見出し画像

Big Thiefと湿った木箱の幻想 -2022年11月18日:LIVE@Spotify O-EAST-

 当然ながら彼らは、音を楽しむために、あるいは音で楽しませるために巨大な鉄の塊に搭乗して海を越えてやって来たのでない。ドラムセットの前に座るラフなネルシャツ姿のジェームズ・クリヴチェニアがマイクに顔を向けて短く声を切る。その声の音声信号がスピーカーを通過する頃には、男の声は逆再生する残響音に巻き込まれ、凶暴かつ繊細な風の鳴き声となって部屋に広がる。どこから鳴らされてるのかも定かではない持続音が重なりあい、なにやらただならぬアンビエンスとなって、観る者の空間把握は変調をきたす。すでに我々は、狭い木箱の中にいる。BIg Thiefと我々との闘いは、曲が始まる前にもう始まっている。「ラップとインディを繋ぐ大きなハブになる」と頼もしく宣言したサポートアクトLil Soft Tennisの愛らしい律儀さとはかけ離れた、あまりに獰猛なオープニング。

 もちろんBIg Thiefの4人は、1000人近い人間たちと闘争するためにやってきたのだ。数字上の圧倒的不利は、アンプとスピーカーとミキサーという増幅と編集の装置があれば解決できる問題などではない。眼差しの地獄から逃れた音が、眼差しの群れに勝つことなどありはしない。数の不均衡。ライヴ空間は、なによりもその不均衡を当然の状況として少数派に押し付ける不条理な場所である。殺人が正義へ反転する戦場と同様に、そこでは無法の法が黙々と執行される。上演者たちは、あからさまな不均衡と対抗すべく、戦略を持ち込まなければいけない。演奏活動を経済活動たらしめるため、眼差しの地獄を何度も繰り返すライヴツアーの仕打ちは、眼差しと均衡するための戦略なしに受容できるものではない。

 Big Thiefの戦略とは何か。彼らは我々すべてをまず狭い木箱に閉じ込める。エイドリアン・レンカーがギターの空洞を胸の前で揺らし、ジェームズ・クリヴチェニアがタムドラムを叩くその刹那、観客は湿った木箱に詰め込まれ、そこで起こる雷鳴と地鳴りに飲み込まれる。もちろん、その衝撃は手品以外のなにものでもない。轟きは小さな木箱の中からではなく、スピーカーから届いてくる。箱を叩けば音がでる。弦を弾けば音がでる。そうして原始的な音を、我々は逐一聴き逃してきた。あたりを震撼させる衝撃は、実際は大地よりもはるか上に並べられた左右の黒い箱の列を通して放たれる代用的な電気信号でしかない。しかし、セミアコースティックのギターとスピーカーとの距離のズレが意識から消滅したとき、我々はその音から生々しさを触知する。生々しさとは、そこにあるべき存在の直接的な現前ではない。そうではなく、そこに存在しているはずのない存在が存在しているその驚きを、我々は生々しさと呼ぶ。不意打ちと木箱の中の振動が、生々しい動物性の蠢きとしてゆっくりと着実に、我々の肉と骨に襲いかかるのだ。

 三拍子をさらに三つで割る"Dried Roses"のアルペジオ。先行するギターストロークよりもドラムがやや前のめりに進む"Squd Infinity"のエイトビート。リズムの揺れは我々の体の揺れに呼応し、木箱の中は聞こえないはずの軋みに包まれるだろう。その音がニール・ヤングやザ・バンドといった名前を召喚させ、幽霊のようにあたりを取り囲む。見えない敵に、オーディエンスの体は身動きを奪われ、弦と喉の震えは血管を通して我々の膜まで流れていく。AとEのコードが2カポのギターの上で往復し、それに即応してエイドリアン・レンカーが'I'm happy with you'と繰り返す正にそのとき、我々の幸福は少しも保証されない。なぜなら、彼女が歌う幸福は、我々を打ち負かせて狩猟する幸福のことだからだ。タンクトップ姿の肌からタトゥーを覗かせるスキンヘッドのレンカーは、こうして圧倒的多数の我々からしたたる勝利の肉を奪い去るだろう。四人の演奏が、木箱の戦闘で流血する肉片を生産する。観客は、なにもわからないまま、断末魔としての歓声をあげるのみである。

 薄明かりの中で、彼らは感謝の言葉を何度も日本語で発した。感謝の表現は、凄惨な狩りを続けるための蘇生装置である。我々は彼らの恩赦によって、死体からようやく再生する。そして、Big Thiefと名乗る少数派に打ちのめされたことを、今改めて実感する。少数派による幻想の手品に対して負けを認めたとき、多数派の証拠としての数字的優位から、我々自身がついに解放されるのだ。多数派であることの孤独意識は跡形もなく消え、残ったのは、存在しない存在が存在していることの驚きのみ。Big Thiefの驚きは、過去との差異から導かれる驚きなき驚きとは無縁の場所で、繰り返す繰り返しを摩耗することなく生き続ける。擦り切れゆく物質のなかの擦り切れない存在として、それは血管の中を巡り続けるだろう。獰猛なまでに幸福な狩りは、湿った木箱の中で続いていく。

(レビューはここまでですが、感じる何かがあれば、投げ銭をいただけると幸いです。次の活動の動力になります)

ここから先は

0字

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?