エースに完敗!乾杯!!!
(アウトだ!)
自分に向かってくる相手のサーブの弾道を見ながら、僕は確信した。
とっさにアンダーレシーブの構えを崩して、体を横にずらす。
案の定、ボールはコートのラインを越えた向こう側で音を立てて弾んだ。
線審がその手に持つフラッグを勢いよく真上に掲げたのを見て、僕は胸をなでおろした。
インアウトの判別が苦手だった僕だけれど、どうやら今回は大丈夫だったらしい。
笛をならした主審のジャッジも当然アウト。
サーブ権(懐かしい)が僕のチームへ移ってきた。
しかし、ほっとした僕にコート内から飛んできた言葉は、耳を疑うものだった。
「なんで取らないんだ!!!」
大きな声を出して僕を睨み付けていたのは、チームのエースであるウィングスパイカーのOだった。
僕が高校の部活動に求めていたのは
「全力で春高を目指そうぜ!」
とか
「コートの王様に俺がなってやる!」
とかそういうことでは無かった。
もちろん適当にやろうなんて思ってはいなかったし、めまいがするくらい必死に飛んだり走ったりもしたけれど、だからといって部活だけに青春の全てを捧げようとは思っていなかった。
夢見ていたのはバラ色の高校生活。
色々なことがしたかった。
BOYS BE…みたいに甘酸っぱい恋をして、バンドを組んでキャーキャーいわれて、勉強だってそれなりにして...。
そういう色々な物の中に、部活も必要だ、そんな風に思っていたんだ。
元々中学までは野球をやっていて、自分で才能の無さに気付いてバレーボールに転身したような人間が、背の高さだけで安定したレギュラーポジションにつけるはずが無かった。
僕が一年生のときには1つ上の先輩、つまり二年生が一人もいないチームだったから、そんな初心者の僕でもそれなりにやれる位置にはいた。
けれども自分が二年生になって後輩で上手いやつが入ってくると、レギュラーと呼ばれる位置からは完全に脱落して、誰かが調子悪かったり、怪我をしたときのサブメンバー1号的ポジションに落ち着いていた。
試合に出られない悔しさを除けば、そこは中々居心地のいい場所だった。
レギュラーチーム VS OBチームの試合では、OBチームに入れられるので、高いレベルのバレーボールを経験できる。とても刺激になった。
練習試合で相手校も部員が多いときには、Bチーム、つまり二軍チーム同士の試合が空いているコートで行われることもあった。
もちろん僕はBチーム。
けれどもBチームでの僕の役割は非常に高いところにあって、つまりそれはエースというポジションだった。
サブメンバー1号だから。
相手チームもあいつを止めろ!と必死にブロックに来るし、敵意むき出しで睨みつけても来る。
(ああエースの世界ってこういう感じなんだ)
と、そんな貴重な経験までできてしまうのだから、僕がそこを居心地が良いと思ってしまうのも仕方ないことだった。
そしてそういうぬるま湯体質の人間が、レギュラーを取れないこともまた仕方のないことで、結局引退するまでスタメン6人(当時まだリベロはいなかった)に入れなかったばかりか、最後に出場した関東大会でピンチサーバーとして登場するも、サーブミスをするという何とも情けない形で僕の部活動は終わりを告げたのであった。
バレーボールの神様はちゃんと見ている。
容赦無い。
さて「なんで取らないんだ!!!」である。
お気付きの通り、これはレギュラーメンバー1人に不調、もしくは怪我があり、代わりに僕がレギュラーチームに入っていた試合の一幕だ。
繰り返しになるが耳を疑った。
なんで取らない、って問いに対する答えは1つしかない。
アウトだからだ。
結果としてインの判定だったならばそう言われてもわかる。仕方ない。
実際によくやってしまっていたミスだ。
けれどもこのときは
1.サーブが飛んできました
2.アウトだと思いました
3.アウトでした
4.「なんで取らないんだ!!!」と怒られました
である。
当然僕だってバレーボーラーの端くれだ。
そしてOと同じくエースだ。Bチームだけど。
わけのわからないことを言われて黙っていられるかってんだ。
「アウトだろ!!!なんで取らなきゃいけないんだよ!!!」
そう言って反論した。どうせ相手にリードされていらいらしてるだけだろう、そんなことを思いながら。
するとどうだろう。彼はさらに反論してきたのだ。
僕の全く想像していなかった理由を添えて。
「アウトでもいいから拾うんだよ!!!俺にトスが上げれば俺が絶対に決める!!!そっちの方が流れがうちに来るんだよ!!!」
(は?)と思った。
(何言ってんだこいつは?)と。
結局サーブ権が移ってくることには変わりないんだ。
お前が決める保証もない。
それにアウトのボールをいちいち拾って、レシーブミスしたり、ミスしなくても監督からそれこそ
「なんで取ったんだ!!!」
なんていわれたらたまらないじゃないか。
すごく不愉快だった。しっかりジャッジできたのにまるでそれが悪いみたいに言いやがって。
こいつはバカだ。
単なるバレーバカだ。相手にしてられっか。
そう思った。
そう思ったけど、言い返せない自分がいた。
なんだか言いようのない悔しさが僕の中に残った。
大人になった僕たちは、酒を飲みながらこの理不尽な仕打ちを受けた話を笑っている。
何度も何度も話したのに、それでもまだ笑っている。もちろんOも交えてだ。
僕は大人になった今になってやっとあのときのOの気持ちがわかってきた。
確かにアウトだろうとエースが決めようと、サーブ権が移るという結果に違いはないけれど、その過程の違いは大きなものだ。
チームのエースとしてリスクのある選択をするべきだったかどうかはともかく、Oのいう流れというものを考えるのであれば、相手のサーブミスと相手チームを黙らせるエースの一撃とでは確かに後者の方が良いと思う。
「流れは自分たちでもってくるもんだろがよ!!」
スラムダンクに登場する宮城リョータの名言である。
要するにOは、自分で流れを持ってきたかったんだ。
相手のミスでたまたまやってくる流れなんかじゃだめな場面だとわかっていて、だからこそリスクをおかしてでも、セオリーを無視してでも自分が決めてやるという思い。
自分で持ってきた流れ。
自分の意思で引き寄せた流れ。
仕事でも同じようなことが言えるかもしれない。
なんとなく入ってくる仕事と、自分でやりたくて一生懸命営業して取ってきた仕事。
同じ仕事であっても、自分で引き寄せた場合の方がその達成感は大きい。
お金だってそうだ。
パチンコでたまたま当たって手にした数万円はなんだか簡単に使ってしまうけれども、一生懸命働いて稼いだお金はおいそれと使うことはためらわれる。(いや、そもそもパチンコやってるお金だって働いて得たお金じゃんってツッコミはよくない)
同じお金であるはずなのに。
高校生のOに僕はそんなことを教わった気がしている。
バレーバカのOはそのあともずっとバレーバカ。
2003年には自分が高校時代「マグナム」と呼ばれていたのをいいことに、マグナムカップなんて名前のバレーボール大会を開催するようになる。
マグナムカップは今は特定非営利活動法人で、多くの大会を全国的に開催している。
その理事長がOだ。バレーバカだ。
さらにOは男女が同じ土俵の下、平等に競技できる究極のスポーツとして「混合バレーボール」の普及に着手した。
2005年には「日本混合バレーボール協会」を設立。
初代会長に就任し、今なおその任期中である。
(日本混合バレーボール協会はその後日本混合バレーボール連盟に名称変更)
元日本代表で参議院議員でもある朝日健太郎氏までもを巻き込んで、成長を続ける日本混合バレーボール連盟。
そしてなんと今年の3月には混合バレーボールの世界大会が行われる!
大会の名誉会長に片山さつき氏(前内閣特命大臣・女性活躍担当)を据え、3月5日〜8日まで、千葉は館山にて開催されるのだ。
凄すぎるよバレーバカ。
バカ最強。バカ万歳。
嬉しいことにOは僕に一緒に大会を手伝ってくれと言ってくれて、海外からのチーム呼び寄せについて少しだけれど協力している。
Oにあの頃コートにいたときの面影はほとんど無い。
お腹も出て、髪の毛も薄くなっている。
だけれどバレーに対する一生懸命さは何も変わっていない。
いやさらに一生懸命になっているという意味では変わったのかな。
なんでそんなに頑張るんだと聞いたことがある。
どうしてそこまで夢中になれるんだと。
そしたらとんでもない答えが返ってきやがった。
「俺は高校の都立大会で、最優秀選手賞をもらったことが本当に嬉しくてたまらなかった。だからそういう経験を少しでも多くの人にしてもらいたいと思ったけど、バレーボールの大会ってアマチュアのものは少なかった。だから作った。そういう意味で今こうやってやっているのは、あのとき自分に最優秀選手賞を取らせてくれたお前や他のチームメイトのおかげなんだよ」
完敗。完敗だ。こいつには敵わない。
高校時代の自分に会って、殴り付けて目を覚まさせてやりたい気分だった。
そして思った。
ああ、こいつとチームメイトで良かったなぁって。
もう20年以上経って、そんなことを思った。
バレーボールを愛し続けて、自分でチャンスを引き寄せて、世界大会を開くまでになったバレーバカのO。
そんな彼の主催する大会がおもしろくないはずはない!
「The 1st 3&3 Mixed Volleyball World Cup 2020」
みなさんもお時間があれば是非是非見に来てください!
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