見出し画像

さいきん読んだ本 酒井順子「ユーミンの罪」

酒井順子「ユーミンの罪」
講談社現代新書
2013年

【読書感想】

かつて日本にはニューミュージックという音楽ジャンルがありました。
90年代くらいまででしょうか?
今このジャンルの名前を聞きませんが、そのエッセンスはJ-POPSに消化吸収されたのか。で、ニューミュージックの大御所、トップに君臨していたのがユーミンこと松任谷由実さんでした。
過去形で言っていいのか迷うけど、むかしユーミンさんはとても面白い歌をたくさん書いていた。
(今の歌も面白いと思う人がいたらごめんなさい、今も面白い曲ありますよね、「深海の街」とか。)
酒井順子氏の著書「ユーミンの罪」は、デビューアルバム「ひこうき雲」(1973)から「DAWN PURPLE」(1991)までをフューチャーしている。


「新しいオンガク、きたよー!」

酒井氏によると、ユーミンという歌手の特性は、「『瞬間』を歌にする」(p.12)だそう。
それは「ストーリーやイデオロギーや感情そのものを歌にしていくのではなく、感覚であれ、具体的な事物であれ、一瞬『あ』と思ったこと」を歌にする。一瞬という「『点』だけを示す」(p.13)という方法。
瞬間を切り取るという手法が、ユーミンがそこにカテゴライズされていた音楽ジャンル「ニューミュージック」の「ニュー」たる所以ではなかったのか、とも酒井氏は言う。
点だけをつなげていく手法は、言ってみれば綺麗なもの・心地いいものの寄せ集めな訳で、「人としての生き方がどうのこうの」とか「愛って何がどうだとか」より感覚的・表面的なヨロコビを上位に置く世界の捉え方(というか、世の中への進み方)は、「軽い物」「明るい物」が良いと言って日本がどんどん軽薄になっていく70年代から80年代の時代感覚に、ピッタリ合っている。それはユーミンが一世を風靡していた時代とぴったり重なっているから、やっぱりユーミンはニューミュージックの女王、となる訳だ。
そんなユーミンの歌の特性を、酒井氏は「助手席性」と喝破する。


「あなたのとなりに座らせて(ゾーッ)」

つき合う男の子は「車を持っている子にする」という選択肢が、女子にはある(すべての女子ではありません、おしゃれで魅力的な選ばれた女子に、です)。
しかしその彼女が「自分で運転する」というところまでの主体性は、ユーミンの時代にはなかったそうだ。自分で運転する女性が圧倒的に少なかったその頃、どんな男の助手席に座るかというのが「当時の女性(70年代)にとって、選択の幅の限界だった」(p.49)。
格差をつけたいのが人の性だから、車を持っている男子でも、国産の普及種じゃなくてプレミア車(「コバルトアワー」の白のベレGとか)を持っている子の方が、彼女たちにとってよりつき合いたい相手となる。
「助手席性」がうかがえる歌としちゃ「中央フリーウェイ」とか。それから車じゃないけど、サーフィンをしている男子の傍ら(=〝助手席〟ポジション)に女子がいる「真冬のサーファー」あたりである(で自分はサーフィンしない。まったく助手席だわな)。
ユーミンの歌に「助手席性」が顕著になるのに合わせ、「日本の若い女性たちが、『○○をしている男の彼女としての私』という自意識を持ち始めた」(p.65)そうで、要は「○○(有名)大学/○○社(有名企業)の男の子の彼女である私を私が好き!」「そうでなければそうなるように頑張る!」というメンタリティが日本を覆ったそうな。群集心理か?しゃーねーなー。


「痛いと耀けないでしょ!(正しさよりも美しさ、って開き直れたらそーとーな心ブス?)」

ユーミンが女性の主体的な生き方を歌っていそうでありながら、フェミニスト達のように痛くならないのは(フェミニストさん御免なさい。痛く「思われない」が正解ですね)、歌の主人公たちが男という太客に紐づいていたからだという分析を酒井氏はしている。
このあたりなんか現代でも通じる現象で、ジェンダーギャップ指数が156か国中120位(2021)・146か国中116位(2022)なんて低い日本で、夫婦別姓を主張する野党女性政治家の一生懸命をイッショウケンメイに変換して嗤っていたのが、結婚後夫の姓に改姓しても旧姓を使って政治活動している政権与党女性政治家で、その大笑いは相手議員をさぞや「痛い」と思ったからなのだろうけど、平野啓一郎さんが「何がおかしい?」と呟いていたように、痛く見えるのは後ろに太客(自分に大臣の椅子をくれた男上位社会)がいる国会界での価値基準。酒井氏は、ユーミン界を「何らかの集団に所属し、守られている女性が聴くべき歌」(p.270)と言っている。
話が逸れたけど、だからと言って酒井順子氏はユーミンを嫌っているのではない。むしろ学生時代は大ファンで、その魅力はなんといっても「都会のキラキラ感」をあんなにすてきに歌にできる歌手は、今まで他にいなかったからなのだ。
ユーミンは八王子出身で、東京23区から見りゃ遠い郊外。「キラキラ感」はユーミンが遠くから都会へよせる憧憬が歌に反映していて、だから歌だけじゃなく、ユーミンの人間性の本質も都会という太客に身をよせたい助手席オンナなのだけど、じゃあ遠くから見ている「都会」の正員になったら(ユーミンが結婚して松任谷に改姓したみたいな「移行」を経て)、都会の中でハンドル渡されるかもしれないってところまでは、普通の人は滅多に考えない。ユーミンは考えたんだろうけどね、人としての成長ではなくアーティストとして。
で、酒井氏もユーミンのように彼女の歌が描くキラキラに憧れて、キラキラの中に自分もいつかいるのだろうなんて夢見て、でもうまく行かなきゃユーミンの歌がこれまた「キラキラ」と苦い気持ちまで代弁してくれて(なんせ瞬間を美しく切り取るのがユーミンだから)、「助手席に座っているのって楽でいいよね~」という気持ちをキラキラな歌にするユーミンだけど、時にはその反対の男にしばられない女の歌までもキラキラ歌ってくれて(ぼくの所感だとユーミン界は「助手席オンナ」が基調だと思うけど)、酒井氏は「アタシ自身は、どっちがいいの?」なんて揺れて、気がついたら昔憧れていた自分とは全然ちがう所にいたのだそうだ。だから酒井氏は「負け犬の遠吠え」(2003年)を書くことになるのか。こんど読も。
酒井氏は、ユーミン界に感化されたおかげで自分のようになった女性はたくさんいたに違いないと述べる。だからタイトルが「ユーミンの罪」なのね。好きな人に対して「もう、罪なヒト♡」という感覚。だけじゃないけど。


「あれ?こんな処にいるはずじゃ……(俺もかよ)」

ぼくが何でこの本を読んだのかというと、ぼくも10代から20代前半にかけてユーミンを聴いていたのだ。昔のアルバムを、後追いで何枚も聴いた。
でも周りにユーミンファンはいなかった。その頃もユーミンと言えば世間的にはまだ超大物ミュージシャンで通っていたけど、彼女の曲がマッチしたのは、ぼくより年上世代に後退していた(マスコミが喧伝するピークが実体の栄枯衰退とテンポがずれるのは、よくある現象)。ぼくの同級生達には、人にハンドル渡しちゃう無責任なキラキラは、もう通用しなくなっていたのかもしれない。みんな真面目だったのだなあ(?)。
でも人にハンドル握ってもらって自分は助手席にいる、というか、そういう助手席が今の自分にないなら積極的に助手席を獲得しに行きたい、ハンドルよりも。と願うのは、実は日本人にはかなり汎用性の高い願望じゃないのか?なんてこの本を読みながら思ってしまった。ユーミンに影響された人が多くいたという意味じゃなく、日本人の体質として元から備わっている部分が受容体となって、ユーミン界を受け入れたのだろうなあ。
ずいぶん長い間、日本の政治、日本という国の有りようって、アメリカという太客にくっついていたんだし、だから原発村も思いやり予算もやめられないんだし、国民の多くは、そういう立場の政治家の方がその逆の政治家よりも「政治を任せられる!」とか思っているんでしょ。野党には任せられん!なんて簡単に喝破する国民も(そりゃ今の野党の酷さも大概だけど)、政治家とおんなじ感覚で太客にくっついていたい訳だ。でも、そもそも論で言うけど政治を「任せる」って何よ、なんで政治家=他人にハンドル渡した感覚で民主主義国家で暮らしていられるの?民主主義って他人にハンドル渡すんじゃないんだよなんて言っても、まあねえ江戸時代以前だって先祖代々ずーっとハンドル渡してきたんだし、と意味が分からない方は分からないままでも、この先の人生困らないと思います。だってその感覚ってこの国じゃ普遍なんだろうから。半径2メートル圏内でフツーなら、世界から埋没している真最中でも不自由も焦りもないだろうし。
こう偉そうなことをいうぼくだけど、実は高校生の時の将来の夢は「専業主夫」でした。塾の進路相談の時、先生にそう言ったもん。誰か素敵な男性に養ってもらいたいと夢見ていました(これは言わなかったけど)。で、その男性が塾の先生でも良かったりする(これはもっと言わなかったけど)。
わ~、十代の夢じゃないよ。ぼくってば相当ハンドル渡したがってるじゃん。
だからユーミンとマッチしてたのね。
酒井順子氏がこの本で筆を置く「DAWN PURPLE」辺りから、ぼくが「う~ん?微妙」と思う曲の多くなったユーミン(このアルバムの「インカの花嫁」なんて要らんじゃろ)、その後離れることになるけど、自立って大事だなあと思うまでずいぶん時間がかかった。もう一度思っておくか、自立大事。おいおい。

「ユーミンと永遠」

話は変わるけどユーミンの歌には「永遠」がよく出て来る。歌詞でもコンセプトでも。酒井氏の分析を読むまで気づかなかったけど。
ユーミンって時代を超えて永遠の存在になりたいらしい。
なれるんじゃないのかな、この国の中なら。だってみんな貴女の歌みたいに、どっかの太い客に所属して自分の主体性渡したいんだから。なんてイジワル言っちゃった。
ほんとうのところ、ユーミンの芸術は時代を超えられるのかって興味がある。
発表された時は拍手喝采で迎えられたけど100年後には見向きもされない芸術なんで山ほどあるし、逆に発表当時は日の目を見なかったのに作者の死後ブレイクしちゃう芸術もある。発表当時から作者の死後までずっと名作であり続ける物もある。
去年(2022)はユーミンのデビュー50周年で、テレビによく出演していた。どの番組の中でもユーミンは随分と功績を称えられていた。でも昔の功績ばっかりだった。
その番組にいてユーミンはどう感じたのだろう?
「今だって良い曲作ろうって頑張ってんだよ!」「今のアタシ見ろよ!」とかやさぐれないのだろうか。
ある番組で、海外で人気のあるユーミンの曲のランキングを発表していたけれど、トップ10内中、ほとんどが70年代の曲だった。確かに彼女の曲で、ビビッとくる「良さ!」で言ったらあの時代だよなあ。
今のユーミンをTVで見て「昔は才能あったのになあ」「才能なくなった人がチヤホヤされているのって痛い」と思った人達もいたと思う。というか僕、チラッと思ったもん。
で、70年代は、ユーミンが露骨に輸入業者だった頃で「洋楽丸パクリじゃん」とビックリする曲もあった。そりゃ本家の外国人には耳なじみがあるメロディーやコード進行だから、聴きやすいだろうよね。
変なまとめだけど、鋳型があっちにあるシッカリしたものだから、やっぱり時代を超えて残るんじゃない?それなら今現在のTVの中のビビッと来づらくなったユーミンの姿なんて、死後数十年や100年たった頃には消し飛んでいる。残るのは(主に)若い頃の才能あった時代の曲で、未来の人には死んだ人間の若さも老いも関係ないから、「若い頃の」なんて但し書きも剥がれて、純粋に「才能ある曲」だけが残る訳だ。
繰り返し言いますけど、今のユーミンもいい曲ありますよ。

「外国人が今聞いているユーミン名曲トップ10」
第1位:ひこうき曇(1973年)
第2位:やさしさに包まれたなら(1974年)
第3位:ルージュの伝言(1975年)
第4位:何もきかないで(1975年)
第5位:中央フリーウェイ(1976年)
第6位:春よ、来い(1994年)
第7位:Down Town Boy(1984年)
第8位:あの日に帰りたい(1975年)
第9位:Hello,my friend(1994年)
第10位:12月の雨(1974年)

【世界一受けたい授業】 2022年12月17日放送


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?