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文学フリマ京都で「自由苦手軍団」として出展した

文フリ京都にサークル名「自由苦手軍団」として参加しました。自分のパートナーの真実のホタテによる、詩・エッセイ・感想文をまとめたものでした。

日々の日記から再編集

販売したZINEも『自由苦手 詩と感想文』というタイトルで、自由の難しさをテーマにした本です。といっても、このテーマで書こうというかたちで書いたのではなく、日々の日記をまとめたらこのようなテーマが浮かび上がってきたという形の本でした。

きっかけはいろいろあるのですが、あくまで自分の視点からいうと、もともと妻と自分だけが見られるブログのようなものがあり、そこでの日記がとてもよかったので、一緒に文フリや本や、美術館など創作物に触れたときに「あの日記とてもいいから、もっと伝わってほしい」といったことをちょいちょいと言い続けてきたこと。そして、昨夏に日記を印刷して、編集を行う会を企画したことでした。(あくまで自分が関係してたところに限ると…です)

自由の難しさ

ZINEの最初の文章に現れているが、放っておくと<わたし>を失ってしまいがちなのは、自由苦手/得意など関係なく、多かれ少なかれ誰もが持っているところだと思う。

わたしにとって書くことは、「流されやすいわたし」に抗うことなのだと思う。自分で何も考えず、権威や社会的望ましさに従ってしまうわたしを食い止める。考え、疑問を持ち、また書くこと。わたしがちゃんと、わたしであることを繰り返し確かめていくことだった。

これは当たり前なのかもしれないが、書くことで、自分に感情や意見があることがわかった。そうしていくうちに、自分は唯一の存在なのだと感じるようにもなった。後にも先にもわたしと同じ人はいない。何度も何度も、当たり前のことを初めて知ったみたいな感じがした。書いて知った自分の気持ちや考えについて親しい人と話すことで、その感覚はさらに積み重なった。そのことも、書き続けることを後押しした。

わたしにとって書くことは、「流されやすいわたし」に抗うこと。そして、自分があの大きな流れに加担してしまわないように。型にはまることで、わたしもあの人を型にはめてしまう。わたしのような他者も消してしまうかもしれない。なかったことにしてしまうかもしれない。それは嫌だと思っている。

今まで書いたそんな文章たちをまとめて、『自由苦手』という名のZINEをはじめて作ることにした。流され、ぼやけ、見えなくなる、そんな自分との付き合いの記録であり、小さく続けた自己表現だと思う。誰かに読んでもらいたいと思って書かれていない文章たちは、作品というと厳かだし、日記というほどの習慣的なものでもない。そんな文章は、誰かの流れを食い止めることができるだろうか。できても、できなくてもいい。

自由苦手ZINEの序文 https://c.bunfree.net/p/kyoto08/34924

たとえば、自分はパートナーからはわりと自由な人間だと思われている。自分はあまり周囲の目を気にしないし、自分のやりたいことを考えて仕事や活動にもしている。自分の認識としてもそれはそうだと思うが、社会的な構造に従って<わたし>を失いざるをえない場面も多い。ビジネスや、組織にいる以上、むしろ、そんな場面の方が多い。自分でいられる環境なんて、ひとりの時か、ほかは限られたものである。

それに対して自覚してもやもやしている人もいるだろうし、自覚せずに社会適応していくことで満足感を得ている人もいるかもしれない。自分も、自分のやりたいことを疎かにして、組織に合わせている時期もある。むしろ、今はその方が多い。

自由の難しさは、個人のなかでは固有のものと捉えてしまうかもしれないが、実はこうした普遍性を持っていて、日記の内容をひらくとおもしろいのではないかと思った。

対面でアンケートを取ってみて

ZINE制作はほぼパートナー自身が行い、ミシンを使って製本までを完成させていた。すごい。

自分は最初のきっかけづくりと、あとはブースでアンケートを取るなどの仕掛けの企画だけ。

最終的なアンケート結果

アンケートはやってよかった。会話のきっかけになり、その起点でZINEに興味を持ってもらえることも多かった。

何よりエピソードを聞けたのが楽しかった。自由の難しさをテーマにした問いを投げかけ、具体的に最近感じたことを一つだけ聞く。ブースの大きさ上、あまり深ぼると販売スペースを埋めてしまうので、もっと聞きたいということも多かったけれど。

大学生やパートナー同士できている人も多く、学校やパートナー生活での関わり方。仕事と生活でのギャップなどが多かったように記憶している。

こういったインタラクションが、カジュアルに行えて、リアクションもたくさんもらえることが発見だった。仕事じゃないリサーチ、こういう楽しみ方もあるのか、という気持ちだ。リサーチはもっと気楽にやるといい。

意外に、自由が苦手ではないという人が多かった。文フリという空間が、わりとクリエイティブな人が集まっているからかもしれない。反対にもっと自由苦手が多いのではないか、と思っていた自分の考えが相対化された感覚だ。

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クリエイティブデモクラシー』でもライフプロジェクトをキーワードに衝動から立ち上がる活動について書いた。自分は文章や音楽など、わりと同人やインディーズ文化が好きで、高校生のときから即売会やクラウド上での発表をみることに馴染みがあった。その魅力はこの生きる上での無目的な衝動の発露に生々しく触れられるからかもしれない。

普段、忙しく働いているとそれも忘れてしまう。でも、完全な自由もありえない。結局、その制約のなかでどれだけ感受性を持って、考えたり書き残したりできるかに尽きるなと思う。今回の出展も含めた活動には刺激を受けた。自分も自分のペースでもっと生を楽しんでいけるようにしたい。

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自由苦手軍団の情報はインスタで掲載しているようです

https://www.instagram.com/ziyunigate/

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