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ロマンポルノ無能助監督日記・第20回[神代辰巳監督『少女娼婦けものみち』で内田裕也の”気合入ったぁ”]

篠山紀信は、僕らの世代からすると、ファーストアイドル南沙織とチェッ、結婚しやがったカメラマンであるが、金子個人史的には、平成『ガメラ』シリーズの音楽担当・大谷幸さんが南沙織の妹さんと夫婦だったので、お互い下北沢に住んでいた頃はちょっとだけお付き合いがあり、お付き合いと言っても会っていたわけではないが、家族同士の噂を聞いて、息子が生意気だとか、あの爆発ヘアは沙織さんが毎日セットしてるんだってさ、というのを聞いたくらいで・・・

その篠山紀信が始めた「激写」というのは、歴史的に言うと、1975年の山口百恵のグラビアを、雑誌GOROの創刊一周年で、そう名付けたのが最初だそうである。
それから、GOROでは、タレントばかりでなく、高校生や大学生らしい素人美少女のヌードグラビアを掲載して、僕らは「こんなウブで可愛い子が篠山紀信の前では脱ぐのかー、胸でかいコ多いなー」と、ショックを感じていた。

1979年には、「135人の女ともだち」という2800円もする写真集が出版され(僕は古本屋で買ったのをまだ持っているが)、これはGOROの「激写」に掲載された、タレントと素人の混合ヌードと非ヌード計135人ぶんを混ぜ合わせたのをまとめた、分厚い写真集である。

その中の一人である斉藤初枝というコが、小麦色の肌にくっきり水着の跡を白く浮き出させていたが、吉村彩子という名になって、神代辰巳監督『少女娼婦けものみち』の主演となって、我々の前に登場して来た。

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「135人の女ともだち」における斉藤初枝の資料によると、「川崎市出身・S.34/12/8生、AB型 趣味=スキー・旅行・読書 家族=父母姉 好きな食べ物=チョコレート 服=Tシャツ ジョギングパンツ 店=八王子ステーキハウスうがい亭・六本木エスト 音楽=マイケル・フランクス ジョージ・ベンソン 好きな男性=冷くって、しかもやさしいところのある人」とある。
巻末には、ファンレター送り先がキティレコードとなっている。

この本の出版半年後にデビューした吉村彩子がキティ所属だったかは覚えてないが、多分そうだったろう。現在ネットでは『けものみち』以外の情報となると、TVの「四季・奈津子」のレギュラーや時代劇ゲスト、「傷だらけの天使」のゲストに一回出ている写真はあったが、それ以外は、一切見つからない。

エクボが高木澪みたいに可愛く出る、感じのいい美人で、頭も良さそうで素直で頑張り屋、芝居カンも良く、「ともだち」的な感じだったな・・笑上戸だったことを思い出す。
・・・なにか、意外な展開がありそうなフラグになってしまうが、特に何もない。
楽しい思い出ばかりだ。

神代組と言えば、昨年のテレビではいろいろなプレッシャー多く、シンクロカチンコも入らず、散々であったが、映画となると監督の雰囲気もガラリと変わり、組全体にリラックスしたムードが漂っている。
プロの仲間同士で、“文化祭に向けて”楽しんで作っている、という感じの現場だ。
つまり、仕事や商売でやってる感じがしない、という意味だ。ちょっと極端な言い方かも知れないが、思い返すと、そんな感覚なのだ。
三浦朗プロデューサーも、常ににこやかな表情であった。

映画は80/2/8クランクイン、2/21アップの11日間で撮られた。
チーフは伊藤秀裕さんで金子セカンド、カメラは伝説の名手・姫田真佐久さん。
『戦争と人間』から、ずっと「まさひさ」と呼んでいたが、この時「しんさく」だと教わった。白鳥あかねさんスクリプターで、浜辺の地元の母娘連れでエキストラ出演している。
2/12~2/21は、泊まりがけの千葉ロケであったから、毎日のように飲みがあって、撮影自体も、まあまあラクであった。最後の海のシーンを除いては・・・

タイトルの「少女娼婦」というのは全く違い、娼婦はどこにも出てこない。こういうことは、日活のタイトルには良くある。
これは青春映画・・「性春」映画のカテゴリーであろう。

主人公のサキは16歳の設定で、22歳の現役大学生の吉村彩子にとってはちょっと無理がある気がするが、制服着て自転車を漕げば、「日本映画の女子高生」になりきれる。

ファーストシーンは、カモメの声が聞こえる暗い部屋で、制服の上に緑のジャージを着たサキが、本を読みながらコケシを使ってオナニーしているところだが、すぐに自転車を漕いでいるシーンに続き(ジャージは繋がっているから、オナニーの直後だろう)そのサキを、やはり自転車で無愛想に先導している外男も、同級生だ。
「無双紋」という芸名で、早稲田の小劇場に出ていたのを、脚本の岸田理生さんが推薦したのではないか、確認してないが。本名は忘れてしまった。ゴメン。

自転車の二人は、千葉・勝浦のトンネルを抜けて、片貝の海へ行き、砂にまみれて無理矢理、漁師小屋でセックスするのだが、その前に、上空を飛ぶカモメを、外男が石を投げて落とすシーンがある。
これは、銃で撃ち落としたカットを使っている。
このカモメが落とされるカットは、何度も出て来て、波間に浮かぶ死体も含めて心象風景として使われる。
実は、カモメでは無く、白サギであるが。
カモメの群れの中に、白サギを飛ばして、それを望遠カメラで追って、銃で撃ち落とすところから使っているから、カモメに見える。

なんとなく付き合いかけていて好きかも知れない外男でバージンを捨てようという気持ちを固めてオナニーしてジャージで出て来たサキだが、ぐだぐだ言ってはっきりしない外男が石投げてカモメを殺すのを見て、ちょっと冷めてしまったが、荒れ果てた漁師小屋に連れ込まれて、「つながりたい」と言われると「本当につながれる?」と言って興奮し始め、息荒くなり、自ら進んで全裸にはなったが、行為の途中で痛くなってイヤだと言っても無理矢理してくるから、終わってから強姦されたような気になってしまい、これじゃ「つがっただけじゃない」と失望したサキは、波打ち際の泥水に仰向けになり、降り出した雨の中、むくれて一人で自転車を引いて帰ってゆく。

ただ、こういう少女の揺れ動く心情の変化は、芝居を分かりやすくカットを割って見せてゆくのでは無いから、きちんとは追いかけられない。
サキが、以前からこの外男となら「処女を捨ててもいいかな」と思っていて、この時まで「ヤる気が少しはあった」とは、到底思えない。逆になんでこんな男に着いて行くのか?という疑問を持って見てしまい、後から整理して考えると、ああ、こういうことだったのか、と思う流れである。

神代監督一流の、骨が溶けて軟体動物みたいになっている動きの芝居を、長いカットで望遠めで見せてゆくから、若い二人がくっついたり離れたりするのを、客観的に眺めているように思えて、その時の細かい心理状態などは、どうでもいいことに感じ、映像が面白く、”猥雑なものにも美しさってものがあるんだな”と堪能しながら、目が離せないことになってゆく。

少女の心情というのは二の次で、大事なのは、本人の意識とは関係無いように動くカラダと、それを捉えるカメラワークなのかな、と思う。
芝居をつけている時は、ニヤニヤしながら、時にはゲラゲラ笑ったりして、俳優を煽ってのせていき、操り人形のようにしてゆく。
砂浜で、でんぐり返しをしたり、その足を外男が取って、パンティの上から噛みついたりという、神代映画でしか見られない、奇妙な動きをつける。

テトラポットの群の中を、一目で“頭がおかしいルンペン”だと見える三谷昇が歩くワンシーンがあって、ATG映画でも見ているような感覚になる。

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『どですかでん』の三谷昇だ!と僕は興奮したが、物語的には何も絡まないが、この世界の雰囲気を出すのには一役買っている。
ひなびた港町のかったるい空気というものは、良く出ている。
ここに「♪泣け、泣けカラス、おいらのかわりに泣いてくれ」とフォークソングがかかると、もう、神代ワールドでしかない。

吉村彩子は、砂で頬が荒れて、顔が真っ赤になってしまった。

撮影後の宿泊先での飲み会に、僕も呼ばれたが、覚えているのは、神代さんが、吉村彩子に「郷ひろみと西城秀樹とでは、どっちが好きか」と聞いて、彼女が「絶対、ひろみー」と言っていたことくらいだ。

「なんでよー、秀樹の方が一所懸命な感じだろ」
「田舎くさいもん」
「秀樹の方が頑張り屋さんだろ、努力家だろ」
「おじさんぽいの、秀樹はー」
「そうかー、ひろみは女の子っぽいもんなハハハ」
「ひろみは色っぽいのよー」
「えー?、あれが色っぽいのかねー」
酔ったうえでの、監督と女優の会話である・・・監督は、「さいこ、さいこ」と呼んでいた。

雨の中、自転車を引いて歩いて帰るサキの後ろから、ロマンポルノは『桃尻娘』や『エロチックな関係』で印象的、久しぶりの内田裕也が運転するトラックが近づいてくる。

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助手席にはホステス風に厚化粧した遊子=水島美奈子が、アタル=裕也さんにベタベタ絡んでいる。カーラジオからは、小林旭の「自動車ショー歌」が流れている。
アタルは「俺は、食う、ヤル、仕事する、だけだ」と言いながら、遊子には飽きているふうで、サキを追い越しながら、それを横目で発見すると、しばらく走って、遊子に突然「降りろ」と言って、ドライブインに降す。ブンむくれる遊子。

アタルは前からサキの母親と付き合いがあるらしく、この母親を珠瑠美さんが演じるが、“男が変わる度に、屋台を新しくする”という説明がされる。屋台は5台くらい出てくる。

アタルは、サキの前にまわってトラックを止めると、「送ってやるから乗れよ」と言って、無理矢理、自転車をトラックの荷台に放り投げ、サキを助手席に乗せる。
子供の頃からサキを知ってるようで、「いい女になったじゃねえか」と思っていて、あからさまに口も手も出してくる。

「あらすじ」を読むと、「翌日、二人は関係を結ぶ」となっているが、記憶では、そのまま関係を結んだような・・・
濡れているサキに、アタルがホテルで服の上からシャワー浴びせるシーンがあったから、混乱しているのかな・・・

アタルは、セックスするのを「きめる」と言っていて、裕也さんも、荒々しいセックスの芝居をしようとしていた。
「おまえと決めたいんだ、おれは」
と、言ってセックスするシーンは、激しい体操のようでもある。
カットがかかると、「よっしゃあ、気合入ったあ!」と言って、両手でガッツポーズをとるのだった。

裕也さんは、常に「ジャンボ」と呼ばれる大柄な付き人を連れていて、付き人を連れているタレントは、この時が初めてだったので、「おい、ジャンボぉ」という言葉が耳に残っている。 
「おい、ジャンボぉ、タバコ」みたいな・・・

このアタルの方が、外男よりセックスが良かったので、サキは、アタルにのめり込む。
ただ、“より感じてゆく”という表現は、吉村彩子にはちょっと難しかったであろう、どのセックスシーンも、一所懸命やっているが、あまりエロスは感じられない。むしろ、健康的なスポーティな裸体が印象に残る。

日中、普通のホテルでアタルとサキがガンガンセックスしていると、5階くらいの部屋の窓の下の方へカットを割らずにカメラをズームしていき、外男が頭を抱えているという2シーンワンカットがある。

早朝、港の船の上で、次々出港してゆく船を背景に、オープンで、どこからも見えるのに、激しくセックスし続けるカットもある。
2月の朝の海だから、相当寒く、白い息が動きに応じて吐かれている。
よく、裸でいられた、というくらいで、終わったあと、「ぎゃー、さむいー!」と、叫んでいた彩子。

サキは、すぐ妊娠するが、最初が外男で、すぐにアタルと性交したので、どっちの子か分からないが、外男はクラスメートから金を集めて、中絶費用を、砂浜に穴を掘っているサキに渡し、土下座して「おろしてくれ」と言うが、サキは、その金を砂のなかにバラまいてしまう。

アタルの方は、自分の子でもなんでもいいから、「産めよ」と言う。
サキは、子供を産もうと考える。

遊子は、サキに対抗して、アタルとよりを戻そうと、アタルの家の2階に押しかけて、なんとか自分とヤらせようとして抱きつき甘え、嫌がるアタルを興奮させると、アタルは「俺がヤってんじゃねえ、俺のマラがヤってんだ」と言いながら、セックスを始める。

そこへサキがやって来て、遊子は、サキに行為を見せつけるが、サキは表情も変えず、行為中のアタルの足の裏を包丁で刺して「ぎゃっ!」と叫ばせ、その包丁を持ったまま一階の台所に降りて、包丁でキャベツを切り、そのキャベツに血がつく。

これを、ワンカットで撮ろうということで、姫田さんも楽しそうに張り切って、階段を降りてゆく手持ちの時なんかは、鼻歌を歌っているくらいだった。

以後、アタルは、片足を引きずる芝居になる。

外男は、自分のところに戻ってくれなければ「死ぬ」とサキに言うと、サキは「死ねば」と冷く突き放す。

そして、外男は、片貝の海に入水してゆく・・というシーンのために、助監督の僕も海に入らなければならなくなった。

撮影前に、日本潜水サービスというところに、ウエットスーツを借りに行っており、これを着て、自分も海に入るのである。
外男もアタルも、スーツを着て、その上から衣装を着ていた。

カメラは、岸から望遠で海を狙っており、サキは後ろ向きで海を見ながら座っているから、このカットでは表情は見えない。サキだけでなく、皆後ろ姿になる。
外男が、海に入ってゆき、波に巻き込まれて溺れそうになると、アタルが仕方なく助けに入ってゆく、という狙いのワンシーンワンカットである。
アルフォンソ・キュアロン『ROMA』が、まさかこのシーンを参考にしたとは思わないが、海に入ってゆく横移動を、縦から撮っているのがこのカットだ。

僕の仕事は、カメラが回される前に海に入り、外男が波に巻き込まれる辺りまで行って、望遠レンズのピントを自分に合わせるためにしばらく立っておいてからフレームを外れ、撮影中は俳優に何かあったら助けに行くという役目もあって、浮き輪を持って待機していなければならない。
「金子、行っていいよ」
と伊藤チーフから言われ、2月の海に入ってみて、驚いた。
超絶冷たい。ここに何分入ってなければならないのか・・・
一応、砂浜でリハーサルしているから、本番が始まったら1分くらいで終わるはずだが・・・

沖の方へずんずん歩いて行くと水の抵抗が大きくなり、波が高くなって来て、自分の腰の下から腹となり、胸へとなるあたりで、冷たさと恐怖心で、頭がツーンからボーっとなって来た。心臓の鼓動が早くなって、耳に響いてくる。
スーツ内に水が入って来て超絶冷たいが、暫くすると、自分の体温で緩和されてくるようだった。
高い波が上の方から迫ってくる。少しジャンプしないと、頭から波をかぶる。
「ああ、こういうことで死ねるんだな」と思えた。
入水自殺というものが、ピンと来てなかったが、これなら意外に簡単に死ねるわけだ、なるほど、と思っていると思考力は薄らいで恐怖も薄らぎ、少し気が遠くなる感じで、波が首まで来たところで振り返り、カメラに向かって両手を振った。

ちょっと行き過ぎたらしいので、少し戻れ、という合図。
波が引いてる時にピントを合わせているのか・・・後ろから圧力がかかって、岸側に少し戻され、“OKだから外れろ”という合図で、下手側へ移動する。
そして、本番!という声は小さく聞こえた。

無双紋=外男がどんどん沖に歩いてゆき、僕と同一線上まで来た時に、白い波に巻き込まれ、手足をバタバタさせて暴れる芝居をすると、裕也さん=アタルが立ち上がって海に入って助けにゆく。1分てことはないな、もっと経ってるだろ。
思っていたより、波が高くて危険に見える。
裕也さんが無双紋の体にたどり着いて、助ける動きをして、岸に戻ろうとしたところで、陸地からカット、カット!という声が聞こえたので、僕は、急いで二人のところへ水の中を走り、泳ぐ。
そして、到達すると、ぐったりしている裕也さんに「裕也さんッ!!」と叫んで浮き輪を渡し、「おお!金子ぉ!」と言われ、そのまま、陸地へ引っ張って行く。無双紋は勝手に戻れるだろう。
陸に近づくと、何人かのスタッフが集まってくる。
裕也さんは、息絶え絶えに「ありがとう、ありがとう、金子ありがとう」と呟いている。
「お前が来てくれなかったら、俺は溺れていた。死ぬとこだった」
とも言われた。
これ、書くと大袈裟だが、渦中にいると自然に聞こえるから不思議だ。
裕也さんも、命をかけて芝居してるんだ、と自分に言い聞かせるために「死ぬとこだった」とまで言っているんだろうが、この後、何度も裕也さんには御礼された。
1年後くらいに何かで会った時にも、
「あんとき、金子に助けられたんだよな、ありがとよ」
と言われた。
ロックンロール!!!

この後、ぐったりした外男と、どんな表情をしているか分からないサキを、アタルは、二人が初体験した漁師小屋に連れ込む。
それを、カメラは破れた天井の隙間から覗くように捉える。
そこで、アタルは、サキにフェラチオさせて、目をそむける外男の顔を自分に向けて、サキと自分がセックスしてゆくのを見せつける。
カメラは、少しづつズームしてゆき、サキの“感じる”顔のアップになってゆく。
というワンシーンをワンカットで撮る。

夕方、サキは一人で砂浜で花火を打ち上げる。
打ち上げると言っても、斜めに飛ばす感じである。

ラストカットは、サキが、屋台を引いている意思的な表情のアップだ。
子供を作って生きてゆこう、という決意が感じられる。

予告編は、どう繋いだのか覚えていない。
長いワンカットのNGを、どこか切って繋いだわけだが、ちゃんと紹介するようなアップとかが少ないので、苦労したと思う。
花火のカットは使った記憶がある。

吉村彩子は、その後は順調に売れるんじゃないかと思ったが・・・何があったのだろう、いつの間にか姿が見えなくなった。
無双紋の芝居は早稲田に見に行って、売れないだろうなと思ったな・・・また、ゴメン。

ダビングが終わった日、調布から渋谷へ行き、神代監督を中心に三浦朗プロデューサー、記録のあかねさん、吉村彩子らと飲み、僕だけ烏山の監督宅に泊まって、翌日は朝食を奥様に頂き、まだ寝ている監督に挨拶も出来ず、帰った。
その後、神代さんと話すことはあったろうか・・・無かったかも知れない・・・あったかな・・・

裕也さんが亡くなった時に、この映画も上映され、Amazonではレンタル配信で見られるが、カラダを張った三人の、その時のエネルギーと、それを見つめている神代さんの目は伝わってくる。
よっしゃあ、気合入った、みたいな・・・

...to be continued

(チャリンの方には「135人の女ともだち」から斉藤初枝のヌードでない写真を)


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