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「文豪が推す」モスリン

谷崎潤一郎がモスリンと銘仙を主衣装していた

谷崎純一郎全集で、面白い一文を見つけました。タイトルは「縮緬とメリンス 」で、大正十一年七月號「婦人公論」に掲載されたものです。婦人公論の編集者からの依頼で書いたもののようです。古い漢字と仮名遣いなので、筆者が解説を付けています。
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日本の女子の着物、殊(こと)に晴着が不經済(経済)極まるのであることは今更私の呶々どどを要する迄もない。で、私は戍るべく若い婦人たちに縮紬を拾ててメリンスを用ふることを勸めてゐるのだが、偶々(たまたま)本誌の主筆島中君が矢張りメリンス党の一人で、私に「メリンス奨励論」を書くやうにと云ふ依頼であつた。しかし私は茲に(ここ)「奨励論」などと云ふ大袈裟なことを書く氣はない。ただほんの思ひ付いた事柄に就いて、二つ三つ意見を述べて見ようと思ふ。
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という出だしで始まります。メリンスはモスリンのことで、モスリンとは羊毛からとった糸で織りだした、薄い平織の織物のことです。染色性にすぐれ、軽く暖かいので、明治・大正前期より、着物の下着として広まりました。着物地や帯地としても利用されましたが、摩擦に弱い・虫が付きやすいなどの欠点があり、昭和時代まで、あくまで普段着としての位置づけでした。
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そこで私かメリンスを奨励するのはいわゆるよそ行きの着物の場合、お召や縮緬を着る代りにメリンスを着るがいゝと云ふのである。
メリンスならお召中縮緬の持つしなやかさがあり、且それにない所の特長もあるから、餘程の贅洋屋でない限りはメリンスで澤山だ、と云ふのである。

錦紗よりモスリン

あまり長い引用は避けたいと思いますが、あれほど「細雪」などで豪奢な着物の描写をした文豪は、錦紗(文中では金紗)をさんざんにこきおろし、誰でも似合う訳ではない、とすら書いています。モスリンを着て、装飾品を付けることも勧めています。
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それでも何とかして金のかかつだ物を着けたいと云ふならメリンスの着物で腕輪なり、頚飾なり、耳飾なり指輪なりをするがいい、ピカピカする絹物の衣裳では、そんなゴテゴテした装身具は茄けにくいが、メリンスならばそれがやれるし、そしてそれらの寶石を非常に美しく度ゆかしくも見せるであらう。
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「陰影礼賛」では、日本人には華やかな装身具は似つかわしくない、と書いているのと真逆であるような気がします。

薔薇模様のモスリン

モスリンを流行させたい

作者は、女性の晴れ着に不経済性を解決する手段として、モスリンを何反か買って、「着つぶす」感覚なのが良いと主張しています。
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要するに私は、メリンスを贅澤な物、よそ行きの物として先づ派手好きなお洒落な人の方から流行らせたい。貴婦人、令嬢、女優、さういふ方面が思ひ切つてやれば、やがて一般にも普及するだらうと思ふ。さし向き子供の時茄だけは是非メリンスにしたいものである。子供には賞際それ以上の必要がないのだから。
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文豪にしては理解できていない女ごころ、いつの時代も少し余裕ができると、女性は着物や帯の購入に走り、それが日本の染織技術を支えてきたのです。

エキゾチックな文様のモスリン
乱菊文様のモスリン

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詳しいことはよく知らないが、今日専ら流行ってゐるのは金紗(錦紗)お召や金紗縮緬の類であるらしいが、メリンスならばそれらのものと殆んど同様の色や模様を出すことが出来、市場へ行けばいくら心さう云ふ品物を得られる。
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なんかこのあたり、大阪の会話で最後に「よう知らんけどな」と結ぶのに似ていて少し笑ってしまいました。谷崎先生は、本来は関東の方で、関西に来てからはこちらの文化になじむ努力をされたとききます。「しっかり関西人になってますね!」と突っ込んでしまいました。

柔らかくて暖かいモスリン、最近は若手作家の方もモスリンに注目しています。
【参考文献】縮緬とメリンス(中央公論・谷崎潤一郎全集14巻所収)

似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
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