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8年の英語教育を経ても英語が話せない日本人に対して思うこと。

こんにちは。
ライフコンサルタントの伊藤峻です。

Noteでは主に自らのMBTIタイプである、INFJの皆さんの励みになるような記事を書いく事を念頭に、記事を書いています。

加えて、私がどの様な価値観や経験を持って生きているのかを知って頂くことも含めて、個人的な事や、考えている事を出来るだけ分かりやすく伝えていきたいと思います。

しかし今回は、INFJに向けた記事ではなく、あくまで個人的に考えている事について、書いていこうと思います。

英語を話せて、論文を読み、書ける英語力を持っている私から見て、おおむね、小学5年制から本格的に英語教育を始め、高校卒業までの8年間の英語教育を通して、英語を読むことが出来ず、英語が話せない日本人が多いという事について、書いていこうと思います。

この記事は、英語ができるマウントを取る意図はなく、ただ自分自身、日本以外の環境で育ってきた1人の人間から見て思うこと、考えることについて純粋に思うことを書いていこうと思います。

しばらくの間、お付き合いいただけると幸いです。

興味がなければブラウザバックしていただいて構いません。

それでは、書いていこうと思います。


1.そもそも、習得する理由がないし、興味もない。

まず、英語を習得する事に意欲が無い子供達や、大人達に見られるのは、そもそもで、『英語を習得する理由が彼らの人生の価値観の中にはない』という事が挙げられます。

●日本社会で生きる上で、現実的に活かせない知識であれば、学ぶ必要はない

というのは、最も建設的な考え方だと思いますし、私自身それに賛同しています。

それでは、なぜ日本社会で生きる上で必要とされない知識を学ぶことに、小中高と、8年も時間を掛け、お金を掛けることがまかり通るのでしょうか。

それは、難しい問いになりますが、簡単に言うと、教育システムの目的は、

1.学校という社会で集団行動や集団意識の基盤を構築する

2.教師達が働ける環境を作る

主にこの2つが基盤になっており、英語教育というのは、日本人が英語を自由に使える事を目的とはしておらず、唯のカリキュラムの一貫になっているからなのではないでしょうか。

また、日本の学校教育では、各教科がどの様に現代社会に結びついているかを、1人1人の先生方が、自信を持って生徒に伝える事が出来ていないようにも感じられます。

その根本の理由は、実際に現代で知識がどう使われているかを体験した事が無い方が教職についているのですから、それは説明することが出来ないのも納得です。

その結果、多くの学生や大人達が、

●そもそも何故この学問を学ぶ必要があり、現実でどう活かしていいのか分からない

という疑念を持ちやすくなり、勉強する意欲が全く沸かない現状に、

私自身、全く持って『100%同意』しています。

それは、ごもっともです。

ですが…。

●私は、勉強したくない生徒の味方です。

実際私も勉強なんて大嫌いだったので、気持ちは痛いくらいに解ります。

そして、何のモチベーションもなしに、強制的に英語を勉強させられていたら、それは誰だって嫌にもなります。

自らの歩み寄りとして、

そもそも、何故英語を勉強するのかと、先生方や周りの大人に聞いたとしても、

●結局、誰1人納得できる答えを教えてくれない。

という現実があり、学ぶ事が、つまらなくなり、学ぶことを辞めてしまう方も多いのではないでしょうか。

2.学問を学ぶ事と、英語を学ぶ事について

今まで生きてきた人生を参考に、私が歩み寄ることが出来る事は、

1.学問を学ぶという意味

2.英語を学ぶという意味

この2つの意味を、私の言葉で伝える事になります。

1つめの、『学問を学ぶという意味』から話します。

そもそも、知識と学問とは、

●知識と学問は、現世を共に生きる方々の生活と人生を豊かにする為に使われており、それは必ず具体例が存在している。

ということです。

それを始めて学んだのは、私がアメリカの2年生、コミュニティカレッジで履修した数学の授業で、教授から問われた質問になります。

ある授業の中で問われた事は、

●二次関数であるy=x^2が、現実世界でどの様に活用され、人々の役に立っているのかについて、他人の言葉を借りず、あなたの言葉で説明して下さい

という事です。

中学や高校で数学を習ってはいたものの、それがどの様に、現実社会で使われるかについては、高校の先生は全く教えてくれず、数学がどの様に役に立つのかと聞いてもきちんと答えてくれる先生もいませんでした。

聞いたとしても、

●大学受験に必要な科目だから、勉強しないと将来いい大学に行けないよ

●数学は論理的な思考の要だから、学ばなければ不利になるよ

●考え過ぎ。とりあえず目の前の宿題と課題をこなしなさい

と、概念的な話だけをされ、イマイチ納得感がなかった事を思い出します。

友人に聞いても、

●ただ大学受験に必要だからやっている。

という回答だけで、イマイチ知識と現実が結びつかない状態であった事を思い出します。

海外の大学に行ってからは、やはり自分の考えや疑問が正しかった事を知ることが出来ました。

●二次関数であるy=x^2が、現実世界でどの様に活用され、人々の役に立っているのかについて、他人の言葉を借りず、あなたの言葉で説明して下さい

この問いが、ずっと中高と勉強していた時に、投げかけて欲しかった問いでした。

そして、興味を持って調べれば調べるほど、二次関数であるy=x^2は、情報を送受信するパラボラアンテナの形(放物線)や、反射を利用してエネルギーを1点に集める役割を効率的に形にする為の数式である事を知りました。

つまり、数学とは私達人間が自らの頭と身体を持って、私達の生活を豊かにする為のモノを物理的に作る為に必要になる学問という事を知りました。

今考えると、数学の可能性はもっと沢山あり、私があの時に見た景色は序の口で、もっと面白い未来が待っているのではないか、と思います。

その体験が、机上の学びと現実が、初めて繋がった瞬間でした。

それから、結局私達の多くは、

●そもそも知識を学んでも現実に適応することが出来ないのであれば、学ぶ意欲やモチベーションはなくなる

という事を身に染みて理解することが出来ました。

それからは様々な事に対して学ぶ意欲も出てきましたし、本質的な意味と現実がどう繋がっているのかについても深く考える様になった事を覚えています。

学びと知識は、現実という歯車が合わさってこそ、意味がある事だということに気が付かされました。

こういった体験は、日本語だけで完結していたら得ることが難しい学びだったと、今では考えています。

2つめの、『英語を学ぶこと』について書いていきます。

上記を踏まえた上で、まず持って知識と学問というのは現実と結びつかなければ習得する意味がないし、モチベーションすら沸かないという事が解りました。

それでは、英語を習得し、自在に使える事と現実がどう結びつくか、という事について、私が辿り着いた答えを伝えたいと思います。

それは、

●論理的思考力、文章能力、読解力が著しく向上する

●情報世界の鎖国から開放され、日本語以外から情報を得る事が出来る

●情報が溢れる社会で何を信じて生きていくかを自らの頭で考え、選ぶことが出来る

この3つになります。

英語を現実に適応すると考えると、多くの場合、

●よりお金を稼ぐ為に、英語力をつけて出世する

という考えになってしまいがちですが、

現実とは、そもそも『お金』だけで成り立っているわけではなく、

現実とは、『あなた自身が何かを毎日選択する積み重ね』で成り立っています。

それは例えば、

●毎日あなたが無意識に聞いている言葉や、目にしている状況

●毎日あなたが時間を費やしていること

●毎日あなたが考えていることや思い抱く感情

これら全てを意識的であろうが、無意識的であろうが、選択し続けた結果というのが、今の現実になるということです。

そして、英語を習得するということは、これら3つの事に対して、

●日本語でしか情報を得ることが出来ない鎖国社会から一歩踏み出し、英語という新しいチャンネルで情報を得ることが出来る

という事が出来ることが、英語を習得する上での最大のメリットになります。

そして、多言語で仕入れた情報は、無意識に聞いている言葉や目にしている状況への解像度を上げ、毎日あなたが時間を費やすことに変化をもたらし、毎日あなたが考えている事や思い抱く感情に対しても良い変化をもたらします。

しかしながら、いくら私達が日本語ネイティブであったとしても、日本語で書かれている情報に日々騙されてしまいます。

そして、例え英語を習得したとしても、英語で書かれている情報も日本語同様に全て信用できるわけでもありません。

英語を習得するとは、他の言語で書かれている情報と価値観を得る為の『ハブ』でしかなく、その先には、その情報を、企業を含め、誰がどんな意図を持って書いているかを『考え見抜く力』が必要になります。

結局何が言いたいかというと、英語を習得するということは、情報の口を1つから2つに増やし、自ら選択する権利を他人や社会に譲渡しない事を選択する、ということになります。

3.8年間学んでも話せない根本的な理由とこれからの未来

日本人が義務教育を得ても英語を読めない、聞けない、話せない理由は、

1.そもそもで学ぶ理由がない

2.そもそもで学ぶモチベーションがない

というこの2つを挙げることが出来ます。

これは、そもそも当たり前の考え方であり、全く持って否定する事は、私自身することが出来ません。

ですから、学生であった方や、現時点で学生である方々が、8年間学んでも英語を読むことも出来ないし、聞くことも出来ないし、話すことが出来ないという事は、

●今も昔も、日本教育では、それは普通なことです。

と、思ってしまいます。

ですが、私個人から言えるたった1つの事は、

もしも英語を自由に使える事が出来ない未来を歩むのであれば、

●あなたは、日本語しか通じない隔離された社会から情報を得て、これからの人生を選択して生きていく箱庭に閉じ込められる事を選択する

ということです。

やや言い過ぎかもしれませんが、それが事実であり、むしろそうしたいから日本社会での教育は、戦後78年経っても英語を自由に使いこなせる日本人が増えないのではないですか?

●78年経っても英語を自由に話すことが出来ない日本人が大勢いる

この文章って、なんだか怖くありませんか?

2007年に初代IPhoneが発売され、昨年にはIPhone14Pro Maxが発売されています。

説明が難しく、感覚的になってしまうのはINFJの特徴になりますが、

ですが、16年間で現在私達が使用する携帯電話の形とデータ通信の規格が確立されているにも関わらず、日本の英語教育は何一つ変わらず、英語を自由に使えない人を意図的に作っているということに、疑問はありませんか?

IPhoneで話をしたから通じないかもしれませんが、今から38年前には、『ショルダーフォン』というのが、現在の携帯同様に流行っていました。

それは、つまりこれです。


これでも軍事用の連絡装置から軽量化し、民間に使える様に改良されたモノになります。

その前の時代には、通信装置をリュックの様に背負いながら通信をするという携帯電話が流通しており、それを知る方々も、現在では少なくなってきました。

なにが言いたいのかと言うと、テクノロジーは10年単位で劇的に変わるにも関わらず、日本の英語教育は約80年経っても変わっていない、ということです。

この様に劇的に変わるテクノロジーの進化がありつつも、約8回も変わらない事を選んだ、ということです。

ですから、初めの質問に戻ります。

●78年経っても英語を自由に話すことが出来ない日本人が大勢いる

この言葉は、怖くないですか?

また、

●英語を習得しなくてもAIが発達すればどうにかなるだろう

という考えを持った方も一定数いると思いますが、

そもそも、英語→日本語という翻訳では、英単語が持っている根本の意味を理解する事が出来ず、翻訳者や翻訳サイトに埋め込まれた不確定な知識でのみ文章を理解するという事が発生します。

この状況を簡単に例えるなら、

●伝言ゲーム

です。

それはそうと、皆さんは伝言ゲームで遊んだ経験はありますか?

伝言ゲームとは、よくバラエティ番組であるように、お題を見て、それを1人1人言葉で順々に伝えていくというゲームです。

そして、結果的にはお題と全く違う答えになり、それが面白おかしくて、つい笑ってしまうというゲームになります。

まさに、翻訳界ではそれが起こってしまっているので、英語を習得しないという選択をした場合には、知らない内に『伝言ゲーム』に巻き込まれ、1度しか無い大切な人生に、間違った情報を取り込んでいるという恐怖に、さいなまれるのかもしれません。

英語を学ぶ事は、お金をより稼ぐことではなく、日本語以外で情報を習得しながらも、論理的な思考力を磨くという事になります。

そしてそれが、周りに流されずに正確な情報を取り入れ、自らの頭を使ってこの情報社会を生き抜いていくという事に繋がります。

英語を学ぶことについて、この様な回答をする方は、身近にはいないかもしれませんが、英語を第2言語として習得した私だから歩み寄れ、話せる事になります。

もしも、これから今以上に加速する情報社会で、正しい情報を見つけ、毎日の生活で惑わされずに生きていきたいのであれば、日本語だけでなく英語でも情報を集める事をおすすめします。

ライフコンサルタント
伊藤峻