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なぜ飲食店副店長候補なのか『生きる-LIVING』

ネタバレします。
嫌な方は即退散を!



珍しく仕事に追われて頭の中がぐちゃっとしてきたので「いいや、映画でも観に行っちゃおう」と自転車飛ばし、その日の最終回にギリ間に合いました。私にとって映画館というのはシェルターでもあります。

さて、黒澤明監督の『生きる』のリメイクです。
設定を第二次世界大戦後のロンドンに移し、主演はビル・ナイ。


役所の市民課長である男は、情熱もなく、日々の業務を淡々と遂行しています。役所全体がいわゆるお役所仕事で、市民からの陳述書もたらい廻し。男もその歯車のひとつになっているわけです。

ですが、ある日、男は自分が胃癌だと知ります。
黒澤版だと医者に「胃潰瘍」と言われつつもそう悟るのですが、ロンドン版では「あなたは胃癌です。余命は半年か、長くて9ヶ月」とはっきり宣告されます。まあ、ここらへんの差異はお国柄です。

死への恐怖と、今までの人生は何だったんだろうという虚無感に、男は仕事をサボり、夜遊びなんかをし始めます。だけど気分は晴れない。

そんな時に、元部下の若い女性とばったり出会います。彼女は役所の体質が合わず玩具会社に転職しました。奔放に溌剌と自分の人生を生きる彼女に男は刺激を受け、自分の余命を彼女に明かします。どうしたらよいのだろうと嘆く男に、玩具会社で、自分の仕事が玩具という形に残るものになることにやりがいを感じている彼女は「あなたも何か作ってみたら?」と提案します。そこで男は役所をたらい廻しにされていた「公園を作って欲しい」という市民からの陳述書を思い出し、それを実現することに残りの命を燃やします。

…というのが黒澤版の『生きる』なのですが。

ロンドン版では、彼女の転職先が飲食店なんですよね。飲食店の副店長候補。キッチンじゃなくてホール担当。そんな彼女にどういう背景で「あなたも何か作ってみたら」というセリフを言わせるのか…?と映画を観ながら疑問だったんですけどね。。。そのセリフなかったんです。


「あなたも何か作ってみたら?」


私、黒澤版を観て以来、この映画で一番大切なセリフってこれだと思っていました。

普通なら「あなたにもやれることがあるわよ」「あきらめないでがんばって」とただのエールを送ってしまいそうなところ、「ものを作る」という具体的な提案をする素晴らしさ。

だからこそ男は、自分の生きた証を残す、残りの人生それに没頭する、ずっと役所勤めだった自分に作れるものなんかあるだろうか…ああ、あの公園があるじゃないか…という思いに至ったのだと思います。

ロンドン版では、新天地で失敗しながらも懸命に働く彼女を見て、次のカットでは「俺、公園作る!」ってなってました。なんで?

まあ、それはさておき、いろんな苦労がありながらも男は公園を作りあげ、黒澤版では、雪の降る夜にひとり公園のブランコに揺られながら『ゴンドラの唄』を歌って死んでいく名シーンがあります。


いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを


『ゴンドラの唄』は大正時代の日本の歌謡曲ですから、ロンドン版では何を…と思っていたら、素敵なスコットランド民謡を歌っていました。映画の雰囲気やビル・ナイに合っていて、とても良かったです。間違ってもビル・ナイが片言の日本語で『ゴンドラの唄』を歌ってなくて良かった。

ビル・ナイが素晴らしいです。
どうしていまさら『生きる』なんてリメイクするんだろう?と観る前は思っていましたけど、もしかしたらビル・ナイに良い仕事をさせたくて生まれたプロジェクトだったのかな?と観覧後に思いました。
ビル・ナイにオスカー取らせようぜ!何やらせる?何が合ってる?あ、黒澤の『生きる』あれ良くね?みたいな。

黒澤版で私が唯一気になっていたのは、主演の志村喬が亡くなる直前まで結構な丸顔(目も丸くて唇もぷっくり)という点だったんですけど、ビル・ナイは持ち前の細面を生かして胃癌感も十分でした。最後の命を振り絞っている感じはビル・ナイの方があったかも。

それだけに、女性の『飲食店副店長候補』というのだけが謎で、私的にはちょっと残念でした。どうしてそうしたのか脚本のノーベル賞作家カズオ・イシグロさんに聞いてみたいくらい。ってかどこかにインタビューとかあるかな?ちょっと探してみよう。

でも、全体的には良き映画でした。
『生きる-LIVING』のタイトル通り、人生の根源的なテーマをすごくシンプルに、かつ重厚に描いた映画です。
良かったら、ぜひ。

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