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ロマンポルノ無能助監督日記・第7回[ムッシュ田中登監督『人妻集団暴行致死事件』にサードで就く]

日活に入って、1ヶ月で白井伸明さん、根岸吉太郎さんと二人の監督を経験したわけだが、所内では、いろいろな監督を目にするようになって、顔と呼び名を覚えていった。

ガイコツのように痩せている神代辰巳(クマ)さんは、芝生にゴロ寝しながら、ニヤニヤとご機嫌で煙草をふかしていたり・・

長身の西村昭五郎(ニシ)さんは、鼻歌(多分シャンソン)を歌いながらブラブラと歩き、すれ違う旧知のスタッフに「残業だよ」と苦笑いし・・・

俳優のように立派な体格、オーラを発していて目立つ藤田敏八(パキ)さんのまわりには、常にファミリー的に助監督が取り巻いていて、同期の瀬川が、そのファミリーに加入してゆくことになるが、ちょっと部外者は入りにくい雰囲気だった。

僕は、パキさんの映画には一本も就く機会は無く、従って、日活時代は会話は無く、監督になってから、新宿のバーの常連として、隣でお喋りするようになって、最後までのお付き合いとなった。

ファミリーという意味では、僕は那須博之さんの“舎弟”であったわけだが、就いた本数の多い小原宏裕(こうゆう)監督の“弟子筋”というように見られていたと思う。会社から。脚本デビュー作の『聖子の太股』は小原監督作品だ。企画部が、監督に、「金子に書かせるけどいい?」と聞いたはずで、小原さんはOKを出している。

小原監督は、“ファンキーさん”という愛称で呼ばれていた。
この78年ゴールデンウイークに大ヒットした『桃尻娘』は、まだ見ていなかったが、吉永小百合からもそう呼ばれていたらしい。

いや、実際、この6年半後に僕が28歳で監督になった年に、ファンキーさんは48歳で女優の三好美智子さんと結婚(初婚)されて、披露宴パーティ用の“結婚ビデオ”を作ったが、披露宴には吉永さんから「ファンキーさん、おめでとう」という、暖かい声のメッセージが届いた。

「小百合ちゃんとは結婚するかも知れなかったんだ」と言っていたファンキーさん・・・

根岸さんは違うが、ロマンポルノ初期デビューの監督たちの助監督時代は、石原裕次郎・吉永小百合らが活躍した、日活青春&アクション映画全盛の頃であったろう。

こうして僕がロマンポルノの話をするように、先輩監督たちは、昔の青春、アクション映画の話を良くしていた。
「旭がさあ」とか「裕ちゃんが」とか・・・それこそ、大昔の話のように聞こえていたが、そこから、せいぜい12,3年前のことだったではないか。
今、40年以上前の話をしているって・・・

「よっ!、ファンキー、巨匠!」
と、声をかけたのは早撮りで有名な林功監督。とにかく早いことを信条としている人。
林さんは、ロマンポルノが始まる1年前の1970年に『ハレンチ学園』で監督デビューしているから、ファンキーさんの先輩にあたるが、『桃尻娘』の大ヒットを揶揄するように声をかけたのだ。
ファンキーさんは、
「先輩、かんにんしてよ〜、センパ〜イ」
と、林さんの体に自分の体を巻きつけて、甘える仕草をした。
林さんはフフフと笑っている。
「偉いよ、ファンキーは」

という場面が、小原宏裕監督、林功監督を始めて目撃した時だった。
監督同士の関係って、こういう感じなのか・・・?

制作棟で、田中登監督『人妻集団暴行致死事件』のスタッフ打ち合わせに向かう途中で見た光景だった。
田中組サードを任命された日だ。
田中登&小原宏裕は、小沼勝も含めて、助監督では同期だったとのことで、ほぼ同じ年であろう。
田中さんは、“ムッシュ”と呼ばれていた。この時、41歳だ。

今度もカメラマンは『情事の方程式』に続く森勝さんで、
「ムッシュはせっかちやからな、注意しろよ」
と言われた。

プロデューサーは、刑事役でも似合いそうな、渋く危ない雰囲気を漂わせる三浦朗さんで、打ち合わせでは、
「この作品は、キネマ旬報ベストワンを目指す。頼むぜ、ムッシュ」
と言っていた。
(三浦朗さんは、ロマンポルノ裁判で何度も警察で取り調べを受けている。田中さんも、であるが)
『人妻〜』は9位ではあったが、ベストテンには確かに入って、その後、名作と呼ばれた。日本アカデミー賞の最優秀監督賞も獲っている。

1978年は、1位に東陽一監督『サード』。5位には藤田敏八監督『帰らざる日々』が入った年だった。

実際に埼玉・川口付近で起きた人妻暴行致死事件を、長部日出雄が書いたレポートを元に、佐治乾さんと田中さんが、新たに現場で取材もして脚本にした、とのことで、分厚い台本に、事実経過が淡々と書かれてあって、何が面白いのか、良く分からない。

セカンドで就く三期先輩の児玉高志さんは、映画評論家・児玉数夫氏の息子、千葉大出身の学究肌。その児玉さんに聞くと、
「これは、面白いよ、ほんと、面白い」
と言っていたから、面白いんだろうな、と思ったような・・・

チーフは、後に三崎奈美主演『むちむちネオン街 私たべごろ』1本だけ監督してプロデューサーに転身した日芸出身の中川好久さんで、エネルギッシュに現場を仕切る人である。

田中監督は、自分一人でロケハンに行き、写真をスクラップブックにして、スタッフに説明した。
事件の起きた家にも行き、表周りはそこでロケして、中はセットを作る、と言う。

事件は・・・
20歳、20歳、19歳の3人の“不良”というほどでも無い地方の悪ガキが、女友達とセックスが出来なかった鬱憤ばらしで、トラックに積んでいた卵を箱ごと盗んで川から放り投げるが、それは川釣りの魚や鶏卵を売ったり、小舟で投網を見せたりして生計を立てている男・泰造のものだった。

一人の悪ガキの農家の親は、泰造のことを良く知っており、金を払ったこともあって、泰造は警察沙汰にはしないどころか、「俺も若い頃は、悪さをしたもんよ」と悪ガキを理解してしまい、貰った金で焼肉をご馳走したりして、3人を可愛がるようになる・・・
・・・という関係から始まる悲劇だ。

この泰造を、東映『仁義なき戦い』で大いに目立っていた実録ヤクザ俳優・室田日出男が演じることになった。これは凄いことだと思った。

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泰造には、少し頭の弱い妻・美枝子がいて、アイマイ宿で客を取ったりしていたのを引き取って、可愛がっていた。
美枝子役は、増村保造監督ATG作品『音楽』でヌード披露して注目され、東宝所属だった黒沢のり子。TVにも時々出ていた。ロマンポルノのローテーション女優とは、違うリアリティがあった。
このキャスティングだけでも、注目度は高かったろう。

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ガキのボス格は古尾谷雅人(当時は康雅)で、『女教師』で永島暎子をレイプした、売り出し中のオーラが漂う野生的な少年だ。とにかく背が高い。
田中監督が、オーディションで採用した。
礼儀正しく、愛嬌もあり、サードの僕にも正面から「力いっぱい、やらせて頂きます」と言って、台本のセリフを早口で練習していた。

人懐こい彼を、ずっと「古尾谷くん」と呼んでいたので、その後『ヒポクラテスたち』などから有名になり、その頃までは、たまに日活に顔を出して、会うと「古尾谷くん」と呼んだが、更に有名になってしまうと、遠くで会釈くらいになり・・・現場での再会は無いままだったな・・・死ぬなよな、ホント・・・

『情事の方程式』の0号試写の後、新宿グラバー亭で打ち上げがあり、撮影所に戻って泊り、翌5月27日朝6時出発で、千住大橋でのロケからスタートした。

悪ガキ3人が、日夏たより、岡麻美のミニスカ女子のお尻を追いかけて遊ぶ土手のシーンで、計5人出ているから、動きもすぐには決まらず、田中監督の細かい動きの指示を、中川チーフと児玉セカンドとで、彼らに繰り返し伝えていると、監督は「うるさい!」と一喝。
俳優への指示は、自分一人が言うからいいんだ、ということである。

中川さんは「田中さんは、助監督いらない人かも知れんな」と言った。

その後、ロケ隊は草加駅に行って、古尾谷くんがタクシーを自分で運転すると言い張って、発進した途端に電柱か何かにぶつかった。
大した事故では無かったが、今では考えられない。制作部が身代わりになって、110番して、我々は次の現場に向かった。

もう一人の20歳・酒井昭は工事現場ではいい加減に働き、靴工場で働く志方亜紀子(『サード』で森下愛子と同級の女子高生)と3回目のデートだから、同僚から「今日やらないと、ずっとやらせてもらえなくなるぞ」と言われて、やる気まんまんで「映画おごってやるよ」と公衆電話して、スーツ着て『ロッキー』を見た映画デートの帰り、日比谷公園でカップルのキスを目にして刺激を受け、暗いとは言え、下に列車が通っている陸橋の上で、抵抗する彼女のスカートをまくりあげ、パンティを脱がして挿入しようとして逃げられ、その場で転んで射精してしまう。

これは、いくら何でも誇張し過ぎではないか、と思った。
パンティの上から押し付けられた彼女が、少しうっとりする瞬間もあったりして、次の瞬間にはハッとなって、男をどつくが、今の客が見たら抵抗あるだろうし、その時も、それまでのリアルな世界観が台無しになってしまうような気がした。

だが、当時のロマンポルノを見に来た客からすると、ドキュメンタリーのように田舎の青年の生活をダラダラ見せられ続けてもツマラナイ、このくらいやらないと、何を見に来たのか分からない、ということになるのだろう。

もう一人の19歳、深見博は『嗚呼、花の応援団』でデビューしたチョビ髭のチビで農家の一人息子。部屋へ帰るとピンクレディーのレコードをかけて、「UFO!」と踊る。「やりたい」「やりたい」が口癖の童貞という設定。

助監督の仕事としては、最初にこのレコードを買いに行って、家でカセットにちゃっかり録音してから、撮影所に持って行った。

日夏たよりのアパート(セット)で、古尾谷は深見の目の前で日夏とセックスしたあと、「お前もやれ」と深見を日夏に乗せる。
「二人はいやよ」と抵抗する日夏だが、すぐに「そこじゃないべ」と言って、挿入されると良くなってしまい、それを古尾谷が上に乗って、深見の尻を押して童貞喪失・・・「あんたのなかに入ってるべ、あったかいべ」というセリフはリアルだ。

これも、最初は抵抗していた日夏が、挿入されると良くなってしまう、快感を感じる顔、というように撮っているから、許容出来ない観客はいるだろう。

田中さんは「たより、頼りにしてるよー」なんて言って、日夏は苦笑して応じていた。

マニュアルがあったわけではないが、挿入してしまうと、女はよくなる、という描写はロマンポルノには多い・・というか、「性の世界はそういうものなのだという世界観」であったか。
今見ると、作品の欠陥にも見えてしまうが、この映画ではこれが悲劇への伏線になっている。

3人が、酔った泰造を寝転がして、「やっちまおうか、あの母ちゃん」「ええ道具してるそうだべ、何しても怒らんそうじゃ」という犯罪への境界線を越える瞬間への、彼らのエクスキューズになっていたわけだ。

少し以前は農村だった場所が、急速に都市化してゆく風景の変化、というのは70年代〜80年代初頭の日本映画には執拗に登場する。

この映画でも、造成中の工事現場、ネギ畑、川辺の家をしっかり撮り、電車が通る時は、時刻表を調べて、必ず画面に入れるようにしている。

田中監督は、長野白馬出身で家は農家だったとのことで、ネギ畑の撮影には拘りがあった。ネギ畑に降水車で大雨を振らせて、その雨を浴びながら、レインコートで「ヨーイ、ハイッ!!」と叫んでいた姿が目に焼き付いている。快感を感じてるみたいに見えた。・・・映画撮っているぞという快感だ・・・今、よく分かる。

ある時、僕にメモをくれた監督は「今日の番手だから」と念を押した。シーンナンバーが書かれてあり、常に次のシーンの準備の忘れ物をしないように、という意味であろう。
中川さんと児玉さんは、それを見て「やさし〜い」と言って笑った。

前にも言ったように「金子は俺が選んだんだ」という話もしてくれた。
ネットで見つけた1996年の田中さんのインタビューでは「長谷川和彦くんは僕の『夜汽車の女』のチーフやってんだけど、相米(慎二) くん、それから金子修介も僕が助監督で入れたやつだからね、中原俊もそうだよ。あれも助監督で入れたんだけど、それから那須博之も。」
と、言っている。

また、「中原と那須は、僕は最後に二人に絞った。どうも那須は東京育ち、中原はラサールから東大なんだよね。助監督採るときに同じ系列のやつは採らない。田舎育ちの中原の方がシティ感覚派なんだよね。で、那須は東京育ちなのにね、汗飛ばしてウワーッてやる方なんだよね(笑)。これは違う タイプを採ろうと。」
さらに、「金子の時はね、とっちゃん坊やみたいな感じするんだよ、いつまで経っても。あ、 とっちゃん坊や的発想するやつもいていいなっていうね。」

とも言っている。
毎年、助監督採用の審査員をやられていた訳ではないだろうが、僕の時と、二期上の那須さんの時に、意見具申されたのは事実であろう。

田中さんは、大学の時に、黒澤明監督『用心棒』の現場にアルバイトで参加したそうだ。ガンガラで火を起こしてカメラを暖めるバイトしながら、カメラ横で黒澤組を観察したらしい。

黒澤組とまではいかないだろうが、田中組も、緊張感のある現場であった。
カメラマン助手の福沢幸雄さんは「年に一度は、田中組をやりたい」と言っていた。
ピントが合わずに、巻尺を持つ福沢さんの方から、何度もテイクをお願いする時があった。
日が暮れて行く途中で、全体が焦っていたが、監督は福沢さんの申し出通り、何度もテイクを重ね、オッケーが出たあと、「彼はいいカメラマンになるよ」と言った。

室田日出男さんも、映画に描かれているような、本当に優しい人で、若い役者の心を掴んでいたようだ。
基本的に、監督と主演が信頼しあっていると、現場で問題が起こることは無くスムーズに撮影は進行してゆく。

ピーカンの日に、3人の若者と、室田さんとで、川べりで相撲したりする移動撮影のシーンには、開放的で暖かいものを感じた。

しかし泰造の妻・美枝子は、「あの人たち怖い」と言って台所に隠れる。
酔って泰造と一緒に帰って来た3人に鳥粥を作って、台所からお盆に乗せて床にそっと押し出すと、受け取った彼らから「おいしいです」と言われ、それでも身をひそめつつ、少しだけ微笑みかけている美枝子の横顔にライトを当てたショットは、キマっていた。

泰造と美枝子の“布団シーン”は、丁寧に撮られた。
優しく愛撫し、キスし、セックスになると、美枝子の爪が泰造の背中を引っ掻き、痛がる泰造。そのアップに汗を足して・・・

終わっても、汗だくでハーハー言っている美枝子の胸に耳をあてた泰造は「すごいのぉ、破裂しそうに動いちょる。お前、よっぽど好きなんじゃのぉ」と言うが、これは、後から彼女の心臓が悪い、ということが分かる伏線なのだ。

男側からの理屈のみで作られた「商品」でありながら、その男側の勝手な理屈に皮肉な視線を与え、それによって犠牲になった女性の悲劇を描いている、という見方も出来て、考えると、これは不思議な映画である。こんな映画は、世界のどこを探しても、なかなか見つからないだろう・・・

歌川(古尾谷)は駅前にアパートを借りた引越し祝いに、他の2人とおっさんを呼び、自分の遊び相手の女を、おっさんにもヤらせてあげようとして「焼肉ごちそうになったし、女抱かせてあげようと思っとるんじゃ」と言う、これも凄く勝手な男の理屈だが、これまでの展開で、こいつらはそう考えるだろう、と納得がいく。
そして礼二(深見)に呼ばせるが、泰造を連れて来たら、女にはすっぽかされた後であった。

そこで泰造は、白ける3人を盛り上げようと、絵沢萠子演じる“おかみ”が「酔っ払ったアソコ見せるっちゅう噂じゃ、おかみ呼んでパーっと派手にやろう」と言う。

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室田さんが三味線を弾いて小唄をがなりたてながら、絵沢さんが丼で酒をガブ飲みして、どんどん酔っ払ってゆく長いワンカットは、音も同時に録るシンクロ撮影となり、ミッチェルという大型カメラがセットに運び込まれた。
普段は、アリフレックス(決して小型では無い)という、手持ちも可能なカメラを使っているが、これはフィルムが回る音が大きいので、シンクロ撮影には適しない。
「昔は、毎日これでやってたんだよ」
と、田中さんは懐かしそうにミッチェルを撫でた。

シンクロカチンコは打ったことが無いので、中川さんに打ってもらった。
児玉さんがこのシーンを予告用に絵を下さい、と言った時に、田中さんが「よし、俺がカチンコ打ってやろう、児玉くん、よーいスタートかけて」と言って打ったが、打ち損なって音が出ず、田中さんは、照れ臭そうに「どうや、むずかしいだろう」という顔でこちらを見た。

おかみは、その後、台所で小便してしまい、ゲロも吐き、男たちは外へ出てゆく。

ベロベロに酔った演技のため、室田さんは本当に酒を飲み、酔っ払っていた。
その酒の匂いにスタッフは顔をしかめたが、室田さんは上機嫌であった。
おそらく、東映では、そういうことはあり得ないことであったろう・・・

そこで、家の近くの道でついに酔いつぶれ、「かあちゃんが待ってるのに」という言葉に反応した歌川が、「やっちまおうか、あのかあちゃん」と悪魔の言葉を放つのであった・・・


・・・to be continued

(この後、何もありませんが、次への期待でチャリン頂けたら励みます)

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