見出し画像

過去に執着せずに老いる

非常識が常識になるとき

初めてペットボトルでお茶の販売が始まったころ、私は驚いた。

お茶のペットボトル販売が一般的になり始めたのは1980年代後半だそうだ。
1980年代後半と言えば私は高校生。
あの頃は「お茶」は家で沸かして冷蔵庫に入っているものだった。
つまりお茶はタダで飲むものだったから「お茶を買うだって?」とびっくりしたのだ。
だから、当然ペットボトルの水にも驚いた。

今ではどちらも当たり前。
ふつーに買っている自分がいる。

夢の世界が現実になった

携帯電話だってそう。
私が22歳で働き始めたばかりの頃は誰もまだ携帯電話なんて持っていなかった。
だから営業担当者が出かけたら帰ってくるまで連絡が取れないのはあたりまえだったし、友人との待ち合わせも直前の変更はできなかった。
なかなか来ない友人の家に公衆電話で電話したことも今ではいい思い出。
2時間以上、約束の時間に来ない友人を待っていたこともある。
お互い今すぐ話せたらどんなにいいだろうと思ったものだ。

あのころは、電話を持ち歩けるなんて、夢物語だった。
携帯電話を初めて買ったときは感動したものだ。

こうして、私は長い人生の中で全く世の中になかった「非常識」なものが突如登場し、人々に驚かれながらも急速に社会になじんでいったのをたくさん見てきた。

であるなら、例えばこれから先の30年でどんな夢物語が現実に変わるか分からない。

未来予想図

例えば英語。
今はまだ、学校であれほど英語を勉強したにも関わらず話すことができる日本人は少ない。が、着実に増えてきてはいるはずだ。
これまでは、英語を完璧に話せるようになろうと思えば「海外留学」が確実だったが今では日本国内でも英語に触れようと思えば触れる機会は得られるし、英会話スクールの価格だって30年前よりずいぶん下がっている。

「英語は話せて当たり前、昔はわざわざ海外へ留学してたの?信じられない!」

なんていう日がすぐにやってきそうな気がする。

車だって「え?昔は人間が運転してたの?こわ~」なんて言われる日が来るかもしれない。

世界共通の通貨が生まれているかもしれないし、お金の概念がもっと想像できないものにかわっているかもしれない。


ついていけない老人にならない

年を取ると、なかなか考え方をアップデートするのが面倒になって、つい「いままでどおり」でいようとしてしまう。

けれど、老人になっても新しいものはどんどん取り入れていきたい。
ボケ防止にもなるし、なんといっても面白そう。

何歳まで生きられるか分からないけど、これから起こる色々な変化をできるだけ長く楽しみたい。
今の世に生きることを面白がって、味わい尽くして死にたい。
欲深い私は、そう考えている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?