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CDと共に過ごしたわが青春

自分もCDを買わなくなってしまった、というより今は社会復帰前夜の準備もあって金欠な上に余裕もないから、そういう意味合いでの不買傾向でもあるわけだが…(笑)とはいえ、Apple Musicといった非常に幅広く音楽作品が網羅される、合法的な魔法のツールたるサブスクリプションを得てしまった今となっては、やひろさんもおっしゃられている通り、確かにCDというツールの衰退を社会的にも感じるし、何よりあれだけ青春を共に過ごしてきたCDという媒体に対して、自らも衰退に加担しているのだと思うと、それはそれで合理化の残酷さに抗えぬ自己嫌悪もあるし、致し方がないという諦めの感情も生まれてくる。

といっても、今回はそういう湿っぽい話をしたいわけではない(笑)

自分の音楽人生はCDと共に歩んできた。最もCDに触れていたのは高校大学時代である。当時もネット上のダウンロード販売は既に幅広く展開されてはいたが、なんだかんだ目の前に固形物として残る上に、音質的な側面を考慮しても、CDのほうがお得だと思える時期でもあった。そうでなくとも、CDでのみ販売されている音楽作品もまだ数多かったために、結果的にCDで購入することが多かったのもあるかもしれない。

思い出すのは、秋葉原にあったヤマギワ電気のマルチメディア店、ヤマギワソフト。ここはメタルコア(メタルとハードコアを掛け合わせたような音楽、下記の映像をご参照頂ければ)というジャンルのCDが結構な確率で叩き売りされていて、そこで運命的な出会いを果たしたのがMisery Signalsというバンドのファーストアルバムだった。

彼らの最初のCDアルバムが1000円という、当時の輸入盤CDにしても非常に破格な値段で売られていて、なんとなくジャケット買い的なノリで購入したのだが、これがメタルコアにどっぷりつかっていた自分には大当たりであった。秋葉原の中でも異彩を放つ品揃えで、その非常にニッチで攻めた姿勢に心底敬愛を抱いていたのだが、2007年に残念ながらソフマップの関連会社に吸収される形で、ヤマギワブランドの貴重なCDショップは事実上閉店となってしまった。

ソフマップの買収後はアニメやJポップといった、秋葉原においても何らサプライズのないありふれたラインナップとなってしまい、酷く落胆してしまったのは今でも覚えている。何より、あの時にヤマギワソフトがなければ、Misery Signalsというバンドも知ることはなかったと思うので、今でも本当に感謝している。

ところで、意外にもCDという媒体が音楽市場の主流であった時代以上に、現代のサブスク全盛期の中で、特に日本において大きく市場が成長し発展を遂げた音楽もまた存在する。自分の高校時代を支えてきたヒップホップという音楽は、CD全盛期な上にJポップ的な何かが支配的な日本市場においては、プロモーション等でも苦戦を強いられ長年伸び悩む傾向にあったように思われるが、サブスクの普及やYouTubeでの迅速なPV配信などが広く普及した辺りから(フリースタイルバトルの番組等の人気も相まって)急激に需要が拡大していった印象が強い。

今現在はヒップホップ界隈にとどまらず、多方面からの人気と信頼を得ている「舐達麻」も、YouTubeという媒体を通じて一気にブレイクを果たした印象も強い。逆に言うなら、彼らのブレイクの決定打ともなった楽曲「Floatin'」における、オランダはアムステルダムで撮影された映像を通じての、壮大なブランディングとプロモーションも、結果的に時代を先取りした印象が強く、その意味では極めて確信犯的であり効果的であったといえる。尚、「確信犯」というのは自分からの彼らに対する最大級の敬愛を意味するので、ご理解を…(笑)

特に象徴的だったのが、彼らが今年にフジテレビの深夜番組に出演を果たしたことだろう。要するに、メディアがヒットを創出するのではなく、メディアが個々のヒットに便乗する時代になったという話でもある。TV出演こそブレイクの最短だと考えられていた時代からは、想像できない真逆の展開でもあるが、それもサブスクリプション時代の賜物と言えるのかもしれない。

CDという媒体はそもそも費用対リスクも大きい。自主制作にしても手配や在庫管理等で費用がかさむ上に、そもそもインディースの場合は取り扱う実店舗への流通あるいは交渉等においても、想像をはるかに超えるような労力が必要である上に、手売りなり実店舗での展開も含めた自主販売にしても、アーティスト自身にとっては負担も大きいことは確かだ。

最も、実際にどのような手続きや労力が必要かは分からないので、あくまで想像上の話ではあるが、恐らくサブスクリプションやダウンロード形式のほうが、遥かにリリース迄の労力も面倒事も少ないのかもしれない。その意味で、当初はアーティストの利益を奪いかねないという批判の声のあったサブスクが、意外なところで独立系アーティストのキャリアを後押しするような構図を、結果的に生み出すような形になったのかもしれない。

確かに、レコードのように絶対的な価値と嗜好品としての要素が伴う媒体であるなら別なのかもしれないが、サブスクリプションにおいても高音質で楽しめる現代においては、CDという媒体は「時代錯誤の円盤」という認識に至ってしまうのかもしれない。そうでなくとも、パソコンに音楽を落とし込む作業も含め、1クリックで音楽が楽しめる効率性の前には影を落としてしまうのも否めないし、その媒体自体が未来永劫にデータたる音源の保存が可能か否かという問題もある。今のところ、我が家にある古い音源も含めて恐らく問題なく再生はできてはいるが…最も古いBostonという米国のロックバンドのCDは、既に親父が購入して40年近くになるのだろうから、その音源データの再生がいつまで可能なのかは分からないし、ある日突然のように再生不可になる可能性も、ないわけではないのだろう。

だが、それでも自分はCDの価値をどうしても捨てられない人物ではある(笑)CDという媒体で展開される音楽作品というものに愛着が強いからだろう。歌詞カードやジャケット、あるいはCDの盤面に刻まれるデザインなど、1つの嗜好品として強く認識しているのかもしれない。お金のない時は確かに購入を躊躇することは非常に多かったが、仮に今後に金銭面で余裕ができたのなら、サブスクに加入しようともCDでほしくなる心境も戻ってくるかもしれない。


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