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童話の素晴らしさ⑧ 鳥と獣とコウモリ

 今回はイソップ童話の『鳥と獣とコウモリ』から学べる教訓について考えたい。物語の内容についてご存じの方も多かろうが、念のため、あらすじを紹介しておく。

 昔、地上の動物たちは皆仲良しだったが、ある時から獣と鳥に分かれ、どちらが強いかで戦いになった。身体が小さい鳥はいつも劣勢で、その様子を見ていたずる賢い一羽のコウモリは、獣が有利になると獣たちの前に姿を現し、「私は全身に毛が生えているから、獣の仲間です」と言った。すると、獣は「おまえには羽があるじゃないか。だから鳥の仲間だ。」
 そして、鳥が有利になると鳥たちの前に姿を現し、「私は羽があるから、鳥の仲間です」と言った。鳥は「お前の顔はネズミみたいだ。だから獣の仲間だ。」
 その後、鳥と獣が和解し戦争が終結する日がやってくる。しかし幾度もの背信行為を重ね、双方にいい顔をしたコウモリは、「お前のような卑怯者は二度と出てくるな」と皆に嫌われ仲間はずれにされてしまう。居場所のなくなったコウモリは、やがて暗い洞窟の中へ身を潜め、皆が寝静まった夜だけ飛ぶようになった。

 物語の中でコウモリは、獣からは「羽があるから鳥の仲間だ」と言われ、鳥からは「顔がネズミみたいだから獣の仲間だ」と言われる。Wikipediaに紹介されているこの物語の教訓は「主体性が無い者は、やがて誰からも信頼されなくなる」と書かれているが、果たしてそうなのだろうか。

 コウモリは生物学上は哺乳類になるので、本来は獣の仲間となる。その姿かたちで「羽があるから」「顔がネズミみたいだから」と誤解されたコウモリは、もしかしたら自身の見た目のコンプレックスを抱えていたかもしれない。本当は仲間に入れてほしいと思いながらも、見た目で受け入れられないとわかっていたからこそ、少々ずるくても相手に取り入ろうとしたとは考えられないだろうか。

 人に置き換えて考えてみよう。自分だけが周りの人と違う世界に置かれたらどんな気持ちになるだろう。きっと大きな不安を抱えることになる。もしも読者の皆さんが海外の高校に転校することになって、そこで「髪の色や肌の色が自分たちとは違うから、あなたとは友だちになれない。」と言われたら、自分自身の見た目にコンプレックスを感じてしまうだろう。でも、そのコンプレックスは周りにはなかなか理解してもらえないかもしれない。しかし、今の世の中、見た目だけで人を判断してはいけない。その人の中身でその人を評価することが大切な時代になっている。

 世の中には差別や偏見が存在する。私たち人間に求められているのは多様性を重んじること。次の2つの言葉がキーワードだ。
■ダイバーシティ(多様性):
 人々の性別、年齢、国籍などの違いを尊重し、個性を活かす考え方。
■インクルージョン(包括・受容):
 これらの多様性を組織内で受け入れ、活用するプロセス。も、人を見た目、世界中で言われ続けてきた多様性を重んじること

 現在、小学5年生の国語の教科書に「大造じいさんとがん」という児童文学者:椋鳩十(むく はとじゅう)氏の作品が載っている。椋鳩十氏はかつて次のように語っている。今でいう多様性の大切さだ。

 立場の異なるものの、すべてを拒否するということは、とげとげしく、窮屈な生き方である。
 どういう立場にあろうと、互いに認め合うべきすぐれたものは存在するはずである。
 そういうものを、極めて自由な立場に立って、いいことはいい、悪いことは悪いと言える心は、素直な心であるように私は思う。

椋鳩十(小説家・児童文学者)

 宇宙飛行士の野口聡一さんも次のように多様性の素晴らしさを語っている。

軍民や性別を問わず、国籍も人種も違うメンバーが選ばれた。その多様性こそが、宇宙滞在という困難な状況を乗り越える、打たれ強いレジリエンス(回復力)につながったのだ。

野口聡一(宇宙飛行士)

 今回はコウモリが教えてくれた。多様性を認め合うことの大切さを!
   ハロウィンの日を祈念して、コウモリの話をさせていただいた。

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