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タイトルが《謎》だった、山田太一「飛ぶ夢をしばらく見ない」

小説家・脚本家の山田太一さんが今週、89歳でお亡くなりになりました。
彼の小説では、幸福(そう)な家族の内面をえぐる『岸辺のアルバム』や山本周五郎賞を受賞した『異人たちとの夏』がよく知られています。
私の推しは:

『飛ぶ夢をしばらく見ない』

小説はもちろん、映画、ドラマ、詞、楽曲、絵画などあらゆる創作物にとって『表題/タイトル』はとても重要な構成要素だと思っています。
だから、例えば小説とタイトルのフィット感、なんてのも、自分の創作はもちろんですが、プロ作家の創作も、
「うーん、このタイトルはさすが!」
なんて(偉そうですが)『評価』したりします。

山田太一さんの「飛ぶ夢をしばらく見ない」を初めて読んだのはたぶん月刊誌『小説新潮』誌上だったと思います。
幻想的、かつエロティックなこの小説にはのめりこみました。
ただ同時に、
 なぜ、このタイトルなんだろう?
と、その点はまったくの《謎》でした。

今回、ネタばれしたくないので詳細は避けますが、とにかく(私の感性に問題があるのか?)小説の内容とタイトルとの関係がまったくわからない。
もし、
「いや、アンタ、それはこういうことじゃないの」
という人がいたら教えて欲しい。
(映画ではなく、小説を読んだ方限定です)
ただ、このタイトルと小説が『意味』とは別の次元でフシギにフィットしているのも事実です。

あのタイトルはなんだったのだろう?
何か重要なサインを読み落としたのだろうか?

さて、個人的な話になりますが、私は40歳前後の一時期、飛ぶ夢をよく見ました。
当時、会社の近くに仕事部屋を借りており、私以外の住人は女子学生ばかり、というアパートで、ロフト風(というと聞こえはいいが、2段ベッドの1階が物置、というイメージ)のベッドで眠っていると、しばしば、広げた両手をはばたかせ宙に浮かんでいる夢を見るのです。

それは、『空を飛ぶ』なんていうダイナミックなものではなく、リビングルーム程度から、広くても体育館ぐらいの空間で、腕を上下に動かし、対角線上にゆったり宙を移動する、というものです。『宙を揺蕩たゆたう』に近いでしょうか。

空を飛ぶ夢は、気分の高揚(ユング派)とか性欲の増加(フロイト派)などと解釈されるようですが、私の飛び方は『fly』というより『float』に近く、どちらにもあたらないように思いましたね。

そして、これはもっと重要なことですが、宙を飛ぶ(はばたく?)夢を見て目が覚めた後、その続きを見たいと念じながら再び眠りにつくと、かなりの確率(うーん、25%ぐらい?)で再び宙を飛ぶ夢を見ることができたのです。
飛ぶ夢を自分の意志で見ることができたのです。

そして、これが実は再度念じた理由なのですが、
《夢の中で宙を飛ぶのは、とてつもない快感》
であった、ということです。

山田太一さんの小説『飛ぶ夢をしばらく見ない』を読んでから10年ちょっと経っていましたが、このタイトルを想い出し、そして考えました。

彼もかつて、こんな夢を頻繁に見たのではないか?

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