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ねずみ花火なんてなくなってしまえばいいのに

 今年の夏も毎日暑い日が続いている。
さっき今週末の天気予報を見てみたら土曜日の東京の最高気温は37℃!
それだけでも十分驚きなのに最低気温を見てみたらなんと29℃。
僕らが幼い頃の真夏の最高気温じゃないか。
人も冷房も息つく暇のない夏。

 そんな暑い暑い夏を彩る風物詩はいくつもあるけれど、その代表格として挙げられるのが花火だろう。
もちろん花火は夏に限ったイベントでは無いし、ディズニーランドでは毎日のように打ち上げられているけれども、夜空に鮮やかに描かれる大輪の花を見れば、まず連想するのが夏という季節である人が大勢であるはずである。

 もちろん花火はこんな風に夜空にドーンと大きく打ちあがるものばかりでない。
子供たちが手に持ってする小さな花火もまた、古くからある日本の夏の象徴だ。
手に持った棒の先で次々と変わる花火の形、色。
夏の空気と混ざった火薬と煙の匂い。
腕や足にかけられた虫よけスプレーの冷たさ。
花火をやる夜にはそういう幸せなものが全部詰まっていて、バケツに役目を終えた花火が次々と入れられていくのを見ながら、僕はこの時間がもっともっと長く続けばいいのにと思っていた。
大きな打ち上げ花火も、小さな手持ち花火も僕にとっては同じように大好きなことには変わりない。


 だがねずみ花火。お前はダメだ。

 意味がわからない。全く意味がわからない。
火を点けられて、シュルシュルシュルと火花を散らして回転するところまではまぁ許そうじゃないか。
中々に風情があっていい。
でも最後がダメだ。
パーーーーン!!!って。
大きな音を出しなさんな。
怖いよ。


 とにかく僕は昔から大きな音が大の苦手なのである。

 運動会のピストルの音が苦手だ。それが嫌で嫌で仕方なくて、徒競走のスタート時には走ることではなくて次々と鳴るピストル音のせいで体が緊張しっぱなしだった。

 風船も苦手だ。
空気を入れられてどんどん大きくなる風船を見ていると、それに比例して僕の恐怖も大きくなる。
空気を入れすぎた風船が割れる瞬間を想像してしまったら会話もままならない。
そして実際にパーーーン!!!と大きな音を立てて風船が割れてしまったあとは怖さではなくて、
(ほらやっぱりだ!!!)
というどこにぶつければいいかわからない怒りが湧いてくる。
やっぱり風船は水風船に限る。

 小学校の頃一緒に遊んでいたクラスの女子が、風船のついたピストルのおもちゃを持ってきたときには目の前が真っ暗になった。


そんなおもちゃを見せられて言葉を失っている僕に
これ頭にあててロシアンルーレットやるんだよー。みんなでやろうよ」
とか言ってくるクラスの女子。
結構かわいい女の子だったけれど、それから僕にはエイリアンにしか見えなくなった
なんて残酷な生命体なんだこいつはと、そんなことを思った。
だって小学生の男子が
「これ怖いから死んでもやりたくない
なんてかっこ悪くて言えるわけないじゃないか。

 だから僕は頭をフル回転させて
「それもいいけどその前に公園行って遊ぼうよ」
と外遊びを提案することで自分の面子を保つことに成功した。
エイリアンよ、地球人を舐めるんじゃない。

 ロケット花火を打ち合う遊び(良い子はマネしちゃだめよ)が流行したのは中学生の頃だっただろうか。
友達に仕方なく付き合っていたけれど、ロケット花火は音の恐怖に加えて衝突の恐怖まで加わる
というよりこの遊びの醍醐味はそこなんだろうけれど、僕はそれを楽しいとはこれっぽっちも思わなかった。
けれどもやった。空き缶に差し込まれたロケット花火の導火線に次々と火を点けた。
とにかく早くその時間を終わらせてしまいたかったから。

 いやいやあんた大げさなと言われるかもしれないが、全部本当のこと。
そして幸い(?)なことに、僕の言っていることを裏付ける写真があるのです。
それが中学の卒業アルバムにあるこちらの写真。

おわかりいただけただろうか。

 真ん中を陣取っておきながら、堂々と耳を抑え縮こまっている中学三年生の僕。
まさに恐怖の瞬間
今まさに鳴ろうとしているピストルの音に怯えているのが良くわかる。
二つ隣にも同じように耳を塞ぐ友達がいるけれど、ちゃんと前を向いていて偉い。

 大きな音が苦手な僕は、ねずみ花火が大の苦手
火の点いていないねずみ花火は小さくて、丸くて綺麗で何だかいいなと思うけれど。
この前友達と花火をやったときに、小さな子供たちがねずみ花火で大はしゃぎしているのを見てもそのときばかりは

(ああ、夏に花火。そして子供たちのはしゃぎ声。いいよなぁ)

なんて思わなかった。思えなかった。
ねずみ花火をやっている子供たちからなるべく距離を取りながら、思っていたこと。
それは

ねずみ花火なんてなくなってしまえばいいのに

ということだけ。
あのマラソン大会から25年経っても変わらず堂々と耳を塞ぎながら、そんなことを思っていた。

 昔と違って今は路上で花火をやっている家族をあまり見かけなくなった。
ご近所とのトラブルを避けているのか、なんとなくやってはいけない空気が漂っているのか。
戸建てじゃなくてマンションが増えているってのもあるのかもしれない。
公園も花火が禁止されている場所が増えていて、花火を路上でやっている家族を見ると何となくわくわくしてしまう僕からすると、とても寂しいことである。

 だからもし我が家の前の道路なんかで花火をやりたいと相談されれば、そのときは快く承知したいと思っている。
本当は
「やってもいいけどねずみ花火だけはやめてもらえませんか?」
って言いたいけれど、きっと言えないんだろうな。

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