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佐渡でヒッチハイク、そして──

マティさんのお父様が、ギターを持ったヒッチハイカーを拾い、無事に送ってあげた、という記事を読み、昔の旅を想い出しました。

学生時代の旅の宿は、
1.ユースホステル(普通)
2.地方大学の学生寮(レア)
3.野宿(当時でもレア)
4.民宿(普通)
でした(個人的頻度順です)。

ひとり旅、あるいは男同士の旅ならば、1-4はあるでしょう、でも私は20歳の夏に、彼女と2を経験しました。
佐渡へ旅する途中、新潟で。

東京から上越線(新幹線はまだできていません)に乗り、途中谷川岳山麓の土樽にあった山小屋を兼ねるユースホステルに泊まった後、新潟に向かいました。

新潟では夕食後に、私は新潟大学の男子寮、彼女は女子寮と分かれて泊まり、翌朝、新潟港でおち合いました。

今でもそうした制度があるのかどうかわかりませんが(たぶん、安全上の観点から……廃止されただろうな)、当時は学生証を見せれば、国立大学の学生寮は極めて安い宿泊費 ── 平均300円程度 ── で泊めてくれたのです。
高校時代にも ── 2年の時に熊本大学の寮に1泊100円で泊めてもらったことがあります ── 異臭を放つ布団でしたが。
ただ、この制度を知っている人がほとんどおらず、利用者がほぼ皆無なのはいいとして、受け入れる方でも電話をかけると戸惑う寮自治会がありました。
(北大恵迪寮では、そもそもゲスト用の部屋がなく、自分で交渉しなさい、と放送室に連れていかれました)

フェリーで佐渡の両津湊に渡り、島をほぼ一周しましたが、当然ながらバスの行き来は低頻度だったため、東京から持参したスケッチブックに希望する行き先(「小木港方面」など)を書いて道端に立ちました。

こんな感じで佐渡を歩いていましたね。

問題は我々がふたりであることです。
島の道を行き交うのは軽トラが多く、座席にはひとりしか乗せられません。いや、私は荷台で全然問題ないのですが、やはり……向こうが嫌がりますよね。
後部座席にふたり乗車が可能な軽乗用車でも、速度を落として近づいてきても、カップルだとわかると過ぎ去ります。

そこで、戦略を立てました。
彼女ひとりが道端に立ち、乗用車が近づいて来た時のみ、行き先パネルを掲げます。そして、車が停止したタイミングで、後ろの草陰からもうひとり ── 私が現れる、という、ちょっとだけ卑怯な作戦です。

佐渡にはいい人が多いのでしょう、この作戦を卑劣だとののしられることもなく、私たちは旅を続けました。

1泊は民宿に泊まり、もう1泊は、海岸に張りっぱなしになっているテントを借りて泊まりました。テントは1泊300円ぐらいでした。8月ももう後半で海は冷たく、当然海水浴客もおらず、民宿でもテントでも、我々が唯一の客でした。
夜、テントの周囲は真っ暗で、トイレに行くにも懐中電灯を使わねばならず、波の音だけが聴こえました。

こんな、淋しい海岸でしたね……。

ヒッチハイクはともかく、「海岸テント泊」は無謀でした。

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それから年月が経ちました。

後に、私たちが旅をした前後数年、佐渡を含む新潟、能登、富山などの日本海沿岸から、若者が単独で、あるいはカップルで、拉致される事件が続いていたことを知りました。

「あのとてつもなく淋しい海岸でテントに泊まった夜、もしふたりそろって拉致されていたら、 ── そもそも佐渡に行くってことすら友だちにも誰にも話していないんだから、 ── 東京の下宿から忽然と姿を消した、ってことになっただろうな」
「私だって、誰にも話していないわよ。謎の失踪扱いになるだろうし、── そもそも、あなたと一緒だ、ということさえ誰も知らないと思うよ」
「突然、── だからね」
「何の脈略もなく、── だものね」
「子供たちも、 ── あの国で生まれていたかもしれないんだ」
「……!」

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想い出すたびに、あのような卑劣かつ組織的な国家犯罪によって、まったく唐突に、未来を奪われたり、書き換えられたりした方々と、そのご家族の、無念さや憤りをおもいます。

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