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【日米戦争の反省】正反対すぎる日本人とアメリカ人の気質

その戦争はなぜ起きて、どのように推移したのか。

これには、当事国の「国民気質」が大きく関わってくると思います。

日米開戦時の米国駐日大使だったジョセフ・グルーは、日本がどのような国家で、日本国民がどのような気質をもった民族か、これについて以下のような分析を行っています。

「日本人は誇り高い民族である。忠義の精神が厚く名誉を重んじ、恥を憎む。忠義を果たせず名誉が損なわれ、耐え難い恥をかかされるくらいなら、いっそ死を選ぶと考える。アメリカ人からすれば理解しがたい部分も多く、経済的な圧迫を加え続ければ破滅を恐れて音を上げるだろうとのアメリカ的思考が日本人に通用するとは限らない。これ以上の辱めは我慢ならぬと、彼らが敗けるとわかりながら対米戦争に突入する“国家的ハラキリ”も、まったくあり得ない話ではない」

正確な文言ではありませんが、確かこのような趣旨の対日分析を行っていたと記憶します。

外交官として日本滞在10年のキャリアがあったジョセフ・グルーは、当時のアメリカ人のなかでは一番日本を知り尽くしていた知日派と評価されます。彼が残した証言や著述は今日の歴史研究にとっても大変貴重なものです。

アメリカ人から見て、日本人の考えや行動には異質に映る部分が少なくなかったのでしょう。

アメリカ人は合理主義的な精神が徹底していて、理屈に合わない無意味な行動を嫌います。それをやって意味があるのか、どんな得があるのか、何かを生み出すような価値があるのか、これらが大きな行動基準であり、ここからはみ出すものはすべて無駄とみなして切り捨てるといった人たちです。

日本軍で慣例だった「鉄拳制裁」も、米軍ではほとんどなかった、と捕虜になった軍人の証言もある通り、殴ったからといって部下のだらしなさや欠点が直るわけでもなく、むしろ殴るほうも拳を痛めていいことないじゃないかと考えるのがアメリカ人です。ミスや欠点があればまずそこと向き合い、なぜそのようなことが起きたのか、二度と起きないようにするにはどのような案が考えられるか、緻密な原因分析をもとにした再発防止と対策でしかこの問題に対する答えはない。これほどまで合理主義・科学主義が徹底しています。

日本人だったら、殴られる痛みに耐えることで精神が鍛えられる、その根性こそ美しく、無駄どころか己を高める重要なものだ、となるのですが、アメリカ人からしたら、「ケガ人が増えて戦力低下につながる」とバッサリなわけです。

そんな、徹底合理主義のアメリカ人は、「日本がまさか我が国と戦争をしようだなんて、そんな気の触れた行動に出るわけがない」と考えていた節があります。

工業力は日本の十倍、エネルギーも食料もありあまるほど備えがあり、科学技術は一歩も二歩も進んでいる。国力がまるで違う大国アメリカに、資源も何もない極東の小国が戦いを挑むなど、考えられないというかあってはいけないことだ。

しかも、アメリカは日本にとって石油を供給する国。その依存度は8割を超えている。アメリカが石油を止めただけで日本は船一隻動かせず、機能不全に陥る。資源を輸入に頼る国だから、輸送船を動かせなくなればたちまち国全体が干上がるだろう。

「持てる国」アメリカからすれば、「持たざる国」日本など、武力を使わずとも経済的に締め上げるだけで壊滅的打撃を加えることができたのす。

アメリカ人の「合理主義的思考」というコンピュータがはじき出した答えは、「敗けるとわかっている相手と戦争するわけがない」「強気でグイグイ押せば、必ず向こうは折れてこちらの軍門に下る」であり、それ以外の答えは何度シミュレーションしても出てこなかったかもしれません。

しかし、結果はジョセフ・グルー大使が危惧した「国家的ハラキリ」が現実となってしまいました。

アメリカの主張に屈服すれば亡国必至、だが戦うもまた亡国であるかもしれない。戦うも亡国、戦わざるも亡国。戦わずして亡国の道を選ぶのは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神は残る。その精神を引き継いだわれらの子孫が再起してくれるはず…。(海軍軍令部総長・永野修身)

戦わずしてアメリカの奴隷になるのは精神の破滅であり、民族永遠の亡国である。同じ亡国でも勇敢に戦い、祖国護持の精神だけでも残すー。

「生き恥をさらすより美しい死」を選んだ日本、「祖国護持の精神」を託された今の日本人を、泉下の永野修身がどんな思いで見つめているのかは気になるところです。

精神主義で戦った(というよりそれで戦うしかなかった)日本は合理主義の鬼であるアメリカに敗れたわけですが、ではアメリカの合理主義的精神はどこまでも万能なのかというと、そう単純な話ではないようです。

これには、当のアメリカ人である歴史学者のゴードン・プランゲという人が面白い分析をしています。

以下は、日本に対するアメリカの交渉姿勢の問題点を指摘したプランゲの分析について、近現代史研究家の渡辺惣樹氏が解説した文章です。『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』(ジェフリー・レコード著 渡辺惣樹訳・解説)からの引用となります。

プランゲ教授はアメリカの情報分析に対する態度を問題にした。アメリカが解析した日本の暗号文書には日本の真珠湾攻撃を直接的に示す材料はなかった。したがって情報を精査する能力、つまり正しく解釈する能力が必要であった。ただし情報の解析は科学(サイエンス)ではない。そこかしこに散らばるメッセージから何が重要かを読み解く作業である。プランゲはイマジネーションの重要性を指摘している。アメリカの情報収集・解析を担当する者たちは暗号を読み解く科学の分野では秀でていた。暗号を読み解くために必要な論理(ロジック)の分析に優れていた。しかし、入手した情報の読解は科学ではなく、イマジネーションを駆使する一種の芸術(アート)であった。アメリカは、その芸術的才能に決定的に欠如していた。そう指摘してみせたのである。

※太字=筆者

アメリカは日米開戦前すでに日本の外交暗号と海軍暗号の解読に成功していました(海軍暗号解読はイギリス海軍からの情報提供による)。それはアメリカの情報収集・解析担当者のすぐれた暗号解析能力の賜物でしたが、その情報が究極的に何を意味するかの読解にはイマジネーションが必要であり、ロジック解析能力がいかにすぐれていてもそれだけでは不十分である、というわけです。

アメリカ人は科学力はあっても想像力が足りないーこのような指摘はちらほら聞きます。アメリカはあのように世界でも突出した国なので、国家の姿勢にも国民性にも、「ナンバーワン意識」が随所に出ていると感じることがあります。アメリカ人の多くは自国以外の国についてはまったく興味も関心も示さないといい、「世界はアメリカと、それ以外」程度の認識だとか。スケールが大きすぎるゆえの気質かもしれませんが、自分たちの存在があまりにも大きすぎて他国や他地域への想像が働かなくなるのでしょうか。イラク・アフガン侵攻後の統治失敗も、結局は他文化他宗教へのまったくの無理解が根底にあったのではと思ったりもします。

ロジックや科学的なデータだけでなく、想像力も駆使しないと、人間の心理や行動は理解できないというプランゲ氏の指摘はまったくその通りで、この想像力に関していえば日本人のほうがアメリカ人より優れていると思うのです。

「日本は察する文化」だということを前回の記事で書きました。

どの国の国民にも、上書きの難しい民族性はあると思います。さすがに今の日本人に「恥を書くくらいなら死を選ぶ」美学はないにしても、「空気を読み、他人をおもんぱかる」気質は健在です。これは想像力がなければできないことです。また、「美しい形式や精神性を重んじる」といった価値観も、消えたわけじゃないでしょう。自分たちにはこのような遺伝子があると認めることも、科学といえば科学です。

アメリカ人の合理主義的な思考は見習うべき部分もあり、参考にできるところは大いに参考にしましょう。ただ、我々日本人はしょせん日本人であり、アメリカ人にはなれません。日本人の民族性や伝統的習慣を全部無視して何でもアメリカのようにすればいいとやるのは無理がありますし、それこそ非合理的で無茶というものです。自分たちの気質を認めつつ、行き過ぎた部分は改め、不要な場面でそれが働き過ぎないようにするにはどうすればいいか、それを知るために歴史があると思うのです。


参考資料









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