無責任な発言こそ大事なのかもしれない。




自分だけが不幸なんだって顔をして、
本当はただ誰かに優しくしてもらいたいだけなんでしょ?


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特別大きなイベントもお出かけも出会いも会話もなかった2022のゴールデンウィーク。

仕事の関係で近くに引っ越してきた友人と大衆居酒屋で久しぶりだねと当たり障りのない会話を済ませる。

会話の流れで学生時代にお世話になっていた馴染みの古着屋に二人で行くことになった。


その店の店主は優しい。


答えを求めている訳では無く、
ただ聞いて欲しくて、勢いに任せて吐いた、
きっと脊椎反射で言ってしまったであろう悪口や愚痴や悩み

声が聞きたくて、なんて、酔った勢いでかける電話


そんな曖昧な動機で縋る私たちを
いとも容易く笑顔で受け入れてくれる
どんなことも話せる店主がいる古着屋だ。



そのへんのキャバクラやガールズバーにいる女の子達よりもきっと聞き上手だ。
なんならここでは服じゃなくてお酒を出して欲しいくらいだ。

そうして、置いてある洋服は二の次にして
店主と話すことを求めてお店に向かい、
自分の内側を吐き出す。


きっと店主は色んなお客さんから様々な話を聞いているのだろう。
いくつも適当に相槌を打って適当な言葉を返した会話もあるのだろう。
例に漏れず私の話もその中の一人に過ぎないだろう。


でも、
その受け答えの余所行きな優しさ、
悪くいえば、その責任のなさこそが大きな意味をもつこともある。

「で、今何が楽しいの?今何が物足りないの?」

曖昧な表現はない。
誰にでも突き刺さるような言葉を、この人は知っている。

きっと誰にでも言ってる殺し文句が、
例に漏れず私の心にも。

言葉に詰まる。



「それが答えだったりするんじゃない?」


「今お前に必要なのは女と自然なんだな」


「いいじゃん。今が正解だよ。」


悩める私たちをそんな時期もあったなと
少し小馬鹿にして笑いながらながら言っていた。
この時代に言葉を選ばない姿も力強く、大きかった。


遠くを見つめるその瞳は
とても暖かい色と温度をもっていた。
夕焼けがいつもより華麗に見えた。
きっと人の優しさに気がついたご褒美だと思った。


話を聞く、相談を受けるというのは、
その人の人生の一部を受け止めて
少しだけ担いであげる、そんなように見えるが、
結局はどこまでいっても他人。

いつだって背中は、押される方も押す方も怖い。


だから話は聞くだけ。
干渉はしない。
近道も教えない。
でも、長く生きているから、
近道を教えない分だけ、
どんな相手にでも、
遠回りした道に咲いている花がいかに綺麗か教えてくれる。



大きな出来事こそなかったけれど、
小さく真っ直ぐな温かさにであえたゴールデンウィーク。

さて、今日はどこに行こうか。何を思おうか。
あのお店の二の次に袖を通して、
とりあえずタバコに火をつけて考えよう。

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