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「老害」体験を通して思うこと

身勝手で傲慢で、怒りっぽい。長く生きているというだけで、何をやっても許されると勘違いしている。そんなモンスター老人のことをちまたでは「老害」と呼ぶ。

ぼく自身、この言葉はあまり好きじゃない。だから表現する際もカッコ書きにとどめておく。さて、かくいう自分も一度だけ、元気過ぎて手に負えない年配の御仁とぶつかり、火の粉をかぶった体験がある。

前のマンションに住んでいたときの話。そこは主にワンルームメインの賃貸住宅で、ぼくと同じく単身世帯が多かったと記憶する。住人の年齢層は大学生からシルバー世代までと幅広く、男女、国籍問わず、いろんな属性の方が住んでいた。

問題のご老人は、ぼくと同じ4階に住んでいた。ひとり暮らしの男性で、年は70歳くらい。小柄で小太り、ずくっとした胴体に、重量感のありそうな頭が首を埋めるようにのっかっている。いつも眉間にしわを寄せて、口をちょっとだけ開き、「オレ様が通るぞ」と言わんばかりに肩を怒らせながら歩く。それだけでもうすでに近寄りがたい存在だった。

彼の名をここではR氏としておこう。外出の折りはR氏とたびたび対面することがあった。彼はヒマなのか、よく共用廊下でぶらぶらしていた。

R氏は典型的な暴走老人だった。誰かと衝突するのが仕事であるかのように、いつも住人を罵倒していた。そしてケンカしていた。先に吹っかけたのはもちろんR氏だろう。誰も好き好んでケンカなどしない。

住人のちょっとした落ち度をみつけては、自分勝手なご高説をまき散らす。まるで獲物を見つけたライオンのように喰ってかかる。警察沙汰になったことも一度や二度ではない。もはやマンションのなかに猛獣を一匹飼っているようなものだった。だれもがR氏との接触を嫌がった。

ぼくがR氏と正面衝突する羽目になったのは、一階コインランドリースペースで洗濯したときのこと。洗い物を乾燥機にかけようとしたところ、フィルターがほこりの塊で目詰まりを起こしていた。これじゃ使えないと思い、ポストの下にあったゴミ箱にほこりを捨てようとした、そのとき。

マンション入り口の車道に立っていたR氏が、ダダダダダ、と走ってきて、「おい!これはチラシを捨てるゴミ箱だぞ! こんなところに捨てるんじゃねえ!」とものすごい剣幕で詰め寄ってきたのである。

ぼく「あ、すいません、じゃどこに捨てればいいんですかね」

R氏「自分の部屋のゴミ箱に捨てろ!」

ぼく「でも、これ乾燥機のフィルターのゴミですよ。ぼくがためたゴミじゃない」

R氏「うるせえ! とにかくこのゴミ箱は使ったらだめだ!」

ぼく「ちょっと待ってくださいよ。あなたいったい何様ですか? 管理人ですか? そんな偉そうに言われる筋合いないですよ」

なるべく冷静に対処しようと思ったが、あまりの罵詈雑言でたまらず怒鳴ってしまった。確かにぼくも悪いが、一体この高圧的な態度はなんなんだ。いきなり暴言を吐いて無理やり従わせようなんて、とても大人のすることじゃない。

彼はよく、住人の行動を監視していた。もし落ち度のある行為を見せようものなら、すかさず説教をはじめるのである。しかも暴言の限りを尽くして。ぼくとぶつかった日も、何かしはしないかと監視していたのである。もし間違ったことしたら懲らしめてやろう。そんなふうに舌なめずりして。

胸糞の悪い接触をしながらも、本気で怒る相手じゃないな、とどこか冷めた見方もあった。この人はただ単にやることがなくてエネルギーをもてあましているだけなのだ。見る感じ仕事などしてなさそうだし、生活保護の匂いがプンプンする。身寄りもなく、友達もいそうにない。どこまでもさみしい人で、孤独な老人。ひとりで暗い部屋に閉じこもっても頭がおかしくなりそうだから、無理やり因縁をつけて関わりを持とうとするのだろう。そうするしか孤独の闇を紛らす方法はないのだ。

何も人品だけをみて、そんなスジの悪い断定をしたわけじゃない。ある日の朝、出勤のためマンションを出たとき、駐輪場からR氏が現れてさっそうとぼくを追い越していった。追い抜きざま、彼はおもむろに携帯電話を取り出して、こう言ったのだ。

「あ、オレ、うん分かった。今いく」

そう言って電話を切り、ぼくの視界から消えていったけど、どうも違和感を覚えずにはいられなかった。携帯電話の着信が聞こえなかったのは、マナーモードの可能性があり変に勘繰るところではない。気になるのは彼の返答の仕方である。状況的に、果たしてそんな言い回しになるだろうか? 

電話をかけてきた相手に対して、「オレ」とことわる不自然さ。すでに自転車に乗って向かっているのに、さもこれから家を出ると告げるかのような「今行く」というセリフの奇妙さ。そこは「今向かっている」というのが自然だろう。

下種の勘繰りかもしれないが、彼のしぐさは何から何まで芝居臭く見えた。オレはひとりじゃない。何もすることがなくてぶらぶらしてばかりじゃない。誰かと会って、遊んだりメシを食ったりすることだってある。哀れな目で俺を見るな。遠くなった背中からは、そんな叫びが聞こえてくるようだった。

そんな彼にも、話し相手になってくれる存在がひとりだけあった。その人は隣のアパートのオーナーで、40代前半くらいの男性。大人しくシュッとしていて、ぼくのなかでは「茶髪・メガネ」の人という印象だ。たぶん年上だろう彼女さんと、近所のスーパーで買いものしている姿を何度か見かけたことがある。親の遺産を引き継いでアパートの管理人となり、賃貸収入で自由気ままな生活を送っている、ということを管理会社の人から聞いて知った。

R氏は、茶髪オーナーにだけは心を開いていた。アパートの1階がタバコ屋になっていて、そこのレジに座る彼とよく話し込んでいた。どんなきっかけでふたりが仲良くなったのか知る由もないけれど、けっこう打ち解けて話している印象で、茶髪オーナーのほうもまんざらではないという感じだった。

あれは仕事から帰宅したときだったろうか、夜の遅い時間だったと思う。エレベーターで4階まで上がると、正面の部屋から弱々しい男の声が響いてきた。玄関のところで、R氏と茶髪オーナーが話していたのである。

エレベーターを出てすぐ左にぼくの部屋があった。部屋に入るまでのわずかな間、R氏がこんなことを言っているのを耳にした。

「ありがとね、ほんと〇〇さんには感謝しているよ。オレ友達いないからさ、いつもひとりでさみしいからさ、○○さんがいてくれて、ほんとよかった…」

茶髪オーナーは、うん、うんとうなずきながら、R氏をなだめていたような気がする。

そんなR氏だったけど、とうとうマンションを追い出される日がきた。茶髪オーナーという味方がいながらも、何かにつけ住人とバトルするR氏の困った素行は直らなかった。が、ようやく管理会社が田舎に住む兄とコンタクトを取り、R氏を引き取りに来てもらうことになったのである。

風の噂では、R氏は精神病院送りになったと聞いた。哀しいが、「そうなるよな」というのが正直な感想だった。

R氏がいなくなり、マンション界隈は平穏になった。変な時間に怒鳴り散らす声が聞こえることもなくなったし、複数の警官がエントランスをうろうろする物々しさも絶えるようになった。

朝方、よくマンションの入り口の車道に出て、住人を見張るように立っていたR氏。追い出されたとはいえ、本当はどこかに隠れているんじゃないか。施設を抜け出して舞い戻り、ゴミ出しのルールを守らない住人を執念で注意しに来るのではないかー。そんな懸念というか、不気味な気配があったけれど、あのずんぐり小型の老体を、1日、2日、一週間、一か月……とみなくなってからようやく、「ああ、ほんとうにいなくなったんだな」と実感するに至った。

が、また戻ってきそうな予感はどこかにあった。精神病院に送られた処置も一時的なものだろう。彼は頭がおかしな人に見えるだけで、実際はどこもおかしくない。誰かと話したい、孤独は嫌だ、茶髪オーナーみたいなやさしい人がいてくれてよかった。そんなのはいたって「普通の感覚」である。そう考えると、R氏の居場所はやはりこのマンション以外にあり得なかった。そしてその予感は的中した。

戻ってきたR氏は、ウソのようにおとなしくなっていた。いかつくて近寄りがたい風貌は変わらないけど、攻撃的な雰囲気はなりをひそめ、誰とも一切もめなくなったのだ。それはR氏であってR氏でなかった。「生まれ変わる」という表現しか思い浮かばないほどの豹変ぶりに、ちょっと拍子抜けしたくらいだ。いったい精神病院でどんな荒療治を施されたのか、おおいに興味が湧いて仕方なかった。

田舎に兄がいても、結局引き取ってくれなかったのだろうか。本当はとっくに追い出されても仕方なかったのに、精神病院に連れていかれるまで、だいぶ時間を要したものだ。本当のところ、兄はずっと引き取りを拒んでいたのかもしれない。けれどとうとう管理会社のほうでも堪忍袋の緒が切れ、しぶしぶ対応せざるを得なかった。そして厄介払いとばかりに送り込んだ先が、その施設だったのかもしれない。

しかし、R氏がみずからマンションに戻ることを兄に、精神病院の先生に直談判した可能性だってある。そして、管理会社にも土下座し、「もう絶対問題起こしませんのでどうかまた住まわせてください」と頼み込んだのかもしれない。そっちのほうが救われる気がする。そうまでしてR氏がマンションに戻りたい理由は、ひとつしか考えられない。

仕事を終えて帰宅した夜。隣のアパートの2階廊下に、ふたりの男性の影がちらついた。事情を知らない人がみれば、親子連れだと思うだろう。茶髪の若いほうは、スーパーの袋を提げている。年老いた男性は、片手にワンカップを握っている。若いほうに続いて部屋に入った男性の顔は、何だかワクワクしているように見えた。

思わぬ長文になったが、何が言いたかったかといえば、どんな有害物質であろうとも、別の物質との化学反応で無毒にもなれる、ということ。R氏のようなステキな化学反応がたくさん起これば、老害と呼ばれる人たちも減るし、それを罵倒する若者もゼロになる。そんな社会であってほしい。






















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