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【ぼくときみの海辺の村の】 #第一回お肉仮面文芸祭

 ゴッゴッカン……
 ゴッゴッカン……

 ぼくの記憶はそんな音からはじまった。繰り返し打ちならされる音には不思議な静けさがあって、そしてぼくの口のなかには、いっぱいになにかがひろがっていて、ぼくはとにかく夢中でそれを食べていた。とてもおいしかったことだけはよく覚えている。

 ぼくは食べる。ゴッゴッカン……。するとそれは少しずつ小さくなっていく。ゴッゴッカン……。ぼくは食べる。ゴッゴッカン……。それはかけらのようになっていく。ゴッゴッカン……。ぼくは食べる。ゴッゴッカン……。それはやがて無くなってしまう。ゴッゴッカン……。

 ぼくは寂しく身じろいだ。すると、ぼくの体に変化が起きた。まっくらだった世界に光がさして、鮮明な光景が浮かびあがっていく……それは、ぼくの体に「目」と呼ばれる器官が生じた瞬間だった。

 うわあ……。ぼくは寂しさも忘れて、目にうつる光景に夢中になった。ぼくの下には冷たくて固い灰色が広がっている。上を見ると、緑色の四角いものや、長くていろいろななにかが組みあわさった大きなものがあって、くすんだ空気のなかで、それがゴッゴッカン……ゴッゴッカン……と音をたてて動いている。その大きなものは幾つも幾つもあった。そしてその大きなものの間を、脈うつピンク色のかたまりが幾つも、そして何度も行きかっていく。ぼくはポカンとその様を眺めた。それがベルトコンベアーと呼ばれる機械だと知ったのは、だいぶあとのことだ。

 バタバタバタ。突然、大きな音が聞こえてくる。ぼくはびっくりして物かげに引っこむ。物かげから恐る恐る覗くと、大きな二本足のやつらがいくつも見えて、そいつらは二本の腕をぶんぶんと振りまわしながらこんな音を発していた。

「タイヘンダ」
「ニクガ ニゲタゾ」
「ナンダッテ」
「オイ ソッチモ サガセ」

 ぼくはなんだか怖くなってしまって、見つからないように物かげから物かげへと移動していった。体のなかでバクバクと、なにかが激しく脈うっている。

「オイ ソッチニ ナニカ イタゾ」

 見つかってしまう! 無我夢中だった。一生懸命、四つの足を動かしながらぼくは逃げる……。転び、ぶつかり、物かげに隠れ……やがて大きな光が見えて、そこを抜けると……

 ぼくの世界は果てしなくひろがったんだ。

 うわあ……。

 空気がそよそよと気持ちよかった。青くひろがる空には輝く光があった。ぼくの見おろす先には緑色のひょろ長いやつがいっぱいにひろがっていて、空気のそよそよにあわせて楽しげに動いていた。そしてその向こう! 空の輝きをうつすようにきらきらと煌めき、ざぶざぶと動く大きな大きな、本当に大きな、なにかがひろがっていたんだ。

 僕はうれしくなって、そこに向かって駆けだしていた。

 こうしてぼくは、ぼくの生まれた場所から……海辺のお肉工場から、逃げだしたんだ。

🥩

 ざぶざぶと動くやつは本当に大きくて、ぼくは細かいさらさらのなにかを踏みしめながら、ざぶざぶをずっと見続けていた。

 ざぶざぶ……大きなやつの先端が足もとに近づいてくる。ざぶざぶ……大きなやつの先端が向こうへと遠ざかっていく。ぼくはそれをずっと見つめている。ざぶざぶ……先端が近づいてくる。ぼくはそれを覗きこむ。それは空の青を映して、揺らめく輝きの向こうから、ピンク色のかたまりがぼくのことを見つめている。ざぶざぶ……向こうへ遠ざかっていく。ピンク色のかたまりも消えていく。ざぶざぶ……また足元に近づいてくる。やっぱりピンク色のかたまりがぼくを見つめている。ぼくは足をふってみた。ピンク色のかたまりも足をふった。ざぶざぶ……遠ざかっていく……。

 気がつくと空は青からオレンジ色に変わり、そよそよしていた空気はびゅうびゅうと冷たくなって、ぼくは震えた。ひろがるオレンジの向こうでは、ざぶざぶのなかへと光が沈み込んでいくのが見えた。ああ……。なんだか寂しい……。そんなことを思いながら、ぼくはもと来た道を……後ろを振りかえった。

 いっぱいにひろがる緑のひょろ長いやつらが揺れて、オレンジの光に染まっていく。その先には茶色がかった灰色の大きな大きな四角いやつがそびえていて、その頭からは長い棒が伸びていて、そこから、もくもくと灰色のふわふわしたやつが流れていく。ゴッゴッカン……ゴッゴッカン……。あの音が聞こえてくる。ぼくはもっと寂しくなって、ブルッと震えた。ぼくはあそこからここまで来た。あの四角のなかでぼくは生まれて、目を覚まして、そして、ここまで来たんだ……。

 幾つも幾つも流れていくピンク色のかたまりのことを、ぼくは思いだしていた。四角のなかのピンク色のかたまりたち。そして、ざぶざぶの中からぼくをのぞき込んでいたピンク色。どちらもなんだか似ている。けれども、ちょっとだけなにかが違う。四角のなかで流れていくピンク色のかたまりたちは静かで、ずっと黙っている。でも、ざぶざぶの向こうのピンク色のかたまりには瞳があって、ぼくのことを見つめている。

 ぼくはふと自分の足を見た。ぴょこんと伸びる、ピンク色のやつがそこにはあった。ぼくは驚いた。ぼくは再びざぶざぶに近づき、覗きこんでみた。そこにもやっぱり、ピンク色のかたまりがいる。足をふった。むこうも足をふった。口をあけた。向こうも口をあけた。ぼくは茫然とした。そうか、そういうことか。そういうことなんだ……。

 それからぼくはしばらく、ポカンと口をあけながら空を見続けていた。空の光はどんどん小さくなって、ざぶざぶのなかへと沈み込んでいく。あたりはだんだん暗くなり、空気のびゅうびゅうは冷たくなるばかりだった。ぼくはたった独りで空を見つめている。冷たくなった空を、たった独りで見つめている……。僕は身を縮めて、ぶるぶると震えた。その時だった。

「キミハ ダアレ?」

 その音にぼくは驚き、飛びはね、音の方向に向きなおった。そこには二本足のやつが立っていた。

「キミ、モシカシテ オニク ナノ?」

 そんな音を発しながら二本足は近づいてくる。怖い。ぼくは足をつっぱり、背を丸く立てて、「フッー!」と唸った。これ以上近づいたら……これ以上近づいたら噛みつくぞ!

「アラアラ」二本足はそんな音を出しながら、それでも近づいてくる。二本足は白いひらひらしたもので体を覆っている。その頭からは長いさらさらしたやつが伸びていて、ぼくは思わず鼻をひくひくとさせた。さらさらと動くたびに、なんだかいい匂いがする。二本足はぼくの目の前で縮む。なんだか丸くなった。二本足の目がぼくのことを見つめている。

「ダイジョウブ コワクナイヨ」

 そういう音をだしながら、二本足はぼくの前に手をだした。ぼくはどうすればいいのかわからなくなって、じりじりと後退する。「ダイジョウブダヨ」二本足はもう一度、そんな音を出した。ぼくは怖かった。二本足の目を見た。

「ダイジョウブ」

 二本足の目のなかには深緑色のきれいな丸がある。そこにはぼくが映っている。二本足はもう一度音を出した。「ダイジョウブ」静かな、優しい音だった。ぼくは伸ばされた手をくんくんと嗅いでみる。「イイコダネ」そしてぼくはその指先を舐めてみる。すこししょっぱくて、暖かくて、優しい感じがして……その時、ぼくの気持ちは安らいだんだ。

🥩

「おにく、朝ご飯だよー」

 ぼくは毎朝、彼女の……ロータのそんな一言で目を覚ます。今朝のご飯は昨晩の残り。カブのスープだ。床に置かれた皿からは湯気が立ちのぼり、カブの甘い香りが漂っている。ぼくはパタパタと木の床を走って駆けよる。幸せを感じる。皿のなかに顔をつっこむ。温かくて美味しい。ロータは微笑みながら、それを見守ってくれている。

 この家に来てから幾つもの朝と夜とを迎えた。そして気がつくと、いつの間にか半年もの時が積み重なっていた。

「ねえ、おにく」とロータは言った。おにく、とはぼくのことだ。ロータはいつもの通りぼくのそばにしゃがみ込む。膝にひじをのせて、その愛らしい頬を手のうえに置く。あの深緑色の丸が、ぼくのことを見つめている。

「今日はね、隣のエミルおじさんの家でね、お魚を塩漬けにするんだよ。すっごく大きな樽にいっぱいのお魚と塩水をいれて……もうすぐ冬が来るから、いっぱいいっぱい、つくらないといけないんだ……」

 ロータはそう言いながらぼくをなでる。ぼくはそれが嬉しくて、ごろごろと喉を鳴らしてロータの手に頬をこすりつける。

「うふふ。だからいい子でお留守番をしていてね」

 ロータはぼくのことを誰にも言わない。ぼくとロータの、二人だけの秘密の生活なんだ。ロータはいつも、今みたいにいろいろなことをぼくに話して聞かせてくれる。

 ロータの両親(ロータたちには「親」というものがいるのだ! ぼくにはいないけど……)は、幼いロータを残して流行り病で亡くなってしまったということだったり。そんなロータがなんとかやっていけるのは、隣に住むエミルさんがいつもよくしてくれるから、ということだったり。他にも、エミルさんの家は四人家族で、二人の子どもたちはロータよりも幼くて、ロータのことを姉のように慕っているということ。エミルさんはおっちょこちょいだけど、実は大学を出ていて物知りで、学者さんみたいに凄いんだということ。学校が楽しいということ。一年前に海辺にお肉工場ができたということ。たぶんおにく……つまりぼくは、そこで生まれたんじゃないかということ。お肉工場でつくられたお肉は都会に運ばれていくということ。お肉工場ではよく事故が起きているらしいこと。お肉工場ができてから、村の雰囲気が変わってしまったということ。工場で働く人たちは、なんだか好きになれないということ、などなど……。

 この家に来てからぼくの世界は再び狭くなった。小さな小さな、ロータの家。今は、それだけがぼくの世界だ。でも……ぼくはそれだけでも十分なんだ。だって、温かいご飯があって、ロータがいて、そして、ロータの話が聞けるから。話を聞きながら、ぼくはその先にひろがるものを想像する。だから、ここはぼくにとっての全てなんだ。暖かさと、おいしいご飯と、楽しいお話と、そして、ロータ。

 ねえ、ロータ。

 きみはまだ気づいていないかもしれないけれど……ぼくはもう、きみの話す言葉がちゃんとわかっているんだよ。

🥩

 その朝は、なにかがいつもと違っていた。

 窓から見える空はうす暗くて、灰色の雲が迫るように渦巻いていて、それはまるで、この村をつかもうとする巨大な手のようだった。カタカタと風で揺れる窓が怖くて、ぼくはロータの足にすり寄った。なんだか遠くで騒がしい音がする。人々の慌ただしい声が聞こえてくる。異様だ。なにかがおかしい。ロータはぼくを抱きかかえて「なんだろう……」と不安げにつぶやいた。不吉な予感がした。

 ドンドンドン。

 扉をたたく音。ぼくの心臓はバクバクと脈うつ。

「ロータ……! ロータッ!」

 ドンドンドン!

 ロータはぼくをベッドの下に隠すと「大人しくしていてね」とささやくように言った。ロータが離れていく。ぼくは不安でいっぱいになった。ベッドの下から見えるロータの足が、扉へと向かう。ロータは「エミルおじさん……?」と言いながら扉を開ける。そこに息せき切って飛びこんできたのは、人間の男だった。

「ロータ!」

 ぼくはベッドから少しだけ這いだしてロータたちを見た。ロータの様子から、飛びこんできた人間が話に聞いていたエミルさんなんだと気がつく。はじめて見たエミルさんの表情は険しく、そしてとても焦っているように見えた。

「はやく……はやくここを出るんだ!」
「え……?」
「逃げたんだよ……!」
「え。逃げたって、なにが……?」

 戸惑うロータの肩を掴んで揺さぶるようにして、エミルさんは大きな声をあげた。

「お肉だよ!」

 お肉?

「え……お肉って……」
「お肉工場のお肉が逃げたんだ!」

 ……?

 その時、遠くから凄まじい叫び声が聞こえた。断末魔だ。誰かの命が消えた、そう感じさせる恐ろしい叫び……。エミルさんは一瞬そちらを見て舌打ちすると、呟くように「くそっ……近いぞ」とだけ言った。その顔色は真っ青だった。

「エミルおじさん、でも、いったいなにが……」
「いいかい……もう時間がないんだ。どうかおじさんの言うことを聞いとくれ」
「でも……」

 ロータは振りかえり、ベッドを見た。ぼくは慌てて引っこんだ。エミルさんは叫んでいた。 

「逃げだしたお肉が……人を襲って食べているんだ!」
「え……」

 ……え?

 再び、誰かの断末魔が響き渡った。音は、さっきよりも近づいている。

「もうだめだ、さあ、早く!」

 エミルさんはロータの腕を引っぱる。そして強引に外へと連れだしていく。ロータは振りかえり、ぼくの方を見た。その手が伸ばされる。ロータと目があって、ぼくは怖くて動けなくて、そして、ロータは引っぱられて……その姿は見えなくなってしまった。

 ロータが、行ってしまった。

🥩

 それからどれぐらいの時間がたったのだろう。果てしない時間が流れたように感じたけれど、実際にはほんの数分だったのかもしれない。ぼくはベッドを抜け出して、この家に来てからはじめて扉の外へと出ていった。

 村には誰もいない。ぼくは独りだった。

 鼻をひくひくと動かす。ロータの匂いが村の外れへと……あの海辺へと続いている。ぼくはその匂いをたどって歩きだした。ロータの匂い。そしてそれ以外の人の匂い。たぶんこれは……エミルさんの匂い。ぼくは匂いをたどっていく。家の壁や農機具のそばには色濃く匂いが残っている。逆に開けた場所には、ほんの少ししか匂いが残っていない。ぼくはロータたちが物かげに隠れながら、すばやく移動していく様をイメージした。

 やぶを抜け、村の外れへとたどり着く。ぼくは鼻をひくひくとさせ……そして、固まった。違う匂いがふたつ漂っている。そしてそれらはロータの匂いに混じりあっている。

 なんてことだ……。このふたつの匂いをぼくは知っている。ひとつはあのお肉工場で流れていくピンク色のかたまりたち……その匂いだ。そしてもうひとつ。ぼくが目覚めた時に食べていた、美味しいなにかの匂い……。思わず駆けだす。その先に何があるのかはうっすらと理解できる。だから、ぼくは心のなかで叫ぶ。ロータ……ロータ! ロータ!

 そしてぼくは見たんだ。ぼくとロータが出会ったあの波打ち際。ああっ……そんな……そんな……! そこにはピンク色の大きな、二本足の人間のようななにかがうずくまっている。

「嫌だ……やめろ……ああ、嫌だ」

 そいつは叫ぶエミルさんを押さえつけ、その体を……むさぼるように……がつがつと食べていた。ぼくは呆然となった。ロータの隣人が……エミルさんが食べられて、飲み込まれていく。ロータの言葉を思い出す。隣に住むエミルさんがいつもよくしてくれるということ……エミルさんの家は四人家族で、二人の子どもたちはロータよりも幼くて、ロータのことを姉のように慕っているということ……エミルさんはおっちょこちょいだけど、実は大学を出ていて物知りで、学者さんみたいだということ……。

 そのエミルさんが今、食べられている。

 やがてエミルさんは静かになった。その眼差しは虚ろで、弱弱しい呼吸だけを繰り返している。ピンク色の二本足はビクビクと震えだした。その体が脈打つようにうごめき、形を変えていく。そしてそのボコボコとした表面を、滑らかな皮が覆っていく。その姿は……まるで人間のできそこないだ。

 人間のできそこないは顔をあげると、空に向けて吠えた。
 まるで、己の新たなる生誕を祝うかのようだった。

「あ……あ……ひ……」

 かぼそく、震えるような声が聞こえた……ロータだ! ロータは少し離れた場所で腰を抜かして、その体を恐怖で固めている。その顔は、ぼくが今まで見たこともないような表情で……涙でぬれ、歪み、ひきつっていた。

「ア……ガ……」人間のできそこないはうめく。そしてロータに顔を向けた。「ひぃ……ッ」ロータの体がびくりと震える。できそこないは立ちあがる。そして口を動かし……しゃべりだした。

「ニンゲン……タベル……」

 人間のできそこないは、ゆっくりとロータへ近づいていく。

「ニンゲン……オレタチヲ、タベル……」

 できそこないはロータへと手を伸ばす。

「ニンゲンニ……クワレル……ナラ、ソノマエニ……オレガ……タベル……」

 それはまるで、祈りのような、渇望するような……静かな言葉だった。 

「ニンゲンヲ……タベレバ……オレ、ニンゲンニ……ナレル……」

 ロータのぐしゃぐしゃになった顔が小刻みに震えていた。できそこないは大きく口を開き、ロータを掴もうとしている。「ひ……」ロータの口からかぼそい悲鳴が漏れる。ああ、そんな、そんな! ぼくは……ぼくは……!

 咄嗟だった。夢中だった。

 気がつくと、ぼくは……できそこないの腕に喰らいついていた。「ガ……?」できそこないは不思議そうな声をあげた。ぼくは牙を突きたて、体をひねり、その腕を……食いちぎった。

 ぼくはロータとできそこないの間に着地する。腕を吐きだし、足をつっぱり、背を丸く立てて、「フッー!」と唸った。背後では荒い呼吸とともにロータの呟きが吐きだされていた。「お……にく……?」ぼくは必死だった。これ以上近づいたら……これ以上近づいたら! 

 できそこないは不思議そうに斜めに首をかしげ、ぼくを見つめている。「オマエ……?」そして身をかがめ、ゆっくりと顔をぼくに近づけてくる。「オレノ……ナカマ……?」その顔の表情筋らしきものがゆっくりと動いた。

「オレノ ナカマ」

 そして笑みらしき表情をつくりだし、言った。

「……ウレシイ」

 その瞬間、

 ぼくは!

 跳びあがっていた。できそこないの喉元に喰らいつき、かみ砕く。必死で、無我夢中で喰らいついていく。できそこないがゆっくりとあお向けに倒れていく。できそこないの呼吸がとまる。ぼくはそれでも止まらず喰らいついていく。何度も何度も喰らいついていく。何度も何度も、何度も何度も。喰らいつき、その肉を喰らう。

 ぼくは喰らう。遠くからお肉工場の音が聞こえる。ゴッゴッカン……。波の音が聞こえる。ざぶざぶ……。ぼくは喰らう。ゴッゴッカン……。するとそれは少しずつ小さくなっていく。ざぶざぶ……。ぼくは喰らう。ゴッゴッカン……。それはかけらのようになっていく。ざぶざぶ……。ぼくは喰らう。ゴッゴッカン……。それはやがて、無くなってしまった。ざぶざぶ……。

 ぼくの体がビクリと震え、脈打つようにうごめいた。ぼくは理解した。ぼくは変わっていくのだ。ぼくは自分が大きく、より完璧になっていくのを感じながら、地面に横たわるエミルさんを見た。その呼吸はすでに止まっている。そしてぼくはロータを見た。ロータの顔は……歪み、ひきつり、涙でぬれている。ぼくを見るその目は……あのできそこないを見つめていた目とまるで同じだ。そう、まるで同じ……。

 ぼくは、顔をあげて空に向かって叫んだ。

 雨が降ってきた。

 二つの足が大地を踏みしめる感触を覚えながら、ぼくは立ちあがる。二つの足をゆっくりと動かし、まだ腰を抜かしたままのロータへと近づいていく。

「ひ……」

 ロータの唇から恐怖が漏れた。ぼくは立ちどまり、手を伸ばして言う。

「ダイ……ジョウブ」

 ロータは黙ったまま、ひきつった表情のままで、あの目でぼくを見つめてただ震えていた。ぼくは手を引っこめて、もう一度空を見あげた。灰色の空がひろがっている。そこから降り続ける雨が、ぼくの顔を濡らしていく。

「ロータ……」

 ぼくは顔を降ろし、精いっぱいの笑みを浮かべてみる。

「……アリガト」

 もう、あの日々が戻ってくることはないのだ。
 ぼくは背を向けて歩き出した。

 暖かくて幸せだった生活は、こうして終わりを告げたんだ。
 ぼくときみの海辺の村の……。

🥩

殺人肉工場?
人類の食糧問題を解決する。そう高らかにうたう人工培養肉の旗手、オルタナ・ミート社に奇妙なうわさが流れている。オルタナ・ミート社の人工培養肉が動きだし、人を食べるというのだ。
(日刊ヴェルデンス)
人工肉工場で相次ぐ事故・オルタナ・ミート社の責任を問う声
工場作業員の失踪や近隣での死亡事故。アメリカに本社を置くオルタナ・ミート社の人工肉工場で不可解なできごとが相次いでいる。会見でオルタナ・ミート社は被害者への賠償と原因究明を表明したが、その不誠実な姿勢には疑問の声があがっている。少なくともオルタナ・ミート社は、人工培養肉のデータに改ざんがあるのではという指摘に対して明確な回答を示す責任があるだろう。
(スタヴァンゲル ・タイムズ)
史上最大のバイオ災害/常任理事国が声明を発表
世界各地・同時多発で発生したオルタナ・ミート社製人工肉流出事故による被害者は、推定で四千人にまで達し、なおも増加を続けている。この事態に常任理事国は緊急安保理を開催し、声明を発表した。「これは人類が直面した史上最大の危機であり……」
(ニューヨーク・トゥデイ)
食人肉問題・専門家の意見は?
ノーベル生理学・医学賞受賞の小村博士
「オルタナ・ミート社の培養肉に関しては、その増殖機序について未解明な点が多い。少なくとも言えることは、培養肉は人を飲み込むことで人間のような姿形と知性とを獲得するということだ。なぜこのようなものが各国で承認されたのかも含めて、原因究明を進めなければ手の打ちようがないだろう。しかしオルタナ・ミート社のみならず、各国政府も含めて、その姿勢は不誠実で不可解と言わざるを得ない……」

『地球全史』を著した哲学者エイベル・ノア・ハラリ氏
「世界は重大局面にある。知性を獲得した肉たちは、わたしたち人類への復讐をおこなっているのだ。いわば『怒れる肉たち』による人類に対する闘争だ。わたしはそう考えている。彼らはすでに人間にほぼ等しい知性、そして姿と形とを獲得している。匿名性の高い都市部であれば、違和感なく溶け込むことができるほどの……」
(新埼玉新聞)

🥩

 散りばめられた星々のような煌めきが地平の向こうにまで広がっている。おれの首に巻かれた黒布を、夜の風が冷たく揺らしている。おれは摩天楼の上で静かに息を吸った。匂う。人間が恐怖するときの匂い。そして、おれの同胞たちの匂い。

 おれはビルの壁を駆けおりた。夜の空気を切り裂き、ネオンに包まれた街へと向かって。

 ここに辿り着くまで、どれほどの時が流れただろう。海辺の村から、この、欲望渦巻く極東の大都市へと。冷たく流れていく空気が、あの日のことを思い出させる。ロータ。きみのひきつった顔。おれは自問自答する。おれのやっていることに果たして意味はあるのか? おれに、命を選別する権利などあるのか? わからない。しかし、それでもおれは……。

 おれはビルの外壁を蹴り、宙で身をひねって地面へと着地した。

「グガ……?」

  目深に帽子を被った男たちが……いや、おれの同胞たちがうめいた。おれの背後には腰を抜かし、恐怖に顔を引きつらせた人間の女。おれは振りかえり、女を見る。女は例のひきつった表情を浮かべている。

「大丈夫」

「え……?」

 女は震えたまま、おれを見た。おれはもう一度言った。

「もう大丈夫」

 そしておれは、おれの同胞たちに向き直った。同胞たちはうめく。

「オ前……オレタチの……ナカマ……ナノか?」
「そうだ。おれはお前たちの同胞……」

 おれは静かに告げた。

「そして……お前たちを喰らうものだ」


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 この街で……いつしかおれは、お肉仮面と呼ばれるようになっていた。


🥩To Be Continued...🥩


これはなに?

電楽サロンさん主催、 #第一回お肉仮面文芸祭 の参加作品です! 年末進行でなかなか時間が取れずギリギリになってしまったけど、なんとか間に合った。楽しかった!

他の参加者の作品も面白いものばかりなので、是非、読んでみてください!

たぶんこれが今年の小説書き納め。来年もよろしくお願いします。

きっと励みになります。