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生理/ルッキズム/体重 と私

生理と私


昨日はぐったり。
暑さのせいもあるけど、やはり生理のせい。
ルーティンの英語学習はやめて、眠気にまかせて昼寝した。

夜もなんだか気になって眠れなかった。
いつもなら考えないことを考えて、涙が出た。
パワハラのことを思い出したり、将来が不安で嘆いたり。
「生理のせい」と思いつつも、
ハードル飛び越えたら楽になるんじゃないか(つまり死)、という気になった。
危ない。

10~20代の頃は、生理がまともに来なかった。3か月~半年に1回だった。
健康診断では嘘ついて適当な生理周期を書いていた。
(ちゃんと相談できていたら良かったのかも。おそらく体が冷えていた。)
生理痛やナプキンの煩わしさは実感としてわかるけど、
生理の回数が少ないから、そんなに困っていなかった。

今は、だいたい月に1回生理が来るようになった。
すごいことだな~と思う。

今後、子供を産むか産まないかは関係ない。
ちゃんと私の細胞は生まれ変わっている。人間の神秘。
確かに生理の煩わしさはあるけど、自分の体を大切にしよう。


ルッキズムと私

おそらく醜形恐怖だった。自覚していた。
鏡に映る自分が嫌いだった。
みんな可愛いのに、自分だけ可愛くない。

町の人を見て、ブサイクだなと思う時もあった。
(いや、そもそも"ブサイク"とか無いんだけど)
そんな評価を下していた自分が余計に嫌いだった。
私だって、誰かにブサイクだなと思われているに違いなくて、
100人いたら100人がそう判定するんじゃないかと。それは、いやだなと。
自分を責めて心を痛めつけていた。

今は、いろんな容貌の人がいていいと思っている。

美人女優は美人かもしれないが、好きかと言われるとそうでもなかったり。
昔は超美人だと思っていた女優が、見慣れてそう思わなくなってきたり。
だから、美醜ではない。
カオ。顔。貌。それは個性。その人を表すもの。

今の私の顔は、良い感じ。
ウサギみたいだな(?)と思う。小動物系?
角度によって良くないときもあるし、写真写りは悪いだろう。
でも、これが私の顔。
美醜ではない。

でも社会に出ると、また他人と比べて悩むのかもしれない。


体重と私

1月に体重が増えてがっかりした。
見た目はさほど変化はなかったが、
通っているヨガでそんな話になったとき、
「お正月太り?お餅食べすぎたんでしょう?」と言われ不快になった。
お餅は、ほとんど食べていなかった。

今(7月)、その体重から3kgぐらい減っている。うれしい。
ヨガのおかげだと思っている。

ヨガに通う前は、とにかく脚がむくんで、膝小僧が埋もれて見えないぐらいだった。
それが今は、膝が現れ、脛や足首が少しずつ形を見せてきた。
まだ太もも、ふくらはぎ、足首も太い。改善の余地あり。

ずっと、太っている自分が嫌いだった。
肉を切り刻んで取り除きたいと思っていた。
自分を殺して生まれ変わらなければ普通の体型にはなれないと思っていた(こわい)。

モデルみたいになりたかった。
例:ウエスト50cm、体重43kg。
私には現実的に無理、骨格的に無理。
なんでこんな「普通ではない・太った」体になってしまったんだろう、と落ち込んでいた。
芸能界に憧れていたから余計に絶望感があった。

体質的にも、痩せることはないと医師から言われたこともあったし。
甲状腺機能低下だから、どうしてもぽっちゃり、むくみ体型になる。

変化は少しずつだ。
標準より少しぽっちゃりでもいい。
とりあえず、もう少し体重落ちたらいいな。
今からならできそうな気がする。不思議。

あと、大切なのは、また体重が増えても責めないことだ。

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