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私たちは歴史から何を学ぶべきなのか ~過去の学びを活かせない動物、それを人間という~

 私が子どもの頃、1万円札の肖像は聖徳太子だった。小学6年生の頃、十七条憲法や冠位十二階の制定、小野妹子らを遣隋使として派遣、推古天皇の摂政として活躍したと教えられた。いまは厩戸王(聖徳太子)と教科書に表記されている。鎌倉幕府の成立は「いいくにつくろう」で1192年と習ったが、今の子どもたちは「いいはこつくろう」で1185年と教えられている。

 生類憐みの令を出して、犬公方と揶揄された徳川綱吉の評価が上がってきている。生類憐みの令の制定の趣旨は、「いのちを尊ぶ」という視点から保護する対象は、捨て子や道端で倒れている病人、高齢者、そして動物というものだった。今の教科書では「当初、この法令により庶民は困惑したものの、特に犬を大切にしたことから、野犬が横行するという殺伐とした状態はなくなった」、また、綱吉の統治によって「戦国以来の武力によって相手を殺傷することで上昇を図る価値観(下剋上)は完全に否定された」と記載されている綱吉は非常に勉強熱心で、特に儒教の朱子学を学び、法による統治を目指し、捨て子の禁止や親への忠孝を、また母親が信奉する仏教の慈悲の精神を日本人に浸透させたいと考え、湯島聖堂という学問所を創り、大名や幕臣に対して400回以上も儒教の精神についての講義を行った。この湯島聖堂の学問所は、日本の学校教育発祥の地となっている。生類憐れみの令は、戦国の殺伐とした気風を排除して徳を重んずる文治政治を推進した儒教に基づく文治政治の一環であると再評価されている。特に「捨て子禁止令」(1690年)が綱吉の死後も続き、子どもを遺棄する行為が悪と考えられるようになったことから生類憐れみの令は、子どもを遺棄することが許される社会から許されない社会への転換点となり、遺棄された子どもを保護する仕組みが構築されていったと高く評価されている。

 昨年だっただろうか、名古屋市教育委員会文化財保護室の伊藤厚史氏の案内により、覚王山の歴史フィールドワークに参加した。墓地の片隅に「萬犬供羪塔」という碑があり、碑の上には弘法大師が鎮座したものだった。この碑は、狂犬病が流行した大正2年秋から、数万の犬を撲殺した惨事に対する慰霊碑だ。なぜ弘法大師が関係あるのか。それは弘法大師が高野山に金剛峰寺を建立する際、白黒2匹の犬に導かれたという逸話からだ。弘法大師空海は唐から帰国後、何処で密教を広めればいいのか探す旅をしていたところ、ちょうど奈良の山中で白と黒2匹の犬を連れた猟師に出会う。空海が道場を開くのにいい場所はないかと尋ねると、その場所を知っているのでこの犬に案内をさせましょうと言い、空海はその2匹の犬に導かれるまま進んだ場所を開山の地と定め、高野山と名付け、金剛峯寺を建立したとのこと。つまり、犬の助けを得て全国に広まることになった仏教なのに、その犬を何万頭も虐殺した人間のなんと愚かなことか。

 歴史は繰り返される。だからこそ歴史から教訓を学ぶことが大切なのに、ウクライナでは何の罪もない平和を希求する人々が無残にも殺害されていく。ロシアが放った砲弾が建物を破壊し、炎上する光景が毎日ニュースで映し出される。イスラエルとパレスチナでも多くの子どもたちが落とさなくてもよい命を奪われている。

 私たちは想像しなければならない…あの建物の下では多くの子どもたちの命の灯が消えかかっていることを! 家族が愛した犬や猫などの動物たちも犠牲になっていることを! 爆撃で自然環境が破壊されるばかりか、爆発により大量の二酸化炭素が発生し、人々が平和に暮らしていた街が爆撃により多くの無機質な瓦礫を生み出し、地球環境破壊につながっていることを!
私たち人間が歴史から学ぼうとせず、同じ過ちを繰り返し続ける生き物だということを!

私の記事を読んでくださり、心から感謝申し上げます。とても励みになります。いただいたサポートは私の創作活動の一助として大切に使わせていただくつもりです。 これからも応援よろしくお願いいたします。