第4話 最初の月末「社長、1,000万円足りません」


2008年3月末日

奥野さんは、ウォーミングアップする間もなく、いきなり月末の資金繰りとの格闘の場に放り込まれていた。


「どうすんだよこれ・・いきなり一千万円以上足りないじゃないか。今からこの金を用意するのなんか、どう考えても無理だろ・・」


社員の帰った薄暗いオフィス。引き継いだ稚拙な資金繰り表をシュレッダーに投げ込みながら、奥野さんは自分のデスクでため息まじりに呟いた。

話を少し前に戻そう。

今回のオンデーズM&Aの計画について、実は各取引銀行や大口の債権者達には、その一切を知らせずに全てが水面下で極秘裏に進められていた。
なぜならこの時のオンデーズの借入金は、ほぼ全てが無担保・無保証で行われていたからだ。

つまり連帯保証人や担保の差入が一切されていなかったのだ。これは銀行にとっては、貸付金が焦げ付いても有効な回収手段を持たず、即座に不良債権化してしまう可能性が高い「危険な融資」であることを意味していた。

そんな危険な融資の付いたオンデーズを、RBSが売ろうとしている。しかもその相手は、わずか三十歳の「チャラついたガキ」だ。更に資金も担保も無い、胡散臭い小さなベンチャー企業の社長ときている。
こんな相手に会社を売ろうとしていることが、事前に取引銀行に知られてしまえば、会社売却の計画そのものに対して猛反対に合い、RBS本体や社長個人の連帯保証まで強く求められるか、厳しい返済を迫られることになるのは、火を見るよりも明らかだった。

その為、RBSと僕たちは電光石火の早業で、秘密裏に増資の実行と経営陣交代の登記手続を終えた後、「既成事実」として各銀行へ株主の交代を通知すると同時に、慌ただしく引継ぎの挨拶まわりの日程をねじ込んでいったのである。
全ての銀行にとって、このタイミングでの急なオンデーズの身売り報告は寝耳に水の話であった。

(こんな、どこの馬の骨ともわからない若造に、いきなり会社を売るなんて勘弁してくれよ・・ひょっとして前期に続いて今期もオンデーズは赤字になるんじゃないだろうな?)

どの銀行担当者の面々も、このタイミングでの電光石火の会社売却劇にあからさまな不信感を募らせてはいたものの、あまりの急展開に差し障りのない対応に終始するしかなかった。
僕は、引き継ぎ挨拶の席上で各銀行の担当者達を前に、自己紹介を交えながら今後の再生計画を必死に説明したが、彼らの耳には、まるで何も入っていない様子だった。

こうして銀行関係の引き継ぎと状況説明をかなり強引な形で終えて、RBSから僕たちに経営のバトンが完全に渡されたわけだが、その時点で3月の末日まであと10日を切っていた。そして予想される初月の資金ショートの額はおよそ一千万万円。しかし今から銀行に融資の申し込みをしたとしても、月末に間に合う可能性はかなり低いし、新体制のドタバタを露呈することにもなりかねず得策ではない。
 僕と奥野さんは、最初の月末の資金ショートを覚悟し、まずは月末の全ての支払予定を一覧にし、各部署の部長達にヒアリングを行いながら、支払いを待ってもらえそうな先をピックアップすることにした。

支払い繰り延べの指示を聞かされた営業部の山岡社長は、顔を真っ赤にして怒鳴り声をあげながら会議室に乗り込んできた。

「冗談じゃない!『会社の経営が苦しいから支払を待ってください』なんてお願いができるか! 何で私らが取引先に頭を下げて回らなきゃならないんですか!」


「支払いを待ってもらえるよう交渉してきてほしい」という僕の突然の指示に対し、山岡部長だけでなく、他の各担当者達も皆、露骨に不満の表情と非協力的な態度を見せた。僕は、極力感情的にならないように、淡々と事情を説明した。

「山岡さんが、怒る気持ちはよく解ります。今まで発注していた取引先に対し、急に恥も外聞もなく頭を下げて支払いを待ってくれるようにお願いしろと言われても、そんな仕事を進んでやりたがる人などいなくて当然ですから」

「それなら、なんとかしてくださいよ!あなたは社長なんでしょう!」

「俺もできる限りの事は勿論やりますよ。しかし、資金がショートする事態が避けられない以上、一部の取引先への支払いを待ってもらわなければ、今度は社員達への給与がいきなり未払いになってしまう。全国の従業員一人一人が、オンデーズ再生の重要な鍵なのに、給料が遅れて会社に不審感を持たれてしまったら再生できるものもできなくなってしまいます」

「だからって、いきなり取引先の支払いを遅らせろなんて、あまりにも横暴だ!どの支払い先にもキチンと決められた期日に支払いをしなければいけないのは当然の責任だし社会のルールだろう!」

「そんな事は重々承知していますよ。でも企業経営は綺麗事だけでは上手くいかないことも多いんです。特にお金が絡む非常事態には、支払う順序とタイミングを、どう判断して乗り切るかによって、生死を分けることになるんです」

「なら最初に銀行への支払いを止めてくださいよ!私たちが取引先に頭を下げるのはそれからでしょう?」

「銀行には早いタイミングで返済計画についての交渉を開始します。ただ、経営陣が交代してまだ間もない、このタイミングで、いきなり返済計画の交渉を持ち掛けても上手くいくものもいかない。各銀行とは、必ず俺の責任で交渉をしますから、今月はとりあえず協力してください。お願いします!」

こうして、まさに一触即発のやりとりの末、苛立つ部長達を説き伏せながら「支払いを伸ばす先」「すぐに支払う必要がある先」と、一つづつ、慎重に一円単位で資金繰りにあたっていくことになった。

さらに僕と奥野さんは、同時進行で銀行以外にも、資金調達ができそうな先にも方々手を尽くして当たることにした。藁にもすがる思いであらゆるツテをたどり、ベンチャー企業へ積極的に投融資を行っている企業を駆けずり回った。

六本木ヒルズや恵比寿ガーデンプレイスといった大都会の中心にそびえ立つ煌びやかなビルにオフィスを構える会社の応接室で、僕たちは、必死にオンデーズ再生計画のプレゼンを繰り返す。しかし、倒産寸前のオンデーズにリスクマネーを入れようとする奇特な相手は登場せず、結局、全ての先から冷たく断られ続けた。


しかも更に追い討ちをかけるように、複数の取引先から担当者のもとへ「経営が変わった直後に支払を遅らされるなんて、到底受け入れられない」と拒絶する回答が次々に返ってきており、期待していた先のほとんどが支払いの延滞に応じてくれる気配はなかった。


最初の資金ショートが目前に迫ってきた月末。

奥野さんがオフィスの片隅で吠えた。

「とりあえす店舗の工事代金と社会保険料を1週間だけ強引に遅らせる!それから売上金を銀行へ入金しに行く店舗へは『朝イチに必ず入金しろ』と電話をかけて徹底させて!半日でも遅れるとアウトになるかもしれないぞ!」

只ならぬ緊迫感に包まれ、経理の石塚も必死の形相で店舗に電話をかけまくる。

そして、月末まであと1日と迫った日の深夜、奥野さんから僕の携帯電話にメールで連絡が入った。

「今月末は、どうやらなんとかなりそうです」

「良かった。それで、全部支払った後、月末の預金残高はいくらくらい?」

「二十万です」

「残高が二十万・・」

結果としては、当初予定に入れていなかった閉店店舗の敷金の戻りが突然二百万円、入金されてきたのと、いくつかの大型店の売り上げが想定よりも高かったことが重なり、なんとかギリギリで最初の月末を乗り越えることができた。

僕は、どうにか1回目の資金ショートが回避できたという事実に胸をなでおろし、安堵しつつも、僕の普通預金よりも少ない残高と、これから待ち受ける長いイバラの道を暗示するかのように赤色の数字しか並んでいないオンデーズの資金繰り表を見ながら、頭を抱え、なかなか寝付くことができなかった。


2008年4月

喫煙所でタバコをふかしている僕のところに、奥野さんは、寝不足で疲れ果てた顔をしながら、報告にきた。

「しかし、最初の月末から、いきなりこんな調子とはね。解ってはいたつもりだったけど、いざ実戦となると想像以上にキツイね。ハハハ」

「はい・・今のうちの経理は、あんな店舗の敷金の戻り予定すら、まともに把握できていないのが現状です。そして、私のシュミレーションだと、今月末は少なく見積もっても二千万、売り上げによっては五千万近く足りなくなる可能性があります・・」

「え・・そんなに・・」

蒼白する僕を支えるように、奥野さんは意を決した厳しい表情で言う。

「オンデーズの決算月は2月です。この場合、銀行に決算書を提出するのは5月頃になります。銀行は新しい決算書に基づき、6月末を目処に我々の査定と格付作業を行ないます。オンデーズは、今回の決算で2期連続の赤字になることが確定しているため、6月以降には、ほとんどの取引銀行がオンデーズを『要注意先』もしくはそれ以下に格下げするでしょう。融資担当者によっては、実態の債務超過を見抜いて『破綻懸念先』まで一気に叩き落とすかもしれません。

そうなると新規の借入には一切応じてもらえなくなります。その時に備えて、正常先の格付で融資の検討を行うであろう今から2ヶ月の間に、いくら借りておけるかが勝負です」

僕は銀行内の詳しい仕組みはよく分からないので、下手に銀行交渉に口を挟むのをやめて、全てを奥野さんに任せることにした。

「了解。銀行交渉は奥野さんに全部任せる。とりあえず従業員の給与だけは確実に遅延しないで支払えるようにだけしといて。後の売上は俺がなんとかするから」

奥野さんはメガネのブリッジを人差し指で押し上げると覚悟を決めたような表情で答えた。

「わかりました。ただし最初に断っておきますが、自分は嘘が嫌いです。粉飾は絶対にしませんよ。これまでの経営陣が残していった膿みも、今判明しつつあるだけで相当出てきています。これらも時機が来たら、全て解明してオープンにしていくつもりです」

「わかった。任せる」


そして、奥野さんは不眠不休で詳細な資料を作り上げ、宣言通りに融資を引き出していった。

僕が新しく社長に就任してから、前経営陣の最後の決算書が提出されるまでの3ヶ月間。この期間で十一ある取引銀行は各行、新生オンデーズに対するスタンスを明確にし始めていた。そして、その対応には、銀行によってかなりの温度差があった。

借入残高が上位にあった四葉銀行と由比ヶ浜銀行は、僕たちの再生計画に、一定の理解を示してくれ、引継の挨拶以降も支店長や副支店長が、僕との面談にできる限りの時間を割いてくれ、応援する姿勢を示してくれた。

その結果、この二行から3ヶ月間だけ折り返しの融資をなんとか引き出すことに成功した。これでなんとかその場凌ぎではあるが、地獄のような資金繰りは、ほんの束の間ではあるが、一旦、落ち着きを見せることができた。

しかし、これらの新規借入には全て、僕個人の連帯保証を求められた。
奥野さんは念のため事前に僕の覚悟を尋ねてきたが、僕は躊躇することなく銀行の求めに応じてサインをし、印鑑を押していった。

他行が及び腰になっている状況で、この二つの銀行だけは親身になって頑張ってくれたので、その恩に報いたいという気持ちもあったし、新しい社長は個人保証を入れた上で本気で再生に取り組む覚悟がある。という明確な意思がきちんと伝わらなければ、このタイミングでの融資実行は成立しなかったと思う。


『借入残高十四億円、無担保・無保証。営業赤字、債務超過』

当時、多くの人から「社長個人の連帯保証が無いのなら、何で民事再生を申請しないのか? 敢えて全てに個人保証を入れるなんて、お前は馬鹿じゃないのか?」と言われた。しかし結局、僕は、最後までその道を選択しなかった。

民事再生を申請しなかった理由は、銀行出身者の多いRBSとの買収交渉の中で「債務カット等、銀行に迷惑をかけるようなことをしない」という約束を交わしていて、RBSサイドも、その約束を信じて、資金も実績もない僕にオンデーズを託してくれたという経緯があった。

もちろんその約束に法的な拘束力は無いのだが、仁義を破ることに対して、僕が強く精神的に縛られていたというのが一番大きな理由だ。

いずれにせよ、自分がオンデーズの再生に人生を賭けていることを示す覚悟を込めて、僕は軽々しく民事再生という手段を選べなくなるリスクを受け入れながら、全ての借り入れの連帯保証人にハンコを押していったのだった。


2008年6月15日

前経営陣時代の最期の決算書が仕上がった。

予想通り、最新の赤字の決算書を提出すると、新規融資の申し込みをハッキリと拒絶する銀行が次々と現れ出し、最終的には全ての取引銀行が「オンデーズの格付けを落とし「担保無しでは新規の融資は行わない」という方針を明確に伝えてきた。

毎月の銀行の約定返済が最低八千万円、多い月は一億二千万円。
しかしオンデーズは、営業利益の段階で既に毎月二千万円近い赤字が垂れ流され続けている状態。このままでは、毎月の売上収益からの返済は到底見込めない。

銀行の返済を銀行の融資に依存する金繰り弁済をしてもまだ運転資金が足りないような状態にも関わらず、今後一切の融資は認められないことが確定した。


それは全ての銀行から僕たちに突きつけられた「死刑宣告」だった。


第5話に続く・・

*本記事は2018年9月5日発売の【破天荒フェニックス オンデーズ再生物語 (NewsPicks Book) 】から本編の一部を抜粋したものです。

https://www.amazon.co.jp/破天荒フェニックス-オンデーズ再生物語-NewsPicks-Book-田中/dp/4344033507


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