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#すべての人に日本語を

このブログでは色々な国や地域でのエピソード、主に日本語教育や異文化での暮らしから感じたことを綴ります。特に日本語教育関係者ではない方々に読んでもらえたらと思っています。

僕は現在オーストラリアのシドニーで日本語教育に関わる仕事をしています。「日本語教師」ではなく「〜に関わる」なのは、今の職場の業務がおそらく一般的にイメージされるような日本語教師の仕事とは少し違って、いわゆる「教育アドバイザー」をしているからです(仕事の詳しいことはまたいずれ)。

日本語教育の経歴は、こんな感じです。
①バンコク 大学の専任講師(約3年)
②東京 日本語学校の専任講師(約2年)
③アンカラ 文化センター/ 一般成人教育・教育アドバイザー(約3年)
④ケルン 文化センター/ 一般成人教育・教育アドバイザー(約3年)
⑤シドニー 文化センター/ 教育アドバイザー(現在5ヶ月目)
ご覧のとおり色々な地域で日本語教育の仕事をしてきたわけですが、③から現在までは国際交流基金という、主に海外における日本研究、日本文化芸術、そして日本語教育の普及や支援を行なっている機関の派遣で仕事をしています。

このブログで言いたいこと

そんな僕がブログを始めようと思ったのは、次のような理由からです。

①この暮らしをもっと大切にしようと思ったので
上に書いたように、今まで色々な国で仕事をして暮らしてきました(今も続いています)が、この数年間は世界の色々なところで仕事をしてきた人が身近に多いからか、あるいはただの自分の慣れからなのか、身の回りの新鮮であるはずの環境に対してちょっと鈍感になっている気がしていました。でもふとよくよく考えて、実はこんな暮らしってちょっと珍しいんじゃないか、けっこう貴重な体験をしているんじゃないか、そしてもっと貪欲になるべきなのでは・・・と思い直したのが1つ目の理由です。

②Outputを前提にするとInputが効果的になるので
特に新しいことではないかもしれませんが・・
たとえば、本で読んだことや普段考えていることを文章化(あるいは発言)した時、思いの外うまく言葉にできなかったり、頭の中のイメージとズレてることがよくあります。そんな時の「理解」というはおそらく曖昧で深いものじゃあなく「ただ理解したつもり」でしかないんだと、つくづく思います。
また、仕事で教師研修のためにプレゼンテーション用スライドなんかを作ることがあるのですが、そこで初めて「言語」になった自分の知識や経験が全然大したものじゃなかった、という辛い現実を知ることもよくあります。(そしてそこからが本当の準備となる)
つまりは、InputしたものをOutputする作業というのは「自分がなにをどう理解しているのか」、そしてとりわけ「なにを理解していないのか」を意識することになるんだと思っています。逆に言えば、誰かに伝えることを前提にInputをすることで、その体験や知識がより整理されて頭に残る気がしています。
ということで、この貴重な暮らしの中で自分が感じたこと、考えたこと、やりたいこと、勉強したことをもっと精密にするために、本質に近づけるために、(そして文章が上手になりますようにという願いを込めて)Outputする機会を持とうと思ったのが2つ目の理由です。

③日本語教育や異文化での暮らしのことを伝えたい
これが一番大きな理由です。
冒頭にも書きましたが、このブログは特に日本語教育関係者以外の方に伝えることを想定しています。
2019年4月、日本で「出入国管理法改正案」という法律が施行されます。これによって今後5年間で約30万人以上の外国人の方たちがやって来て、日本で働き生活をすることが予想されています。世界の色々な国の歴史を振り返ると、国外からやってくる人々への言語教育と受け入れる側の人々への異文化教育を国が責任をもって行うことは、分断や争いがなく創造的な社会を作るために不可欠なものだと言われています。しかしながら残念なことに、日本での日本語教育に関する法と環境は未だ十分に整ってはいません。

外国人が増える社会にむけて

そのような状況に対して、外国人に対する日本語教育を法的に位置づけるための署名運動が展開されています。今回のタイトルの「#すべての人に日本語を」はそのハッシュタグです。2019年1月27日現在で集まった署名は約7,500とのことで、日本語教育関係者の一人としてこの状況にはとても考えさせられるものがありました。
それは、自分が今まで日本語教育の仕事をする上で意識していたのは、日本語学習者や日本語教育関係者だけだったんじゃないだろうか。でも本当に重要なのは、日本語教育に関わっていない人たちに対してその必要性や楽しさを伝えることなんじゃないだろうか、ということ。そして、異なる背景を持つ人々と私たちが共に日本で生きようとしている時代において、このテーマはこれから日本の日本語教育が超えていかなければならない問いなんじゃないかと思いました。

僕が今まで暮らしてきたトルコ、ドイツ、オーストラリアには国外から多くの外国人を迎え入れている歴史があります。僕はこれらの国での暮らしから、言語や背景が異なる人々が共生することの楽しさと難しさを色々なシーンで体験してきました。これはすごく幸運なことだと思っています。そうした小さなエピソード達をこのブログで紹介することで、日本語教育や異文化での暮らしについて知ってもらえたらと思っています。

つづく

※署名運動については、こちらに詳しく書かれています。
https://sites.google.com/view/japanese-for-all/
オンラインで署名ができます。ぜひ読んでもらえたら嬉しいです。そしてもし共感してもらえるようでしたら、ぜひ署名にご協力ください。

※写真はベルリンで見つけたストリートアート
旧東独エリアのとあるマンションの壁一面に描かれたていたのは、色々な人種が混ざりあった一人の顔でした。