろう・・」
「質問の仕方って、本当にほかにはなかったのかな・・」

と、改めて考えてしまうことが多々あります。

当たり前を疑うことが大事だと言われますが、新人からの素朴な質問攻撃(攻撃はされていないけど)こそ、当たり前を疑う最高のトレーニングではないかと思います。

自分が新人の頃を思い出すと、先輩はなんでも完璧に答えていた印象でした。しかし、実は裏では色々と迷っていたのかもしれません。

質問される側に、こんなに気づきがあることを、新人トレーナーの立場になって改めて良く分かりました。

講演会の最後の質疑応答は「宝の山」だ

質問といえば、講演会の最後にある「質疑応答」からも、多くの気づきをもらいます。

最初に単著で書かせて頂いた書籍、「買わせる発想」(講談社)を2014年に発刊して以降、講演会に招いていただく機会が急に増えました。

プレゼンテーションは慣れているので本の内容を一方的に話すことは問題ないのですが、「質疑応答」の時間はどんな質問が来るか分からないので怖くて、初めの頃は少し避けていました。

プレゼン時間を長めにして質疑の時間を減らしたり、「個別にメールをください」とお茶を濁したり・・・。

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でも、ある時から開き直って、ちゃんと質問を受けよう、上手に答えられなくても一生懸命答えようと思うようになりました。

きっかけは、ある企業で、若手のプランナー向けに発想法についての講演会を行った時のことです。

本質的な価値から考えることが大事だ、という話をした後、質問タイムである参加者の方から、

「本質的な価値が大事だということは良く分かりました。でも、目の前の価値が本質的かどうかってどうやって見分ければよいのでしょうか」

と質問されて、全くもって良い答えが見当たらず、イマイチな回答を長々と話してしまいました。
(質問の回答が長い割に要領を得ない時は、だいたい困っている時です・・・)

その講演会以降は、なるべく「本質的」といった抽象的な言葉を使うときは、具体的な事例や定義を入れて、誰もが分かるような話し方に変更しました。

そうしたら、それ以降その質問は出なくなりました。

つまり、うまく答えられなかった!という強烈な思い出があるからこそ、「その質問が出なくなるにはどうしたらよいか」という工夫を一生懸命するようになったのです。

その時に質問してくださった方には大変申し訳ないですが、その後のブラッシュアップにつながったので、私にとっては貴重な質問だったのです。

質問の内容よりも、質問された場所に重要な鍵がある

作家の村上春樹さんは、必ず奥様に原稿を見せて、気になる点を聞くそうです(『職業としての小説家』より)。

ただし、奥様の指摘通りには直すとは限らず、むしろ、逆の方向に修正することもあるそうです。

大事なのは、奥さんの指摘内容ではなく、「その箇所にひっかかった」という事実を知ることです。

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質問も、それと同じかもしれません。

質問の内容よりも、他人が「その箇所にひっかかった」という事実を知ること。

そこから、自分の中で何かに気づき、修正できるかどうかも、質問力と同じぐらい重要な力ではないでしょうか。

若い頃は、先輩が「こういう風にした方が良い」と具体的な指示をしてくれます。

しかし、年齢が上がるほどそのような指示は減り、自分で改善策を見つけるしかありません。

そんな時、周りからもらえる質問は、自分なりに改善策を見つける大きな手がかりになります。

もしかしたら、昔の私の様に質問が来ることを恐れたり、あるいは新人のくだらない質問に答えるのは時間の無駄と思ってしまう人もいるかもしれません。

しかし、質問には様々な気づきを得るきっかけがあります。

これからも、上手に答えられる自信はありませんが、若い人や周りの人からたくさん質問をされ続ける人でありたいと思いました。


※Twitterでnoteの元ネタとなる投稿をしています。Twitterで質問されたことはほとんどないですが・・・


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