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子どものころの純粋な読書欲求を思い出す〜スティーブンスン 『宝島』

『宝島』といえば、作者の名前は知らなかったり、思い出せなくとも、多くの「昔は子どもだった」大人たち(そして、現代の子どもたち)の記憶に残っている、元祖海洋冒険もののひとつ。

『ロビンソン・クルーソー』も、もちろんそのひとつ。

作者のスティーブンスン(スティーブンソン、スチーブンソンとも)はスコットランド生まれの英国人で、その生涯は44年と短かった(病弱だったようで)。

そのわりには既婚者の女性にはげしく恋をし、略奪婚をものにしたり、『宝島』以外の作品も多く残し、なかなかに濃い人生を送った。

彼の創作だけでなく、彼の人生をたどってみるのも、なかなかに興味深く、これまたひとつのロマン、ストーリー、文学ともいえるかもしれない。

そんなこといったら、彼以外の作家、いや、作家にとどまらず、すべてのひとにそうしたものはあるのだけれど。

本作についていうと、正直なところ「最近、やっかいな作品が続いてたから、軽く息抜きもかねて」っていうじつに失礼な(なのか?)態度でのぞんだところもあったのだけれど

実際に読み始めると、ひさしぶりに少年時代にもどったかのような「これからどうなるんだろう?はやく次のページに進みたい」という純粋な欲求に突き動かされていることを感じた(子どものころの、はじめての一気読みの記憶は『小公女』だったか『小公子』だったか)。

手垢のついた、あまり使いたくない表現だけれど、いわゆる「ワクワク」といったもの。

たしかに、子ども向けに書かれた作品ではあるのだけれど(どちらかというと、やはり少年なのだろうけれど、女性であってもこうした物語に「ワクワク」するひとはけっして少なくないだろう)

スティーブンスンのもつ筆力、高い物語性、構成によって繰り広げられるその作品世界は、けっして成熟した(いろいろな意味で)大人が読んでも退屈するものではないし、子供だましといったものにもとどまらない。

むしろ、多くのひとたちが読み、慣れ親しんできた、子供向けの改作や短縮版ではなく、本来のオリジナルを、大人になったいま、あらためて読む、体験することはとても興奮する読書体験になるんじゃないかな。

知的好奇心を満たすといったこととは別の、もっと原初というか原始というか、読書という行為に肉体的(興奮)に「わくわく」できた「あの頃」を思い出す、追体験するという意味でも。

本作に登場する重要な役回りのひとりとして、強烈なキャラクターの「シルヴァー」(隻足のコックで元海賊)がいるけれど、このキャラクター造形がすばらしい。

彼(シルヴァー)のもつ、陰影と浅深に富む二面性は、スティーブンスンの次作である『ジキル博士とハイド氏』につながっているらしい。

『ジキル博士とハイド氏』についても、作者を知っているかどうかはもちろん、多くのひと(わたし含む)が、なんとなく知っているけれど、ちゃんと完読したひとはあんがい少なかったりする。

これを機会に(『宝島』読後のモメンタム、余波にのって)ぜひ、読んでみたいと思った。

古典文学とひとことで言ってしまうと、あまりにもざっくりで雑だけど、こうやって渉猟していくと、じつに様々なタイプの作家、思想、手法などがあって、それらを自分の好みで使い分けて選び分けていくのもまた、この渉猟の旅のたのしみ、よろこびにつながっていくのだなぁと。


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