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明治・大正・昭和前期の「もったいない」は?

 前回は江戸時代からの純粋な「もったいない」について述べたが、明治から戦前までの「もったいない」には様々な「お国の事情」が関係してくる。
 
 江戸時代と明治時代のエネルギー源は大きく異なっている。江戸時代のエネルギー源は薪や炭だったが、明治になると石炭が普及し始めた。薪や炭の供給量は日本列島で一年間に育つ木材の量により決定されるが、石炭にはそのような制約がない。

 石炭は一生懸命掘れば、それだけ多く手に入る。また、石炭から得られるエネルギーは、薪や炭から得られるものより遙かに大きかった。明治時代には石炭を利用した工業が急成長したが、このことは都市の発展を通じて、人口増加の原動力になった。工業が発展し始めた都市が、農村の過剰人口を吸収したのである。しかし明治になっても、食料生産は江戸時代の延長でしかなかった。明治は西洋の進んだ科学的技術が流入し、それによりコメの生産量が増加した時代でもあったが、その増加は工業ほどには著しくなかった。また、大正時代になるとそれまで伸びていた単収も伸び悩む。
 コメの生産量が思うように増えないにもかかわらず人口が増え続けたために、「日本国内にじっとしていたのでは、食料が手に入らない時代」に突入してしまった。そのため、この時代に「もったいない」は重要な徳目になった。

 日露戦争の英雄、乃木希典は戦後、皇孫(昭和天皇)の教育のために、明治天皇により学習院の院長に任命されているが、乃木大将は昭和天皇に贅沢を戒める教育をしたとされる。昭和天皇は後年のインタビューで、「乃木からは質実剛健ということを学びました」と答えている。乃木大将に関しては、駅弁を食べるときに弁当の蓋についた米粒を一粒ずつ丁寧につまんで食べていたというエピソードも残っている。栄誉栄達を遂げたにもかかわらず米一粒を大切にする態度は、乃木を人々が一層英雄視することにつながった。このような乃木の態度が日本人に共感を持って迎えられたことは、明治後期において食料が不足気味であり、「もったいない」が重要な徳目になっていたことを示している。

 日本では、明治30年頃に人口過剰が意識されるようになり、大正になると人口過剰はさらに強く意識されるようになった。人口の過剰感は移民を出したいと気持ちにつながるが、昭和に入ると米国で排日移民法が制定されるなどして、移民は難しくなった。そのために、日本は食料増産によって人口過剰を切り抜けようとした。昭和2年には、浜口内閣に人口食糧問題調査会が設置されてコメの増産政策が打ち出されている。

 しかしながら、この時期の日本の政策は矛盾に満ちている。人口が多過ぎるなら産児制限をすればよいのだが、日本政府は逆に「生めよ、増やせよ」と人口増加計画を打ち出している。この背後には、食料が不足するなら他国の領土を侵略すればよいと考える軍国主義が見え隠れする。他国を侵略するには強い軍隊が必要になるが、そのためには多くの兵士が必要であり、それには人口を増やさなければならない。富国強兵や帝国主義は当時の世界の一般的な考えであり、今日の尺度を持って批判することはできないが、食料不足を解決したいのであれば矛盾した政策といってよい。

 この時期に日本は植民地とした朝鮮や台湾から米を調達しようとしたが、そこでも人口が増加してしまったために、十分な米を手に入れることができなかった。人口問題の解決をはかるために、植民地への移民を考えたのは、満州国を作ってからのように思える。これは、台湾や朝鮮を植民地とした時代よりも満州国を作った時代のほうが、食料不足や人口の過剰な増加が深刻であったためであろう。

 そして、日本は日中戦争、満州事変、太平洋戦争へと歴史を進めていく。満州国設立の目的の一つに食料確保があったが、それが裏目に出てしまい、昭和10年代に入ると日本の食糧事情は悪化の一途をたどることになった。
満州事変に始まり15年にも及んだ戦争の時代は、「もったいない」精神が特に強調された時代になった。この時代の「もったいない」は、市民の自発的な行動だけでなく、政府の押しつけが加わったことに特徴がある。日中戦争から太平洋戦争へ戦線が拡大し、本格的に物資が不足し始めると、政府による国民への「もったいない」精神の押しつけは激しいものになった。
当時のスローガンは「贅沢は敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」となる。軍司令部からの「もったいない」精神の強要は相当に強いものになっていくのである。もちろん物資が不足する中で、庶民は自発的に「もったいない」精神で物事に対処せざるを得なかったのだ。政府がそれを強力に後押ししたことで、当時を生きた人々に「もったいない」精神が強く植え付けられることになった。

 日本の歴史に当てはめると、「もったいない」は人口増加に伴う食料不足や、戦時下における庶民へ半強要のように聞こえてしまうかもしれないが、江戸時代の「もったいない」はまさにSDGsのお手本のようなものだった。ワンガリ・マータイさんが世界共通語にしてくれた”MOTTAINAI”は、戦時下の「もったいない」の強要など微塵も感じさせないポジティブで純粋な使われ方をしている。
 もったいないことをしていると「もったいなーい」と言いながらどこからともなく現れ、昔ながらの知恵を使って、どうしたらもったいなくなくなるかを教えてくれるおばあさん「もったいないばあさん」をお手本にしていくことが「もったいない精神」のステキな活用法なのだ。

 ちなみに、トップの画像はnoteの画像集から選んだものだが、私も小学生の頃はこれくらいの短さになるまで鉛筆を大事にしていたことを思い出させてくれた。「もったいない、もったいない」

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