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【男女二元論の世界で】ノンバイナリーの妊活⑤

「私が何者でもない世界」への憧れが漠然とある。ジャッジをされない世界へ行きたい。

 弟夫婦に子どもが生まれた。ネット上で調べ物をすると、「男の子向け」「女の子向け」の文字が踊り、その人のジェンダーアイデンティティが見つかる前に、こっちでピンクやブルーのものを決めて渡すことが、ものすごく暴力に感じる。個人的な感想だが、海外でよく見る「ジェンダー・リビール・パーティ」を見るたびに少しずつ心が削られる。ケーキとかバルーンとかを割って出てきた色(ピンクかブルー)によって「女の子なんだね!」「男の子!おめでとう」などとお祝いをするあれである。
 弟夫婦の子どもは女の子らしい。でもフリルのものを渡さなくて良いや。と思いつつ、三越伊勢丹の子供服売り場には子無しの人間でも心躍るようなかわいらしい服がたくさんあった。結局、黒色に白字のagnès b.のパーカとANNASUIのラベンダー色のワンピースを買った。「これから好みが出てくるだろう。そのときまではこっちが着てほしいと思った服でいいのではないか」とパートナーに助言され、たしかに今はこちら側の服を着せられるがままだなと思った。偶然だけど、ラベンダー色のANNASUIのワンピースを選んだとき、ノンバイナリーカラーだねとパートナーに耳元で言われ、意図したつもりはまったくなかったが、押し付けになってはいけないなとも思いつつ、少しだけこころが救われた。

 子どもを持てば、きっとこんなこと日常茶飯事になるのだろう。改めて日常的に傷つき考えさせられることが増えていくのだと思っている。
 もし自分が子どもを持つという選択をした場合、二元論的な世界に放り込まれ、それにいちいち傷つき、「気にしない」術を私が取得していかなければならない。

 2024年は、卵子凍結しておこうかと言われた。私は32歳、パートナーは36歳。いまだに子どもがほしいという感情は湧いてこない。一昨年くらいに「いまは(子どものことを)考えるのをやめよう」と確認しあい、そこから2年ほど経つが、卵子を凍結しようと私に言うということは、もう考えるタイミングになったということか。
 
 大好きな村井理子さんの記事を読み、『それでも母親になるべきですか』という本が発売されたことを知った。装画も榎本マリコさんで翻訳も鹿田昌美さんという、『母親になって後悔してる』と同じ陣営。

 記事のむすびの言葉に、こうあったが、これは女性に限ったことではなく、わたしたちノンバイナリーだって、「正反対の人生を生きた私」を想像しながら生きていくんだろうなと思った。

私たち女性は、産んでも、産まなくても、「正反対の人生を生きた私」を想像し、生涯、その疑問を抱え続ける運命なのかもしれない。

「母親になった人」と「ならなかった人」の間に横たわる溝を埋める


今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!