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僕らがオーストラリアに来たかった理由

オーストラリアに来たのは2018年9月。前回も書いたが国際交流基金という機関からの派遣で来ている。
この仕事は基本的に2~3年の契約になっており、公募時に空きポストが公開され、応募の際に一応の赴任先の希望が書けることになっている。もちろんその希望がいつも通るわけではないけれども、運が良いことに今回はオーストラリア赴任を希望して、それが叶った形になった。 

移民の国

 オーストラリアを希望した理由はいくつかあったけれど、人口の約25%、つまり4人に1名が国外にルーツを持つと言われているように、オーストラリアが「移民の国」であること、そして「異文化教育の国」という印象を持っていたから。そこでの暮らしと教育に身を置きたかったのが一番の理由だった。
そして、そこにはやはりドイツでの暮らしが影響している。
複文化複言語のドイツ社会の中で「言語、習慣、考え方が異なる人たちが、同じ社会で暮らすための仕組みや工夫」が色々なシーンで感じられたこと(これについては今後ちょっとずつ書こうと思う)、そして、それらが今後の日本の社会にとって魅力的で必要なものに感じられたからだった。(ちなみにドイツは人口の約20%、5人に1人が国外にルーツを持つと言われている)

とある大学の日本研究発表会にて

そんなオーストラリア赴任から間もないある日、お仕事でシドニーのとある大学の日本研究発表会に聴講者として参加する機会があった。日本語の学生さんたちが日頃の研究内容をグループで発表するという会であった。
かなり規模の大きな催しで、大学構内のホールを会場に100名以上の聴衆が集まっていた。他大学の日本語教育関係者や日系企業の方々も参加されていた。前方にある映画館のような大スクリーンの前にはウェブカメラが置かれてあり、日本のいくつかの大学とリアルタイムでやり取りができるとのことだった。
当の発表者の方たちは正装で緊張の面持ちだった。

あるグループの研究テーマに「オーストラリア日系移民(日本からオーストラリアへ移住してきた人々)の歴史」というものがあった。
どの発表も色々な切り口で興味深かったけれど、ドイツで移民と言語教育との切り離せない関係を垣間見た自分にとって強く関心を引くテーマだった。また、かつて日本からオーストラリアにやってきた人々を知ることは、今ここにいる自分の一部を知ることになる気がして前のめりで聞いていた。

 内容は、戦前から現代までの日系移民の社会的立場の変化や心情を紹介するものであった。やはり移民というのは、常に出身国や移住先の情勢、経済的、政治的な事情の中で揺られてきたんだなと、やはり今後の日本の状況を思いながら聞いていた。さらには発表では、真珠採掘のために広島から来た集団移民の話があった。偶然ではあるが、僕の父方の祖父は広島から職を求めて北海道に移住をしており、僕自身は「広島系3世の北海道人」ということになる。以前から父に色々な話を聞いていたので、親近感が湧いていた。

発表後に質問の時間があり、手を挙げてみた。移民について深く調べてまとめた方たちに、ぜひ聞いてみたいことがあった。

移民を受け入れるために何が必要か

自分「これから日本も移民を受け入れようとしていますが、移民と住民が一緒に暮らすために大事なことは何だと思われますか。」
学生さん「他人の考えや違いを認め合うこと、だと思います。」
自分「そのためには、どのようなことが必要だと思われますか。」
学生さん「それは教育だと思います。」

寛容性や異文化理解の姿勢は教育によって作られる。
異なる価値観を認める気持ちは自然にできあがるものじゃなく意識的に実らせていくものなんだなあと、僕自身がそう理解できたのは恥ずかしながらここ数年のことだった。学生さんたちの正確な年齢や背景はわからないが、こういう考え方が準備された原稿ではなく、その場のやり取りの中で、自分の言葉としてすぐに出てきたことに驚いた。
これは全体のほんの一部の、出来すぎたぐらいの好例に過ぎないかもしれない。それでも、オーストラリアの異文化教育の「産物」に、思いがけずいきなり出会って、まるでドーンと胸を突かれたような瞬間だった。  

ここ最近さらに涙腺が緩くなったもので、この衝撃に耐えられず気づいたら涙が止まらなくなっていた。特に感動的な場面ではないし、何よりも質問した当人がいきなり泣いているのは相当に意味が不明なので、周りの人にバレてはいけないと汗を拭うかのようにハンカチを顔に当てながら、あくびでもしたような顔で必死で心拍数を整えて平然を装っていた。

受け入れる僕らがすべきことは

州連邦制のオーストラリアでは各州の権限が強く、教育制度やカリキュラムは州によって異なる。そんな中で全国統一の教育カリキュラムを目指し「オーストラリアン カリキュラム(Australian Curriculum)」というものが2008年に発表され施行されている。このカリキュラムには、育成すべき能力の柱として「異文化理解能力の育成」が掲げられている。また、オーストラリア先住民やアジアへの理解についても主要な学習項目として明記されている。(ちなみにAustralian Curriculumにはしっかりと「日本語」もある)

オーストラリアはかつて白豪主義といわれる有色人種を排除する政策を採っていたが、1970年代に経済的な理由(その1つは労働力不足の補填)から、多くの移民や難民を受け入れ、それまでとは対局の多文化主義に変容してきた経緯がある。そして、その過程で重要な役割を果たしてきたものに、移民の子どもたちへの英語教育、移民の母語教育の支援、そして偏見や人種差別を克服するための教育がある。

2019年現在の日本には約127万人の外国人労働者、そして日本語教育が必要な児童が4万人以上いると言われている。そして前回も書いたとおり、2019年4月からの「出入国管理法 改定」によって今後30万人以上の外国人が日本で生活すると想定されている。ここ最近の報道などで主に議論されているのは、「来たる人々の日本語能力をどうするか」がほとんどを占める印象。

でもしかし、外国人の日本語能力と同じくらい、いやそれ以上に肝心なのは、平和で分断のない社会を作る上で必要なのは、「受け入れる僕らの姿勢と仕組み」なんじゃないだろうか。これまで国外からたくさんの人を呼び入れてきたオーストラリアやドイツがそうしてきたように。
表面的ではあるかもしれないが、オーストラリアの例からも日本が学べることはとても多いと思う。

異質なものへの理解や寛容性が教育の中で育まれるものだとすれば、今回の発表に出会えたことは、時間は掛かるだろうけれど僕らにもそれが可能なんだという、そういう勇気をもらうことができたと思っている。
そして、意味不明な号泣の原因はそれだったとしよう。

ここでの僕の仕事に1つに、このAustralian Curriculumと日本語教育とを結びつけることがある。どこかで実践例を紹介したいと思う。

つづく

※写真はシドニーの街で見つけた、とあるお店の内装。we are social.
(昼間に窓越しに撮影したためか光の反射で不思議なタッチに仕上がった)

参考サイト
①「日本に127万人 データでみる外国人労働者 」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37478470X01C18A1000000/

②「日本語指導が必要な子ども」4万人以上に―指導体制追い付かず、1万人の子どもが無支援状態」
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaiki/20170614-00072060/