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『夢を実現』するのではなく(短編小説;5000文字)

「……御社を志望したのは、ネットに出ていた人材募集のコピーに感銘を受けたからです」
 採用担当 ── だと思う、面接に立ち会っているのだから ── は数ミリほど、体を乗り出したように見えた。
「ほう……どの部分でしょう?」
「大きく掲げていましたよね ── 『理想の夢を実現する会社です』って。あれを読んで、これだ、と思ったんです」
「ええーと、申し訳ないですが、助詞を2字、読み間違えておられる。……おそらく、この画面を言っておられる?」
 採用担当はPC画面をこちらに向けた。
「あ……はい、これです、これです」
「よく見てくださいね」
「はい、理想…の…夢…を…実現、あれれ、理想…を…夢…で…実現…する会社? はあ?」
「ちょっとだけ、違っていましたね」
 採用担当は笑った ── のだと思う、一文字に結ばれていた口が少し開いたから── そういえば、彼 ── だと思う ── はそれまで、口をまったく開かずに言葉を発していたことになる。しかも、唇には妙な光沢があった。
「あなた、理想はありますか?」
「はい……まあ……一応」
 ためらいつつ答えた。
「では、その理想は、ぜひ、弊社にお入りになった後、夢の中で実現してください」
「……はあ」
 よく意味がわからなかったが、それ以上その話題に踏み込む気になれず、基本給や福利厚生を質問した。
 採用担当者は ── とてもよくできてはいたが ── 明らかにロボットだった。
 ── いや、今月受けた5社の採用面接の担当に、人間はひとりもいなかった。

(……人間は、精神状態や個人的嗜好によって人物評価に影響を受ける ── 面接試験に公正を期すため、レンタル面接ロボットが引っ張りだこだ、と聞いたが、本当なんだ)

 アパートに帰り、人材募集ページを再確認した。
『理想を夢で実現する会社です!』
 ── 謎は謎のままだった。

 結局、採用通知を送って来たのは1社 ── 理想を夢で実現する会社だけだった。就活に疲れ切っていた身には救世主に思えた。しかも、いきなり管理職に抜擢するという。

**********

「おつかれさま、入社1日目はどうでしたか?」
「どうって……」
 職場長の顔を呆然とながめるしかなかった。とてつもなく忙しく、重労働を強いられた。しかも、初日から残業4時間、にもかかわらず、いくら残業しようがごくわずかな『管理職手当』しか支払われない仕組みだった。
 仕事は、ロボット生産ラインの組み立てだった。ロボットが生産するのではなく、ロボットを生産するのだ。ロボットではなく、なぜ生身の人間が筋肉を酷使してロボットを作らなければならないのか、理解できなかった。
 ロボットの組み立てを ── もちろん昼休みをはさんでだが ── 12時間ぶっとおしで行う我々『全員が管理職』は疲れ果てていた。
(超ブラックな企業だ、これは)

 仕事を終えた職場先輩『全員が管理職』は1列に並んだ。
「……何だろう? 日給制ではなかったはずだが……」
 先輩たちはひとりひとり、職場長 ── つまり、真の管理職 ── から何か受け取り、去って行った。
 私の番が来た。
 その時までに、こんな会社、明日から絶対に来ないぞ、と心に誓っていた。
「おつかれさま、じゃ、これ」
 職場長は青色をした錠剤のようなものを手渡した。
「はい?」
「家に帰って、寝る前に吞みなさい」
「はあ……」
「必ず吞みなさい。これも業務規則です」

 狭いアパートに戻り、黴臭くなったパンをミルクで流し込むと、激しい睡魔に襲われた。
「……あ、そうそう」
 万年床に潜り込む直前に、職場長からもらった錠剤を吞み込んだ。
(……あの職場長……あの無表情……おそらく、あいつもロボットだろう……上司のハラスメントや依怙えこ贔屓ひいきが大きな企業リスクとなって以来……管理職ロボットのリースが好調らしいからなあ……)
 薄れていく意識の中で、現実世界では感情を表に出さない職場長の顔が、歪んだような気がした。

 ── 私は拍手の中にいた。
 周りをびっしり同僚たちに囲まれ、全員が手のひらを打ち合わせていた。
 全員が口を開き、私を賞賛していた ── 大きな国際プロジェクトを獲得した私を。
 職場長がすぐ隣に出現し、私の肩を抱いて何か ── 誇らしげに褒め称えた。
「おや?」
 近くで見た職場長は間違いなく人間だった。人間だからこそ、彼の口からは飛沫も飛んできたが、あまりに至近距離なので避けるのは困難だった。
 ── と、突然、私は家のドアを開けていた。都心にもかかわらず、もちろん、庭付きの一戸建てだった。
 ドアを開けると、満面の笑みをたたえて玄関で待っていたのは高校時代に密かに恋焦がれていた女性だった ── そうだった、私はこのひとと結婚していた。靴を脱ぐ間も与えず、彼女は私に抱きついてきた。
「おめでとう! すごいわね、あなた」
 プロジェクトを獲ったことを、妻は既に知っていた。
 彼女が密着させてきた、その体は ── まだ女性として未発達のようにも思えた。私の首に手を回し、唇を寄せた。そして、私をどこかに連れて行こうとしていた ── ベッドルームだろう、おそらくは ── いや、間違いなく。

 翌朝、彼女を抱いた感触が体に残っていた。そして、夢の中のできごとを隅々まで憶えていた。いや、あまりにも記憶が生々しいため、現実に起こったのかと錯覚するほどに。
 それまでも、願望めいた夢を断片的に見ることはあったが、これほど明確なストーリーは経験したことがなかった。
(寝る前に吞んだ、青い薬のせいか?)

 あんなブラック企業、辞めてやる ── 前日仕事が終わった時には確かにそう思っていた。けれど、朝食にカップ麺を胃に流し込み、パジャマから着替えると、なぜか足は会社に向いていた。
 ロボット職場長に辞表を叩きつけてやろう ── 工場の門をくぐった時はまだ、そう思っていた。
 ── けれどその後は、何かに憑かれたように作業服に着替え、持ち場に入り、始業サイレンと共に手を動かしていた ── 昨日教えられた、その通りに。

 まったく同じ1日が過ぎ、同じ量の残業をこなした後は、当然疲れ果てていた。
 ── 我に返った時には、昨日同様『全員が管理職』列の最後尾に並んでいた。先輩が職場長から錠剤を受け取り、列を離れる度に一歩ずつ前に出た。

 自分の番がきた。
「おつかれさま、じゃ、これ」
 無表情なロボットが青い錠剤を差し出した。
 彼 ── だと思う ── の背は私より10センチほど高い。ほとんどの社員より上背が高く、しかも、異常値にならない程度にとどめてある。これも、部下に無言の威圧を与えられるよう設計されているのだろう。
「あのう……」
 勇気を奮った。
 職場長の目が光ったような気がした ── 録画か何かを開始したのかもしれない。
「どどどうして、我々はこんな手作業で働いているんですか? 自動化した方が生産性が高いでしょうに」
 職場長の無表情は変わらなかった。
「『ニンゲンの手づくりによるロボット』 ── これが我が社製品のキャッチコピーです。『手づくり』 ── それが売りで、顧客は当社製ロボットに暖かい人肌を感じ、無形のプレミアムが付く ── だからこの業界でトップなんです」

 もう一度、勇気を奮った。
「顧客には心地よいかもしれませんが、ラインで働く我々人間には地獄です。もう、辞めさせていただきます」
「ほう……」
 職場長の目の色が変化したようだった。
「まだ2日目が終わったところですよ。辞めてどうするのですか?」
「理想の職場をさがします!」
 自分自身を鼓舞するように声を上げた。
 職場長のトーンは、対照的に変化が無かった。
「理想の職場なんて、どこにもありませんよ。あなたにとっての理想が、あなたの上司にとっては地獄、同僚にとっては迷惑、という場合もあります」
「……でも、1日の3分の1を過ごすのが職場です、やはりハッピーでいたい。ここでは残業4時間が加わって、1日の半分、12時間が地獄の生活です」
「それで、いいじゃないですか?」
「は、何を言っているんだ?」
「あなたには理想がある ──」
 職場長の口もとが、初めて緩んだような気がした。
「── ですよね?」
「も、もちろんです!」
「だから、その理想を夢で実現するんです! 現実では実現できっこない理想を。睡眠だって8時間ある ── ま、人により多寡がありますが」
 職場長は口を開け、今やはっきり笑っていた。そして ── 再び手を差し出した ── 錠剤の載った手のひらを。
「こう考えたらどうでしょうか。あなたが目を開けて仕事している世界が悪い夢、そして、目をつむって入っていく世界こそが理想郷、真の生活なのだと」
 そして、再び口を閉じ、威圧モードに戻った。
「この薬は社内で開発された。ここにしかないものです。あなたの理想を実現するには、ここで働き続けるしかないのです」

 ── 結局私は、前日同様、錠剤を受け取って帰宅した。
 その夜、私はヤンキースタジアムのマウンドにいた。少年野球の頃から、ここに立つのが夢だった。
 伝統のピンストライプ・ユニフォームに身を包んだ私は、大きく振りかぶり、相手打者の懐、内角高めに剛速球を投げ込んだ。バットが空を切る。最終打者を三振に打ち取り、完封勝利でワールドチャンピオンを勝ち取ったのだ。
 大歓声の中、チームの全選手が駆け寄って来る。
(やった、やったぞ! ついに夢を実現した!)

**********

 ── 1年が経った。
 月曜から金曜までは同じことの繰り返しだった。
 そして、土日はとても苦しく、辛かった。週末の夜は、眠りに就いても『理想を夢で実現する』ことができないからだ。
(早く月曜日が……月曜の夜が来ないだろうか)
 毎週がその繰り返しだった。
(……依存症なのだろうか?)
 無益な自問を繰り返した。

 ある日、不退転の決意をした。
(土日は確かに苦しいが、死ぬわけではない。よし、2週間薬を呑むのをやめよう)
 ── そして、青い錠剤を10錠貯めた。

 金曜の夜、ふらふらになって帰宅した後、着替えだけ済ませ、食事も取らずベッドに潜り込んだ。そして消灯直前、錠剤を一気に10錠吞み込んだ。
(よし、理想の世界にずっといることにしよう)

 ── 目覚めた時、体中の筋肉が痛かった。
(1度に10錠吞んだだけあって、夢は痛快きわまりなかったな)
 思わず、笑いがこぼれた。
 日付を確認すると、土曜の朝だった。
(なんだ……いつもの10倍寝られるかと思ったのに、起きる時間は同じじゃないか)

 テレビニュースの時間だった。
「昨夜、『手づくりロボット』で知られるロボクロ工業の多摩工場に何者かが侵入しました」
 ── 俺の勤め先だ。何が起こった?
「何者かが、ロボットの生産ラインを破壊しました。また、現場では撲殺によると見られる遺体が発見され、警察で身元を調べています」
 ── 嫌な予感がした。昨夜の夢を想い出した。
「あ、たった今、監視カメラの映像が入手できました」
 ロボットの生産ラインに野球バットを持って侵入した人物が、搬送装置を片っ端から破壊していく様子が放映された。
 侵入者の顔にはモザイクがかかっていたが、服装だけは誰の目にも明らかだった ── 縦縞のパジャマだ。
「……まさか」
 夢の中で、私は確かに生産ラインでバットを振り回した。
「……あれは、しかし……」
 映像の中、もうひとりの人物が画面右手から現れ、両手を大きく振って、破壊を止めようとしている様子が映された。
(いや、確かに夢でもあいつが現れた。しかし、あいつは ──)
 ニュースキャスターの声がひときわ大きくなった。
「侵入者に襲われた被害者の身元が明らかになりました。この工場で職場長を務める田中太郎さん43歳、死因はバットで殴られたことによる脳挫傷とみられています」
(おかしいだろ!)
 確かに俺は夢の中であいつを殴った。あいつの頭にバットを振り下ろした。ヤツは倒れた。確かに見た ── 床にはFRP製の外装や電子部品が飛び散っていたはずだ。
(……そんなはずはない)

 リモコンでテレビを消した ── その手に目をやれば、乾いた血がこびりついていた。


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