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なぜ、本を読む暇もない学生が大量に生み出されてしまったのか?

ベースボールマガジン社の雑誌が相次いで休刊

 四十にして惑う編集者のアワジマ(ン)です。残暑厳しい昼下がり、「これから出版業界はどうなるのか?」「編集者はどう生きるべきか?」「紙媒体にどんな未来があるのか?」などと自問自答してみましたが、ついつい眠気が襲って来るので、一時代を築いた名編集者で作家の佐山一郎氏に聞いてみることにしました。で、このプチ好評シリーズも第3回目(1回目2回目)に。
 
──「雑誌に未来はあるか?」の問答もいよいよ3回目となりました。この間、というよりは7月発売号が最後になる休刊が相次ぎました。スポーツ専門誌の『ボクシングマガジン』、『近代柔道』、『ソフトボールマガジン』、『コーチングクリニック』の4誌で、すべてベースボールマガジン社です。
 
 長い間連載を続けていた『サッカーマガジン』が2013年10月に終わりました。ところが単なる休刊ではなく、代わりに宮本恒靖元代表キャプテンを編集長に担ぎ上げて『ZONE』になった。あの時は呆れてものも言えませんでしたね。餅は餅屋。彼が雑誌大好き人間と聞いたこともなかったですから。JFA の会長になる上での良い体験をしたのかもしれないけど、どこまで情熱があったのか、あるいはただ単に利用されただけの話なのか。 でもベースボールマガジン社には、野球、水泳、ボウリング、陸上競技という風にまだ10種目、11誌が残っています。「紙々の黄昏」なんて言ってはいけません。
 
──それを言ってるのは佐山さんだけだともっぱらの噂です。
 
 新聞と雑誌で「紙々」。けっこう気に入ってます(笑)。そう言えば、同社の『テニスマガジン』も6月発売の8月号がラスト。でもオンライン化して続いていますね。『サッカーマガジン』も名前を元に戻してwebで延命中。しかしこのパターンってどうなのよ、と逆に聞きたくもなります。webに移行するならするで、紙時代のアーカイヴ・ボタンも作らないと勿体無いし、縦書きにこだわりを持つ出版人の誇りはどこに行ったのと言いたくなる。webはテレビと雑誌の中間物という認識でよいと思うけど、嫌な言い方をすると、放送人でも出版人でもない透明人間性を醸し出している。ついでにいうと、「トヨタイムズ」香川照之編集長の後任人事も気になる(笑)。
 
──トヨタイムズはわかりませんが、カマキリ先生の後任は哀川翔(カブトムシ)さんしかいないというのが昆虫界の声。ちなみに、WEBは紙と違って資源ゴミにならないので環境にはやさしいです。輸送代もかかりません。
 
 それを言っちゃあ、お仕舞いよ~、と言えるほどの住宅事情の改善があったとも思えませんしね。本棚買うと高いし、場所も取る。クルマの次に、新聞、その次に要らないものが雑誌という流れなんですかね。冬場はお互いが良い暖房装置になるのに、最近は恋人要らずの若い人も多いみたいだし。

アンディ・ウォーホルが予見した未来

──恋人が雑誌だといいんですけどね。昔のような原稿料は出さないでもよいという暗黙のルールも雑誌界隈で定着しました。
 
 私はそれを4分の1ルールと言ってます。ほぼ廃棄処分扱いだから、ライターを副業感覚で続ける人も多いのでは。83年頃の話ですが、『ブルータス』(当時・平凡出版/現・マガジンハウス)のフリーだった友人が「黄金のアフリカ」特集で出かける時に取材費をどれだけ持って行ったと思いますか。

巨額の取材費が投入されたという1983年のアフリカ特集号。

─さあ、見当もつきません。
 
 たしか1500万円だったかと。
 
──ごいごいっすー(©ダイアン)。いまの雑誌1冊分の製作費を超えていますね…。
 
 黄昏の反対語にあたる明け方の古い言い方は「かわたれ」で、「彼は誰」が語源。その彼は誰なの、ということで近々「紙々のかわたれ時」というタイトルでここに出てもらいましょう。
 
──よろしくお願いします。オーラを浴びたいです。
 
 オーラは枯渇しているので、一緒に風呂でも浴びてください。70超えしているけど結構いいカラダしてます(笑)。
  資源ゴミということで言うと、本や雑誌の雪崩れで孤独死しかけた知り合いが少し前に鬼籍に入られた。ここに至ると、もはや少部数前提の高級・高額化致し方なしの気分なんだけど、沢山刷ると価格を下げられる業界構造も抜き難くありますね。そこが経営面での魔力なのかな。でも最近は3,000円超えの単行本を書評から外す動きもあって何かと難しい。雑誌1,000円、単行本3,000円の壁みたいなものがありそう。
 
──そうですね。戦争の紙代への影響も非常に大きいですね。今年に入って製紙会社各社が15%以上の値上げに踏み切り、さらに今夏も大手製紙会社が続々15%以上の値上げを発表しています。
 
 衝撃! 定期刊行物の頸木を逃れて、ムックで凌いで行こうとするパターンをアワジマンはサッカー専門誌の編集長で体験済みだと思うのだけど、隔月刊→季刊→ムックとなって行く過程でどんなことを考えました?
 
──『サッカー批評』はすでにムックでした。私が編集長になったのが2006年ですが、日本代表人気は下落していて売れない号が何号か続いたら休刊になるかもという緊張感は常にありましたね。必死でした。
 
 メジャー系はメジャー系で、今のところは、dマガジン経由のオンライン版との足し算で収支合わせをしているというのが裏事情なんじゃないですか。ヒット数の解釈次第では勝ち組気分の編集部もあるようだけど。
 それはそうと、初回と2回目の最新の💗(スキの)数をここで発表してくれますか。
 
──い、いきなりなんですね。
 
 ……なんですか、その目は。懐かしい『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ)の「みの溜め」を思い出す(笑)。早くファイナル・アンサーを言ってちょうだい。
 
──では、発表します。スキの数は初回が「24」、2回目が「15」でございます。
 
 おおーっ、素晴らしい! とりわけ2回目の人たちには残暑見舞いを出したかった、と激しい動揺を隠しまくるわしじゃい!(笑)
 
──「千スキ! の道も一スキ ! から」です。
 
 それはもう悪性マゾになれということでもあるね。アンディ・ウォーホルが68年に言った「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」の実現とその「15スキ!」のあいだには深くて暗い河がありそう。

東大生の家庭は裕福という現実

 ──「15スキ!で誰でも有名人になれる時代」にはちょっと無理がありますね。でも、この際それでもいいような。
 
「紙々のかわたれ時」を生きた60代としてはやはり SNS に特有な粗製濫造が気になる。要するに競争率ゼロの悪平等散乱システム。プロの校正・校閲者との親和性があるはずもなく、文章のほぼ全てがSNSの文章コードに縛られている。固有の文体、修辞はどこに霧散したのかなんてことに戸惑いつつ、混乱のうちに自分が朽ち果てて行く予感に襲われています。どーすりゃいいんだ、タコのフンドシ、違った、アワジマン?
 
──昔、佐山さんは私に、たった1人でも世界は変えられるということをみんな信じていない、といったようなことをおっしゃってとても勇気づけられたことを今思い出しました。その域内で抗うだけじゃないでしょうか。ちなみにタコは脳が3つあってマルチタスクが得意らしいです。羨ましい。
 
 へえ。で、今回はもう、ここまでのツカミ、前説の類で終えてしまってもよいのだけど、ぼちぼち本題に入らないと。
<戦後文学>を作ったといわれる文芸編集者だった坂本龍一パパ、一亀(ワンカメ)氏の評伝を読んでいて思い出したのは、フランスの社会学者、ピエール・ブルデューの唱えた<文化資本>(wikipedia)という概念なんです。東大入学者の多くが家庭環境が裕福な家で占められている事実もついでに思い出しました。振り返ってみると、同業者の親たちは、結構な学歴の人が多かった。学校の先生の子が多くてびっくりしたこともあった。二世三世議員が多くを占める自民党腐朽政治なんてのはその際たるものでしょうね。アワジマンの亡くなった父親は、文化的教養に恵まれていましたか。
 
──すごく物知りで頭は良かったですね。ただ、貧乏だったので高校には行けなかったようです。
 
 言いたいのは、学歴の話じゃなくて環境と相続です。新聞をどの家もが定期購読していて、平凡社の百科事典や岩波書店の夏目漱石全集もできれば揃えたいという修養的な空気がまだ自分の若い頃の家庭にはあった。箸の上げ下ろしで育ちが分かるから、振る舞い方には気をつけなさいみたいなプレッシャーです。
 
──耳が痛いです。
 
 それをしろと復古的に言っているのではなく、ヨーロッパの大学生は文化資本の多寡が自分たちの今日に直結しているのを日本の学生以上に知っているということです。学生ローンで首を絞められている構造的な隘路に怒りを覚えることのない日本の学生とは少し違うんです。授業料無料なんて国はいくらでもあります。フランスが3年前ぐらいから年30~40万円ぐらいに突然大きく上がったという話を聞いたことがあります。イタリア人の友人は今もタダで当たり前という感覚です。米英の猿真似でここまできた結果が本を読む暇もない学生の大量発生という理解なんです。

年寄りはSNSで憎悪をたぎらせ、若者は逆にどんどん優しくなっていく

──毎日新聞の記事(「本との接点を」 紀伊国屋書店が挑む店舗倍増計画 狙いと勝算)によると学生の2人に1人は読書をしないという調査結果もあるようです。文化資本という概念で納得させるしかないやるせなさがありますね。日本の若い世代は諦めと優しさで凌いでいる印象です。
 
 おっしゃる通り。年寄りはSNSで憎悪をたぎらせ、若者は逆にどんどん優しくなっていく。そして40を過ぎてついに限界に達し発砲もする。
<縮小再生産>という言葉がありますよね。過大評価をされた人物や芸術が無競争・無批評的に認められることでの連鎖的再生産をこの頃強く感じます。今が<愉快な袋小路>ならそれでまあよいのだけど、狭くて浅い印象のテクストや作品がやたらと多い。しかし困ったことに時間はこれから先も1日24時間しかない。書きたい発信型の人は増えても、読みたくてしょうがない、聴きたくてしょうがない人たちは減る一方。ユーモアは元よりふくよかさや豊潤が文化・芸術シーンから消えて久しい印象です。
 
──何か処方箋はありますか。
 
 文化資本なんかぶっ飛ばせ! の気概が舞い降りてくるといいですね。不易流行の存在であるビートルズの初期アルバムなんか聴くと元気が出るかもしれない。で、じっさい自分自身もそうすることがあります。

伝統のなかに新しさも取り入れた4枚目のアルバム「ビートルズ・フォー・セール」

──マージーサイドのリヴァプール時代!
 
 上層中流出身だったローリング・ストーンズのミック・ジャガーとは違って、ジョージ・ハリスンの子供の頃なんかは長屋住まいです。肉屋さんの手伝いなんかしてた。ポールも助産婦をしてた母親が亡くなって男手ひとつで大きくなった。父親と似た服装をするしかなかった彼らの下積み時代に共感を覚えながら元気出すしかないですね。煤煙の汚れで街は真っ黒でとにかく暗かったらしい。
 あとは、別にファンでもないけど、というか、昔、新幹線のグリーン車で酔っぱらってる状態を目撃して困ったことのある(笑)、大江健三郎さんの1994年ノーベル文学賞受賞記念講演「あいまいな(アムビギュアス)日本の私」も元気出る系かもしれない。その中の好きな箇所を読み上げて、第3回目を終えたいと思います。


<……日本近代の文学において、最も自覚的で、かつ誠実だった「戦後文学者」、つまりあの大戦直後の、破壊に傷つきつつも、新生への希求を抱いて現れた作家たちの努力は、西欧先進国のみならず、アフリカ、ラテン・アメリカとの深い溝を埋め、アジアにおいて日本の軍隊が犯した非人間的な行為を痛苦と共に償い、その上での和解を、心貧しくもとめることでした。かれらの記憶されるべき表現の姿勢の、最後尾につらなることを、私は志願し続けてきたのです>
 

大江健三郎著『あいまいな日本の私』(岩波書店)

 不肖アワジマ、一読して理解できませんでしたが、二度目でグッと込み上げてくるものがありました。坂本一亀氏の評伝(『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』田邊園子著、河出書房新社刊)を読んだあとだからでしょうか。あるいは戦後すぐの生まれで昨年他界した父の背中を思い出したからかもしれません。
 困難な時代を切り拓いた人たちの生き様には胸が熱くなります。やはり出版界には語り継いでいくべき歴史がまだまだあります。戦後77年も一瞬の夢。泣き言なんか言ってる暇はなさそうです。

佐山一郎(さやま・いちろう)
作家・編集者。1953 年 東京生まれ。成蹊大学文学部文化学科卒業。『スタジオボイス』編集長を経てフリーに。2014年よりサッカー本大賞選選考委員。著書に『東京ファッション・ビート』(新潮文庫)『「私立」の仕事』(筑摩書房)、『闘技場の人』(河出書房新社)、『雑誌的人間』(リトルモア)、『VANから遠く離れて──評伝石津謙介』(岩波書店)、『夢想するサッカー狂の書斎 ぼくの採点表から』(カンゼン)、『日本サッカー辛航紀 ──愛と憎しみの100年史──』(光文社新書)など。

文/アワジマ(ン)
出版社編集者。淡路島生まれ。陸(おか)サーファー歴22年のベテラン。

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