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彼女たちはヤバい 終章/加藤元

【前回】

 今日のお客は、飯塚いいづかあやという女性だった。

「いい雰囲気のお店ですね」
 初対面の飯塚あやは、緊張気味の頬をゆるめながら言った。
「私、喫茶店が好きなんです。とくに懐かしい感じのこういうお店、大好きなんですよ」
「いかにも昭和な店でしょう」
 四角いガラスがはまった木の扉。カウンター五席と四人掛けボックス二つ。全体がコーヒー色に染まったようなオーク材の内装。 
「母親が経営しています」
 飯塚あや。ホームページから予約のメールを送ってきた初回のお客に向かって、占い師のサラはお決まりの説明をする。
「あちらにいらっしゃるのが、サラさんのおかあさんですか?」
 母親はカウンターの奥から、ボックス席にいるサラと飯塚あやの方をそれとなく見ている。
「そうです。なにか飲みますか?」
 サラが差し出したメニューを、飯塚あやはじっと見つめる。メニューを見もせず、コーヒーや紅茶を頼むお客も少なくないのだが、飯塚あやは熟考派のようだ。サラは内心うなずいた。昨日、占った結果のとおりである。
「コーヒーをいただけますか。ホットで」
 しばしの間ののち、飯塚あやは無難な選択をした。
「コーヒーを二つ、お願い」
 サラは、母親に声をかけた。
「じゃ、さっそくはじめましょうか」
 メニューを脇に置き、占い結果の紙を出す。飯塚あやは身を乗り出した。
「読み取れたあなたの性格や恋愛傾向、金銭と健康はここにメモしておきました」
 飯塚あやから前もって聞いておいた生年月日と出生時間、生誕地から割り出した星の位置。占断したこまかい特徴を、ざっと箇条書きにしてある。
「これが私の星図なんですね」
 飯塚あやは紙を食い入るように見つめる。わりと占い慣れしているみたいだ、とサラは思った。
「性格は慎重。なにごとについても熟慮のすえ行動に移す。当たりですね」
 飯塚あやは頷き、サラも頷く。熟慮の結果、間違った行動をとることも少なくない。という点は、書いていない。お客に見せるメモにはマイナス部分をなるべく省くようにしている。とくに初回のお客の場合は、そうしている。
「争いは好まず、波風を立てないよう、つねに周囲に気を遣う。しかし不正や不誠実は受け入れない。こうと決めたら融通が利かず、引き返せない」
 ふだんは意見も言わないでやり過ごしているが、気に食わないことが起こると誰の声にも耳を貸さなくなる。そこは書かなかった。
「引っ込み思案で積極性に欠ける。押しに弱い。恋多きタイプではなく、ひとたび好きになったらいちに相手を思う。当たりだなあ」
 母親が、コーヒーを二つ、席に運んできた。
「ありがとう」
 母親は、目配せをして、微笑した。商売繁盛、よかったね。との意味だろう。
 占い業は、このところ順調だ。新規の客はもちろん、リピーターも増えている。個々のお客の占断結果、お客に見せているメモのコピーは、だいたい保存してある。その数が増えに増えて、置き場所に困るくらいになってきた。サラは、整理整頓が得意な性質ではない。お得意になってくれたお客のデータは別にしてファイルに入れておくようにしているが、一回きりの客の占い結果を見直すことなどほとんどない。
 飯塚あや。
 はじめてのお客だ。記憶力にぜったいの自信がある、とはいえないが、占いを通して会っていれば忘れはしない。間違いない。
 しかし、なぜだろう。占うのがはじめてだという気がしなかった。
「サラさん、あのう」
 飯塚あやが、眼を上げてく。
「これって、誕生日や出生地からわかった結果なんですよね? 世のなかには、私とまったく同じひともいたりするんですよね?」
 ぎょっとした。まさに今、考えていたことだったのだ。
「そうですね。いるでしょうね」
 飯塚あやと誕生日や出生地が同じ人間。いた。ような気がする。この既視感はそのせいだろう。
「そのひとと、私は、同じ結果になるんですか?」
「近い結果は出るであろう、と思いますね」
 サラは言葉を慎重に選びながら答えた。
「でも、まったく同じということはないですよ。たとえば双子だって、生まれついて持つ星は同じでも、運命は違ってくるものです」
「そうなんですか」
 飯塚あやは、いくぶんあんしたように見えた。
「そのひとの選択とともに、日々変わる。そういうものです」
「そうなんですね」
 飯塚あやは、意を決した風に、言った。
「実は、以前、友だちもサラさんに見てもらったことがあるんです」
「友だちのご紹介でしたか?」
「違います。私は私で、サラさんに占ってもらおうと決めていたんです。友だちも、当たっていたって驚いていました」
 いつ? 誰だろう?
「友だち、あんまりよくない男とつき合っていて、占ってもらったらやっぱり悪い結果が出たんです。でも、なかなか別れきれなかったみたいです」
「そんなものですよね」
 何という名前だろうか。たずねてみたくはあったが、自分からは訊かない方がいい気がする。
「未来も運命も、刻々と変わる。友だちもサラさんに言われたって言っていました」
 飯塚あやは、友だちの名前を言おうとはしなかった。
「そう。たとえば三ヵ月後には、また違う未来と運命が見えるはずです」
「運命って、変えられるんですよね」
「変えられますし、変わります。その気になれば、変えられます」
「友だちも、サラさんにそう言われたそうです。でも、すぐには別れられなかった」
「それも運命です。そちらの運命を選んでしまったわけですね。しょうがないですよね」
「しょうがない、って、友だちも言っていました。でも、彼女が選んだ道は明らかに悪いんですよ。向こうは逃げているのに、彼女はあきらめない。毎日、スマートフォンで彼氏の動向を見張っているんです。今日はどこかへ出かけた。今日はこんなに金を遣った。いちいちチェックしては一喜一憂していた」
「ストーカーみたいですね」
「みたい、というより、ストーカーそのものです」
「ヤバくないですか、それは」
「ヤバいですよね。でも、やめられないんです。いつかも言っていました。このごろは彼氏がまったく動かないから安心して一日が過ごせている、ですって。どうかしていますよね」
「まったく動かない?」
「おかげで友だちは心穏やかだったようです」
 動かないって、それはそれで穏やかではなくないか?
 思ったが、飯塚あやは気にならないようだった。
「ストーカーをしているうち、彼氏の奥さんとか新しい彼女とも知り合いになっちゃって、けっこう親しくしているんですよ。変ですよね」
「おもしろいひとですね」
「奥さんからは、息子さんの話ばかりされるみたいです。彼氏が出ていってからは最愛の存在だったのに、反抗期で家出をしちゃって、息子さんはずっとおばあちゃんの家で暮らしているとか。奥さん、彼氏が家を出たときよりつらそうなんですって。そんな悩みを延々と聞かされて、なにをやっているんだろうって思いますよ、友だち」
「つき合いがいいんですね、お友だち」
「彼氏の新しい彼女とは、このごろ連絡がつかないから気になるって言っていました」
「連絡がつかない方が普通ですよね」
「まあ、彼氏は動かないんだし、問題はないでしょうけど」
 問題はない? そうかなあ。サラは首を傾げる。
「おかあさんのコーヒー、おいしいです」
「それはよかった。伝えておきます」
 コーヒーはおいしいんですよ。でもね、コーヒー以外はあんまりおいしくない。選ばなくて正解でした。
 たまにうっかり頼んじゃうお客がいるんだけどね。そういうお客って、やはりほかの面でも、間違った選択をしちゃうのかもしれないな。
 動かない男を見続けているのか。
 動かないって、どういうことだろう。

 脳裏に浮かんだ。
 占いカードの牛の頭蓋骨。

 続いて、自身の恋愛について占ったのち、飯塚あやは帰っていった。

     *

かんばやしさんの娘さん、占ってあげてよ」
 母親からささやかれて、サラはうんざりした。
「また?」
 母親の口利きは、お友だち価格、なのだ。しかも、ひどく安い。半値以下だ。
「あんたの占い、当たるって評判なんだもの」
 そう思うなら、ちゃんと正規のお値段を払ってほしい。しかし、ただでお店を使わせてもらっている身。強くも要求できない。しかも父親と離婚後、女手ひとつで苦労をして自分を育ててくれた母親だ。
 サラは、父親を知らない。
 会いに来た記憶もない。会いに来る資格はない、と母親は言った。それほどひどい男だったらしい。
 頭が上がらない。
「占いって、どんなことでもわかっちゃうのねえ」
 機嫌を取るように、母親が言う。
「どんなことでもわかるわけじゃないよ」
 サラはむっつりと応じる。
「未来がはっきり見える占いなんてない」
「でも、みんな当たるって喜んでいるもの。未来はともかく、過去は当てているんじゃないの。いつだったかの占いは、私も感心した」
 言いながら、母親はリモコンを取り上げ、カウンターの隅にあるテレビをつけた。いつも観ている夕方のニュースの時間なのだ。
「いつだったかって、いつの話よ?」
 お友だち価格の占いは、メモも残さないので、サラも忘れている。
「吉川さんに頼まれたやつだったかな?」
 母親は曖昧に首をかしげてみせた。
 テレビでは、殺人事件の報道が流れていた。
 小さなアパートの外景。その一室で、男性の死体が発見された、とアナウンサーが言っている。
 容疑者は、その部屋の住人である三十代の女性。
「吉川さんだった?」
 サラは、何となく思い出した。
 昔、つき合っていたか、結婚していたとかいう、ある男の占いだった。ふらふらと落ち着きがなく、叱られれば素直に耳を貸すが、改善はされず。悪気もないが責任感もなく。
 結論としては、別れて正解。
「死後何週間もっていたって、死体と暮らしていたんだ、この犯人」
 吉川さんの占いだったっけ? 本当に?
 サラは、思い出しそうで、思い出さなかった。
 その男のことは、もう一度、占った。
 けれど、生年月日が同じ人間なんて、たくさんいるのだ。
 思い出しそうで、思い出さなかった。

 牛の頭蓋骨のカード。
 カードの意味は、死。

     *

 彼女は、今日も彼の動向のチェックをする。
 ずっと動かなかったが、今日は、動いた。
 彼女は、彼を追う。
 どこへ行ったの? 

 警察署?


加藤元さん「彼女たちはヤバい」は7月に文庫化予定!
刊行をお楽しみに

プロフィール
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。2009年『山姫抄』で第4回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『四百三十円の神様』『本日はどうされました?』『ごめん。』『金猫座の男たち』(全て集英社文庫)など。


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