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道と渡来人と馬と古墳と 上毛野の群馬

群馬へ。
ヤマトや大陸に繋がる東国の古墳文化の中心地。そう遠くないところには埼玉古墳もある。古墳時代から平安時代まで、畿内を繋ぐ東山道の要所として栄えた。

この地は5世紀から馬の生産(牧)が盛んだったという。高崎市には朝鮮半島からの渡来人が移り住んだムラの遺跡があり、彼らが馬の飼育方法をもたらした。群馬郡の由来となる。馬の機動力が畿内とこの地を繋いだ。

鎌倉幕府を終わらせた新田義貞はこの地から鎌倉街道上ツ道を南に攻め入った。武士の力は、機動力としての馬にあった。
その後は、北条、上杉、甲斐が鎬を削る場となる。


そう、昔の馬(木曽馬)の持続可能な移動速度は時速10〜20キロだったそう。つまり自転車と同じくらいのスピードだ。

暑い日だったけど、自転車で熱中症になりにくいのは、移動しながら風を受けているからかしら。

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