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ひとりごとのようで、ひとごとではないこと。

階段をとびこえて、声がする。
匂いものぼってくる。
お母さんが料理にかけるひとりごとが聞こえる。


文章はひとりごとじゃない。
ひとりで書く文章だって、自分が読む。
メモ書きだって、未来の自分にあてている。
ピラミッドの壁に、最近の若いモノは・・・って愚痴をこぼしても数千年後には読まれる。

読む人がいるから、ぼくたちは書く。

まったく書かないってことは、きっとどんな仕事であろうと、普段の生活であろうとないと思う。

文章が苦手って諦めないで欲しい。

カラオケだって苦手な人はいる
でも、得手不得手や私用公用で避けることはできるとおもう。

でもね。
苦手だって思っていたひとが伝えたいことってきっと伝わる。下手でも、気持ちさえあれば。うまく書こうとすればするだけ、よくない。モノマネして歌っても聞いているひとはどうだろうか。らしくなくなる。

ほんのすこしまえに、下書きって言ってた文章をまとめた。日本語的に整えて、読みやすいようにしただけなんだけれど、書き方が面白いと発見した。
あちこちに「みなさまご存知のとおりや、久々ですね」など、そんな問いかけがあった。それがあるだけで一方通行じゃないし、話すようなトーンで書かれているので、気持ちも届く。

この読後感っていい。

日本語的に整える、読みやすいようにする
これが難しいのかもしれないんだけれど、最初からうまくうたえる人なんているだろうか。こればっかりは場数でしかないし、読み書きをする経験や公の場で書く経験。なにより楽しくて楽しそうにしている。これが一番大事。

でもさ。
ひとそれぞれのクセってあると思うの。
ぼくはよく名詞で文章をおわるクセがあって、ひとから言われるまで全く違和感をおぼえなかったし、なんでだめなんだろう?とさえ思ったし、いまも思っている。”ですますちょう”にすると、すごく単調に感じるし(あくまで主観です)なんだか気持ちが良くない。
基本的と言われれば、それまで。多数決。民主主義。矯正。背骨が曲がっていて猫背に気づいていなのかもしれない、と思いつつも。

ま、おいといて。
ひとりごとじゃないに戻り

ひとりで鼻歌うたってさ、いきなりみんなのまえで歌えなんてひどいよね。
そういう劣等感のようなつらさって、なんでかわからないけれどどうにかならないものかっておもうとおもうんだ。乗り越えるってほどでもないから、できるかぎり避けられるし、だれか代わりにやって、書ける人が書いたらいいって自慢気に言うとかね。
そういう種類のつらさって、きっとあとあとに残っていく。いざボールがきても打てない。

だからこういうノートのようなツールって素晴らしいと思う。
ひとりカラオケのようなバッティングセンターのような、でもそれでもどこかの誰かが見ているかもしれない場。

まずはさ
好きな曲を思うように歌えばいい、と思う。こっそりとね。


「煮炊きしたら、暑い」
お母さんはそんなひとりごとを言った。
僕は少なくとも晩ご飯であるサバの味噌煮を想像できた。いい匂いだし。

30年くらい経つひとりごとだけれど、覚えている。
サバかどうかは自信がないけれど。


nakabayashi





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