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Interview19/人生を映画のように

グスタボ(ブラジル人・語学学校教師)

語学学校の担任、グスタボ先生は、
ポジティブな雰囲気でいつも生き生きしていて、
生徒からよく慕われていました。
明るさはラテンアメリカ人のイメージそのもの。
でも細やかな気配りは、イメージと少し違うような。
 
先生は授業中によく、
楽しそうに家族の話をしていました。
「うちの嫁が怖くてさあ」とか
「思春期の娘がね」とか。
その話は、日本でもよく耳にするような内容で、
どの国でもお父さんはお父さんなんだなと
少し意外に思いました。
カルチャーショックと言うよりも、
変わらないことへのショックです。
 
先生も、生徒も。いろんな国の人が集う語学学校。
私はそこで誰かと会う度に、
その人の性格と自分の先入観とを
照らし合わせていたように思います。
先生の身の上話を聞きながら、
まずは色眼鏡を外すとこから始めなきゃと
少し反省しました。
(取材:2022年5月)
 

ブラジル生まれ、ニューヨーク留学、カナダで先生に

――おはようございます。授業前に時間をつくってくれてありがとうございます。
 
グスタボ
おはよう。こんなの初めてだから楽しみだよ。たくさん聞いてね。
 
――はい! じゃあ最初に、カナダで語学学校の先生になるまでの経緯を教えてほしいです。
 
グスタボ
長い話になるかも。僕は高校生まで、勉強なんか嫌いでサッカーだけをやってるような生徒だった。あまり善い子ではなかったかな。でも姉がニューヨークに引っ越したことをきっかけに、はじめて英語を勉強し始めたんだ。そしたら自分に語学の才能があると気づいた。勉強が全然苦にならなかったし、文法も単語もすいすい覚えられたから。
 
それで19歳になった時、僕も姉の住むニューヨークに留学に行ったんだ。語学学校の生徒として英語を勉強しながら、レストランのウェイターとかフードデリバリーのバイトなんかをしたよ。慣れない英語環境で苦労も多かったけど、身軽で自由だったし、将来のことをじっくり考えられたし、本当に行ってよかった。英語だけじゃなくて、お金の稼ぎ方から洗濯の仕方、料理なんかをその2年間で学んだんだよね。とてもいい経験になった。
 
――私も今まさに、トロントに来て初めての1人暮らしです。年齢は違うけど、まさに今私が経験しているような感覚だったのかも。その後ブラジルに戻ったのですか?
 
グスタボ
うん。家族もガールフレンドもブラジルにいたからね。ニューヨークにいる間にハタチをむかえた僕は、自分の人生において何が大切か、将来のことを考えながら過ごした。それで僕は、人が好きで、誰かとしゃべったり、誰かを助けたり、誰かに教えることが好きだって思って。そうして帰国後、ブラジルの小さな学校で英語教師になったんだ。自分のやりたいことで、人の役に立てるうれしさを実感した。
 
その後は大学で英語を学び直し、学士号を取ったんだ。ガールフレンドだった彼女とも結婚し、息子と娘が生まれた。それで卒業後も英語教師として家族を養っていくために、家族でカナダに引っ越すことにしたんだ。長男が12歳の時、次女が6歳のタイミングだったかな。そうして僕はトロントで語学学校の先生になって、今に至る。
 
――どうしてブラジルではなく、カナダに引っ越そうと思ったんですか?
 
グスタボ
ブラジルより安全で、暮らしやすい場所だから。それにブラジルは、教師として家族を養うには、結構難しい環境なんだよね。カナダの方がずっと待遇がいい。教師としてのチャンスが多くてキャリアを築きやすい、その分給料も高い。先進国かつ移住権も手に入れやすい国だから、ここを選んだ。
 
――なるほど。移住について、奥さんは賛成していたのですか? 引っ越し後奥さんは、英語に苦労されていたのでしょうか?
 
グスタボ
妻も僕と同じように、違う国に移住することを希望してた。彼女はブラジルで、高等学校で働いてたんだ。僕とは違って教師ではなく、管理側の仕事だったけどね。だからこそ教師の仕事の実情を知ってた、ということもあるかな。
 
移住した当初、妻はかなり苦労してたよ。彼女のカナダでの初めてのバイトはスーパーマーケットだったんだけど、もう毎日のように帰ってきては泣いてた。「聞き取れないし、伝えられない!」って。僕は毎晩話を聞いて、解決策を教えようとするんだけど、「そんな簡単じゃないの!」って怒られたりしてさ(笑)。でも今や問題なく英語が使えるよ。
 
――先生はよく授業で、ご家族の話をされますよね。「奥さんには勝てない」とか「娘さんが思春期に入った」とか。とても愛おしそうに話す姿に癒されます。同時に、どの国でも、家族って変わらないんだなって思いました。
 
グスタボ
ありがとう(笑)。特にカナダの語学学校なんて、ネイティブはほとんどいなくて、集まる人の国籍はさまざま。アジア、ヨーロッパ、ラテンアメリカ……。みんな違う国で生まれて、違う文化で育ってきて、違う食事を摂ってきたはずなんだけど、結局同じ人間だから、共通点をたくさん共有できる。男のふるまい女のふるまい、ティーンエイジャーのふるまい。生まれた国が違っても、やっぱりどこか似るんだよね。文化の違いを知れて、逆に同じであることも実感できる。語学学校で働く面白さは、そこだよ。

語学学校の先生、小中学校の先生
 

――なるほど。語学学校で先生をすることについて、苦労する部分ってどんなところでしょうか。違う文化の生徒と向き合わなきゃいけないことが難しそうと思っていたのですが……。
 
グスタボ
うーん、生徒への向き合い方に関しては、どこの教師でも同じくらい難しいんじゃないかな。
例えばさ、日本人はよく「シャイ」って言われるでしょ。実際そういう人もいるけど、すごく明るい人もいるし、楽しいこと大好きな人もいる。クラスの盛り上げ役みたいな人も。出身国の“傾向”みたいなものはあっても、結局ひとりひとり人間は違うから、括れないんだよね。小中学校、高等学校、専門学校、どんな学校も同じ。生徒は全員違うんだから、どの学校の先生にとっても、生徒と向き合うのって同じくらい難しい。
 
語学学校教師が一番大変なところって、モチベーションの維持じゃないかな。この学校の場合、2か月で教科書が一冊終わるんだよね。終わったらまた1ページ目から教え直し。何度も何度も、繰り返し同じことを教え続けなきゃいけない。しかも入学式や卒業式なんかのイベントもないから、もはや1年という区切りもない。繰り返すことがしんどい時があるよ。
しかもトロントは、冬が寒くて長いでしょ。眠かったり、学校に来るだけで疲れたって思うことも。だけどプロとして、生徒にそれを悟られないように授業を反芻していく。
 
――意外とルーチンワークのお仕事なんですね……。生徒側では気づかなかった苦労です。
 
グスタボ
そうなんだよね。でも幸いなことに、生徒はどんどん変わる。2週間経てばクラスが全員入れ替わる。だから僕の言葉の受け取り方、質問に対する推測の仕方、リアクションは毎回違う。そこが飽きない。新しい生徒に出会えて君たちから文化を学べる。生徒こそが、この仕事へのエナジーになってるんだよね。
 
姉は今でもニューヨークにいてさ。小・中学校教師として働いてるんだ。僕と違って、彼女はローカルの生徒がメインで、クラスメイトは通年で同じ。でも教える内容は毎日違う。同じ生徒に新しいことを教えてるんだ。教師によっていろいろあるよね。

ルーチンワークに疲れた時は


――先生ごとの違いを考えたこともなかったから、面白いです。モチベーションって、どう維持されていますか。
 
グスタボ
そうだな、よく自分自身と対話してるかな。「気持ちが前向きになるには、何ができる?」「ジム?ジョギング?散歩?今どれをやれば気持ちが明るくなる?」それで好きなことをしながら自分自身と対話して、1日を気持ちよく過ごせる原動力をつくってるよ。自分の好きなこと、やると元気になれることを、あらかじめ知っておくことが大切。
 
あとはね、過去や未来に対して、あんまり考えすぎないこと。今日をよくするにはどうしたらいいか。今日のことだけを考える。1年後や5年後のことを考えすぎると、心配な気持ちに飲み込まれそうになるから。今以外のことに囚われすぎないこと。
 
――ありがとうございます。先生のポジティブな雰囲気はそういうマインドからできていたんですね。
 
グスタボ
うーんあと、父親譲りかも。10年前に亡くなった父は、いつもポジティブだった。仕事が大変そうな時もいつも笑顔だったし、家族思いだったし、仕事場でもみんなが働きやすいように努めてたみたい。前向きでいる方が、自分にも人にもいいって思ってたんじゃないかな。
 
自分の人生が映画だったら、どんな主人公になりたい?僕らはいつでも、どんなキャラクターにでもなれる選択肢が用意されてる。選択によっては悪い奴にも良い奴にもなれる。そんなら僕は良いガイになりたい。でしょ?
 
人生は一本の映画みたい。ネガティブな時期が来たら、こう考える。「こういう日々がずっと続く?いや。いつか、この映画は終わる。悪いシーンも終わる。天気のいい日が絶対来るし、いいことは、いつか絶対起きる。Tomorrow, if can always be a good day。
 
――明るい言葉をありがとう。
 
グスタボ
今日は5月。まだちょっと寒いけど、トロントの夏は本当に素晴らしいから、期待しててね。

(おわり)

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